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「質屋の風景」 第三冊
 
11.12.30 記     まぁー先生

どのような商売でも、どこの土地で店を開くかは大きな問題である。
質屋の場合は店と住居が同じになることが多いので店が繁盛するだけでなく、住んで良い土地でなくては、自分にとって幸せで成功したことにならない。その意味で25年前にこの土地で店を開いたことは私にとってまことに正解であった。

この枚方市駅の周辺は昔、淀川の舟運で栄えた宿場町の名残なのか、街全体が何となく豊で住みよい。先日も駅近くの岡東町の四つ辻に立っているとこんなことがあった。
自転車に乗った女の子が、歩いている人を先に行かせてから辻を横切ろうとしてお巡りさんに「ピーピー」と注意された。女の子が「私・・?」と自分の顔に指さすと、お巡りさんは耳からイヤホンを抜く仕草をした。自動車のクラクションが聞こえないから危ないと注意したのだ。イヤホンを取って女の子はちょこっと頭を下げて自転車で走って行った。ただそれだけのことだがこの街の風景はとても良かった。

そしてもう何年も前になるが、やはりこの辻でこんなことがあった。
夕方ここに地元でS先生と呼ばれる80才位のご婦人が立っておられた。そこへ自転車で通り掛かった60才位の婦人が「まぁー先生、お久しぶりです」と自転車を降りて挨拶をした。昔の教え子が、先生こんな夕方にどうされたんですかと聞いて、S先生が、いや訪ねて来る人を迎えに出ているの、とこんな会話のように思われた。この「まぁー先生」がものすごく良く、これだけでSさんは先生をした値打ちがあると思ったものである。
(尤も同時に、私が20年先にこの辻に立っていて、通りがかった昔のお客さんに「まぁー質屋さん」と挨拶されないだろうな、とも思ったのだが。)

このS先生に小学校で習ったという人が岡東町の町内には多い。その先生の「訃報のお知らせ」が年末に町内会から入ってきた。岡東自治町内会の下に班があり、班の下に戦時中の隣組の名残の組があって、組役が回ってきて今期は私が訃報の回覧を廻す役目である。
88才で永眠されました。S先生のご冥福をお祈りします。
 

 
11.11.24 記     着物はやめました

昔は質倉の内で一番広い場所をしめていたのは着物(呉服・和服)であった。
時代によってテレビやビデオなどの電気製品が多い時もあったが、
平均していつも着物を入れた箱が倉の内では一番場所をとっていた。
当店では袷2枚と帯1本が文庫のまま入る専用の箱を作って保管していた。
着物は女の人にとって愛着があり、流れることが少なく、
しかもめったに着ないから質入れしたままで利入れを続けるお客様が多く、
場所はとるが良い質草であった。

しかし10数年前から良い着物の入質が少なくなり、
近年はまったくと言っていいほどなくなった。
それでも買取の方は少しあったが、もう着物の扱いは一切やめることにした。
理由は、
1)持ち込まれる着物の筋があまりによくないから。
2)不要品の着物はホコリっぽいことが多く、何故に他家のホコリを私の店で広げることになるのか疑問に思うようになったから。
3)腕の力が衰えて、着物が入った箱の扱いが重たくてしょうがないから。
4)着物のヤケやシミが見えにくくなり、市場で売って大損することがあるから。
5)安い安いと不満を言われながら買った着物を、市場で売って、まだ損をすることが多いから。
6)目利きができなくて良い着物を安く買ってしまって、市場で売って、思った以上に儲かったことがあったから。
以上、惨たんたることで着物の目利き失格である。

当店の質屋業の始まりは父親が呉服の目利きに優れていたことによるが、
父上様、すいません。そんなことで着物の扱いをやめることにしました
 

 
11.10.20 記     もう時間がない

質屋の利息は法律上、年109.5%で計算方法は暦月まで可である。しかし実際の質屋は前からもっと低い利息で営業してきた。そして今も質屋は全国的に利息を下げる傾向にある。
当店はそうした質屋の中でも地域ではこれまで一番先に下げ、一番先に計算方法をお客様に有利なようにしてきたつもりだ。そうしてきた理由は、質利は月3分(日歩10銭)の日数計算を一つの基準として、手間の要るものはここから必要な分を積み増しすればいいと前から考えていたからである。そしていつかはその利息で質業をしたいと思ってきた。それでこれまで徐々に利息を下げてきたが、今、店として質預かりをそろそろ辞めることを考えんならんとこへきて、もう時間がなくなってきた。それで最後ギリギリセーフで質預かりの主なものは、前からそうしたいと思っていた利率まで下げることにした。

振り返って考えると前からこの利率で商売ができなかったわけではない。ではどうしてこれまで思い切って下げなかったかというと、利息の根本に取り込むことが他の店にも影響があるので、そうしたことを考えること自体がうっとしぃので先送りしてきたのである。だから事実よくこんなことを思ったものである。

昔から宗教の勧誘に家々のインターホンを鳴らして歩いている人がいる。そんな訪問を受けた時いつも思うことは、その宗教を自分がそんなに良いと思うなら、何も苦労して一軒ずつインターホン鳴らして歩かなくても、家で自分一人が信じて満足してればそれでいいじゃないかと、つい煩わしくてそう思う。

この場合は確かに、家で一人信じて拝んでいる限りは誰にも迷惑をかけない。しかし質屋の場合は、私が店で一人正しいと信じて利息を根本的に下げたらそれで終わりでない。例えば当店の休みの日に他の質屋を利用したお客様が、何だこの店は高いじゃないかともめたら、もめた質屋には迷惑な話だ。それでは他の質屋のインターホン鳴らしたのと一緒になる。鳴らされた者からすると、いらんお世話だ。仮にインターホン鳴らす人の宗教が有り難い教えで、本人は真剣だとしても、鳴らされた者は迷惑であるように。感覚的にこの問題にはそういうところがある。そしてそもそもそうしたことを考えること自体がうっとうしぃので今までスルーしてきた。しかし、もう時間がない。
 

 
11.09.25 記     ほんまかいな

前回も書いたように金・プラチナの買取がこのごろ大変多く、それにともなって買い取った貴金属を精錬業者に渡す回数が以前に比べて多くなっている。
精錬の業者は前は数社と取引していたが、最近は2社になってきた。もとより価格はどの業者も同じようなものだが、取引がその2社にしぼられてきた理由は、一つには仕分けが早くて適確なこと、二つにはよけいな話をしないこと、そして次に、その内の特に1社との取引が多くなってきた理由は、その会社の担当者がたまにぽつりともらす話が、やたら大きくて景気がいいからである。

その話とは、例えばこんな話である。
先日ある店で地金を仕分けして計算し、足元のバッグに放り込んでいって、さあ帰ろうとしたらバッグが重くて持ち上がらへんで難儀したと、こんな話をするのである。
この会社の青年は休みの日にはスポーツジムへ通って鍛えていて、ジムでは50キロのバーベルを軽く上げているらしい。その青年がバックが重くて持ち上がらないって、それでは一体何キロの金を買ったんだろう。
この話しほんまかいなと思うが、しかし大きくて景気の良い話しというのはこちらも元気が出ていい。それで次も来てもらうのにこの業者に、となるのではないかと思う。

よく外出先で腹が減って昼食にいい店を探すのにお客さんの入っている店を選ぶように、はやっている店、景気のいい店へと人は自然と流れるものである。だから最近出来ている買取屋さんが広告のチラシにある日の買取品の一例として、たくさんの品が書いてあることがあるが、これはほんまかいなと思うが、そうしたことをねらっているのかもしれない。
そこで当店も負けずに、最近一ヶ月の買取品の一例として、

・ 腕時計 ロレックス コンビ 10P 116233G Z番 保・箱 \600.000
・ 腕時計 ロレックス サブマリーナ 16610 V番 箱 \400.000
・ 腕時計 ロレックス GMTマスターU 16710 F番 保・箱 \350.000
・ 腕時計 ロレックス コンビ 69173 NJ T番 保・箱 \160.000
・ 腕時計 ロレックス SS/WG 10P 179174G \400.000
・ 腕時計 ロレックス K18 10P 69178G OP \450.000
・ 腕時計 ロレックス コンビ 16233 OJ \200.000
・ 腕時計 ショパール SS ハッピーダイヤ 5P 箱 \170.000
・ 腕時計 オメガ スピードマスタープロ 箱 \150.000
・ 腕時計 オメガ シーマスター プラネットオーシャン \180.000
・ 腕時計 カルティエ パシャC \130.000
・ 腕時計 セイコー GS 自動巻 \150.000
・ ネックレス K18 50.2g @3.250 \163.150
・ ペンダント K18枠 13.7g メープルコイン1/4オンス入る \52.160
・ プチダイヤネックレス Pt.900 4.3g D1.056 G I-1 Gd 中央鑑 \160.000
・ ペンダント付きネックレス Pt.850 6.3g D10P 0.50ct \33.000
・ ブレスレット Pt.850 7.0g ダイヤ入り 1.00ct \50.000
・ インゴット 999.9 500g 三菱マテリアル @4.545 \2.272.500
・ 金杯 純金 50.5g @4.280 \216.140
・ 置物 銀925 880g @70 \61.600
・ ダイヤ ルース 2.158 H VS-1 VG 中央鑑 \1.800.000
・ 指輪 Pt.900 4.5g ダイヤ立爪 1.022 E VS-1 VG 中央鑑 \650.000
・ 指輪 Pt.900 4.2g ダイヤ立爪 0.510 G VVS-2 Gd AGT鑑 \125.000
・ 指輪 Pt.900 3.8g ダイヤ 0.334 \47.000
・ 指輪 Pt.900 5.2g ダイヤ5個一文字 \45.000
・ 指輪 K18 6.8g ダイヤファッション 1.60 \48.000
・ 指輪 Pt.900 13.3g サファイヤ 3.68 D1.24 \200.000
・ バッグ ヴィトン モノグラム トータリーPM \70.000
・ バッグ ヴィトン ダミエアズール ネバーフルMM \63.000
・ バッグ シャネル チェーンショルダー 定番 \100.000
・ バッグ エルメス バーキン25cm 赤 H刻 \600.000
・ バッグ エルメス ケリー32cm 外縫 ゴールド Z刻 \260.000
・ 財布 ヴィトン ダミエ ジッピーウォレット \52.000
・ 財布 ヴィトン モノグラム 長チャック10枚入り \46.000
・ 財布 ヴィトン ダミエグラフィト 長チャック \40.000
・ ・・・・・
以上は最近の買取品のほんの一部です・・、ご参考までに。
なんて当店も書こうかしら。
 

 
11.09.04 記     手数料はいりません

最近、貴金属を売りに来られるお客様が大変多くなった。
バブル期に買って使わなくなったネックレスや指輪を、金価格が高騰している今に換金しょうとする人が多いのである。盆明けに金価格高騰のニュースで、都内の貴金属店に金売却の人が殺到して6時間待ちと報じたことが、一層消費者の心理を煽り、休み明けの8月22日、23日は当店でも最高に忙しいかった。

しかし明くる24日には18金でグラム140円下げ、次の25日にはまた160円下げた。もともと当店の場合は5%の利益だから2日連続で下がると、高い日に買取した地金は原価割れになる。前から金価格は既に危険域にあると思っているので、買い取り品は早く整理して精錬の業者へ売却しているが、これだけ価格の変動が激しいと売り損になることがある。

よくお客様から金は今が一番高いでしょうかと問われるが、毎日扱っている質屋でも素人から買って損をすることがあるのだから、これからまだ上がっていくのか、今が天でこれからもう下がっていくのか相場のことで分かりませんと答えている。

また値段がお店によってどうしてこんなに違うのですかとよく問われるが、それは18金は75%が金だから値自体は当日のインゴット(999.9)値×0.75で変わらないが、店によって利益をどれだけ踏むかで、当店は18金は5%の利益で計算するから、当日のインゴット値×0.75×0.95であるが、店によって0.95を例えば0.80にするかで違うのですと答えている。

お客様にもいろいろ話す人がいて、「金プラ買います」の店へいったら、メチャクチャ安い値を言いよって、こちらが知らんとでも思とるねんやろかと憤慨している人がある。しかしまぁ、質屋ではそんな値をつける店はないですねと言っている。

また買い取り店では掲示している買取金額以外に手数料を取る店があるが、お客様がその手数料の中身を問うと、テナント代・広告料・電気代などの経費、それに僕たちの月給も要るからと言われたらしい。正直と言えば正直だが、その店で売ろうとするとお客様は店員の月給のことまで考えなくてはいけないことになる。

それでは当店も、私の晩御飯のおかず代に手数料をもらおうかと、冗談を言っているのだが、考えてみれば確かに当店は経費が少ない。
テナント代は要らない、広告料も少なく軒の「質」の看板は既に減価償却が終わっている、電気代も節電に努めているから少ない。店主が自分で値をつけているから、「僕たちの月給」というものもない。そんなこんなで当店は薄利で商いをしています。手数料はいただいておりません。
 

 
11.07.18 記     体力のこと

ここで商売を始めて24年、平日は朝9時に店を開け、机に向かう前にいつも事務室で15分ほど体操をしてきた。腕を5回前にまわし、後ろに5回まわし、首を左に2回まわし、右に2回まわし、腕立て伏せを5回して、自転車こぎに乗って新聞に目を通し、膝に手をあてて5回屈伸をして、次に前屈して手の平を左右30秒ずつ床に着け、最後に5回屈伸して、9時15分には机に向かう。その間に電話が鳴ったりお客様があったりすると中断して、終わるのが9時30分になることもある。
前から家人が体操は店を開ける前にしたらどうかとうるさいが、もっともだと思うがこれは私のしたいようにしてきた。

それが4月に病院で内視鏡の検査で食道と胃のつなぎ目に傷がつき、その時はそれが分からなくて翌日大量に吐血して約3割もの血液が失われた。数日絶食して出血が止まってから退院してきたが、もう80日になるが前のように朝に体操する気がしなくなった。

これまで24年間も体操を続けてこられたのは、朝に体をほぐすのが嫌でなかったからで、だからしんどい日は無理をしないで休んできた。今回退院してもう回復していなくてはいけないのだが、前のように身体を動かす気がしない。しっかり食べてゆっくり休んだら血が戻るなんて歳では確かにもうない。

思えばこれまで自分の身体に対する気持ちと実際の体力との間に、絶えずズレがあった。かっぱらいがあったら追っかけたい気持ちがあったし、ウインドー破りがあったら、木刀を持って外へ出てドロボーの頭かち割ったる気でいた。しかし静かに考えれば追っかけて捕まえられる筈もなく、渡り合って勝てる筈もない。今回の内視鏡検査でのトラブルは、図らずもそうした自分の気持ちと、実際の体力のずれを訂正してくれることになった。
 

 
11.06.19 記     流された

昭和33年のある日、店に税務調査が入った。
当時我が家は前年に父親が癌で亡くなり、祖母と母親と子供は21才の長女を上に9才の私まで7人の全部で9人家族だった。会計帳簿はもともと少しごまかしがあったらしい。それでとっさに隠したらしい。それでも税務署員が調べれば言い逃れできないことが出てきただろう。しかし勝ち気な長女は頑として調査に応ぜず逆に税務署員にくってかかった。お父ちゃんに死なれて家族9人、この上、税金持っていかれたらこの家は食べていけません。それが国のすることですか。
もともと財産のあるような家でなし、女子供のする小さな店のことだから、税務署員が母親に、おたくの娘はんにはかなわんわ、と言って帰った。(この文章は当初、税務署員が帰ってそのままになったらしいと書いていましたが、そのままで済まなかった話しもあったようにも思い出します。確かでありません。)

税務署員がひるんだように「お父ちゃんに死なれて」は強い言葉である。子は親に死なれ、母は夫に死なれ、祖母は息子に死なれ、叔父さんや叔母さんは頼りにする兄貴に死なれたのである。死は、死んだ者には終わりでも死なれた者にはその始まりである。残った者は選択の余地なく死なれた者としての始まりを生きることになる。

それで死ぬ死なれるという言葉の関係から、では質屋で流す流されるはどうなのか考えてみた。
お客様の側から。
(a)質入れ品を要らないから流す。
(b)流質期限が過ぎたが待ってと質屋に頼むが流された。
質屋の側から。
(a")流質期限が過ぎたから流す。
(b")絶対に流さないから高く貸してほしいと頼まれたのに流された。

(b)(b")のように「・・された」と動詞が受け身になる場合は心理的に後が残る。
もちろん質屋は流されて損をしても商売上のことだからそれで終わる。しかしお客様は流されたと思うと後を残すのではないか。だから私はいつも流すのに気をつかっているのである。
 

 
11.05.22 記     勝手ながら本日は休ませていただきます

人間ドックで引っかかったので先月検査入院をした。
最初4日で帰る予定が検査が延びて8日になった。
その間も質店は休めないから家人とパートさんで店を開けた。
しかし家人の心労が激しく、
これからは買取だけにして、もう質預かりは止めないかという話がでた。
質屋は預かっている品物を受け出しに来るお客様があるから、
なかなか店を休めない。買い取りだけなら「勝手ながら休業いたします」と、
シャッターに張り紙をして休みやすいからである。

それにもうサラリーマンなら定年なんだし、とかいろいろな意見があって、
私も入院して7日、8日目にはもう質預かりは止めることを考えた。
しかし9日目の午前中に病院からタクシーで帰ってきて、
店にお客さんが入ってきたらいつものように質札を書いていた。
以来もう1ヶ月になるが前と同じように毎日質札を書いている。
質札を書かなくなればそれは質店の死である。
書くべきか書かざるべきか。それが問題だ。

それでよくよく考えたがここはもう少しファジーでもいいのではないかと思う。
質屋の都合で「勝手ながら休ませていただきます」がたまにあって、
お客様に不便を掛けることがあってもそれは堪忍してもらえるのではないかと。
これまでお客様が電話を掛けてきて、「流さないで、待って」、
と言うのも客様の勝手ながらではなかったか。
そのお客様の勝手ながらを当店は何十年も聞いてきたのだから、
たまにはお客様も質屋の勝手ながらを聞いてくれてもいいのではないか、と。
以上、勝手な質店の勝手な意見ですけど。
 

 
11.05.11 記     イカレポンチ

何度も思い出す古い古い記憶に、戦車を積んだ大型トレーラーの米軍兵士からチョコレートやリンゴをもらった子供の時のことがある。
昔住んでいた家の裏が淀川の堤でその土手の上が当時は国道1号線だった。ちょうど京都と大阪の府境のそのあたりは淀川の三川合流地点で対岸の天王山の緑が美しく、当時は朝鮮戦争の後の関係で戦車を運んでいたのだろうか、よく国道に米軍車両が止まって休んでいた。

この米兵に近所のガキ7〜8人が近づいて「ギブミーチョコレート」をやったのである。私が一番小さくて4〜5才。多くは8から12才ぐらい。トレーラーの上の米兵からチョコレートや初めて見る黄色いリンゴをもらってみんなワイワイよろこんだ。そのうちトレーラーの荷台の若い米兵が米コイン(セント)を家の方へ向かって風を切るように投げ始めた。その内の何枚かが私の隣の家の窓ガラスにあたりガラス数枚が割れた。次に米兵の一人が堤防を降り、内川との間だの犬走りに祖母が淀川の河原で拾ってきてへっついさんで燃やすために干してあった流木の切り株を、ポイポイと内川へ投げ落とした。

このあと母親が子供が米兵に近づくからこんなことになって申し訳ないと、ガラスの割れたお隣へ謝りにいった。しかしその家の子も仲間に加わっているので、まあまあとなって相手が米兵では言って行くとこもないしとなった。この日の夕食時に父親がものすごく怒った。当時、食事は台所の板の間に座布団を敷いて父親が上座で祖母と子供7人が向きあって座り母親がはしでご飯のよそい役だった。それぞれが自分用の箱膳を前にして食べた。食べる前からみんな怒られるのは分かっていたが、上の兄弟達がものすごく怒られた。みんな下を向いてシィーンとなった。その後、私の8才の時に父親は亡くなったのであまり父親の記憶はないが、この時の父親の怒る場面と昼間の米兵のイカレタ様子はよく思い出す。

その後大きくなった頃にベトナム戦争があった。あの時の若い米兵がいたずらやいちびり感覚でコインを投げたり干してあった切り株をポイポイ川へ投げ落としたように、ベトナムで簡単に自動小銃の引き金を引いて銃口から弾がタンタンタンタンと飛び出して人がバタバタバタバタと倒れる。引き金を引くか引かないか悩むような過程を経ずに、もっと簡単に殺した米兵と殺されたベトナム人が結果として出来るのだと思った。

また最近はあの時の若い米兵の様子から「イカレポンチ」のことを思う。以前はそういう者のことを私より上の世代はイカレポンチと呼んでいたが最近この言葉は使わなくなった。今はこういう者を何と呼ぶのだろうかなと。
昔は質客にこの手の者がいた。その後バブルを境に減ったが今でもたまに店に入ってくることがある。つい取引してしまって後でその自分にうんざりする。そしてイカレポンチに変わるもっと否定的な呼び名を考えるのである。
 

 
11.03.27 記     きっと変わる

大津波が東北を襲った次の日にも、近くの質店がまたウインドー破りに遭った。
合わせガラスで抜けないから商品は取られないが、ガラスはバリバリに割れた。
用心して高価な品物は置いてないのにそれでもやられると、
何度も割られている質店主は嘆く。
折しも東北の惨状を伝えるテレビ画面が、釜石の商店街の様子を映していた。
津波で流された材木が道をふさぎ自動車がひっくり返っている向こうに、
商店の大きなウインドーが確かに割れずにあるのが見えた。
こんな中でも略奪が起きず店のウインドーが割られていない。
なのに災害に遭っていない大阪の街で、なぜ質屋のウインドーが割られるのか。

自分の経験で考えた。
前にかっぱらいを追っかけた時も、ウインドー破りを追っかけて外へ出た時も、
犯人はへなへな笑いながら逃げて行った。
捕まりそうになったらオットット。バイクの後ろに飛び乗ってアカンベー。
ヘラヘラ、ヘナヘナ、ニタニタ。いつもどこかに冗談半分がある。
前に駅のホームで見た、捕まった盗撮犯の笑いも同じだった。
それはテレビで出演者が絶えず笑っている番組の様子と似ている。
冗談モードが常で真剣モードに切り変わらない。
今、津波に遭った東北の人は大変な災害の中で必死に耐えている。
その様子をテレビで見て、テレビには映らない現場の惨状を想う。
きっと今度の大きな災害は、こんなへなへなモードで生きる人をなくすと思う。
 

 
11.02.12 記     質屋のさが

質屋業界の横の情報は I T が発達していない昔の方が豊富であった。
昔は質屋が受ける情報で一番多かったのは組合の業報誌からで、業報誌には論壇があり、質店の意見があり、事務局からのお知らせがあり、内容が濃かった。それにFAXも今より多く入ってきた。

最近の組合業報誌はほとんど何も書いていない。それにFAXも少なくなった。メールもない。世の中の I T 化が進めば進むほど、情報が流出するリスクが高まるので逆に発信が減っていく。それで情報化が進む時代に組合員である質屋の情報の孤島化が進む。

一応組合の情報発信の少ない理由については「書けないから」ということになっている。しかしそれにしてもと思うので、では書けないという言葉の中身は何であるか考えたことはありますかと、担当者に問いたいところだが、その答えがどちらにしても責めることになるので特には聞いていない。人は人、自分は自分であるから。それで毎月、私は自分のホームページに書いている。

しかしこの頃よく思うのだが、この書く書かないの違いは、それが正しい正しくないということより、表現者としての違いによるのではないだろうか。リスクがあるから書かないか、それでも書くかの違いは一般論として正義や倫理観の違いより、表現・表出したいという性格によるのではないだろうか。書きたい、表現・表出したいと思って書いたものは後で読んでも面白く、そこにはリスクがあるが書く喜びもあって、上手く書けているかどうかは別としてけっこう苦労して書いている。だからこれは表現者が持つ一種の性(さが)ではないかと。

そしてそれと同じことが質屋業についても言えるとおもう。
私も現にいい歳をして、もう商売を辞めて行けばいいものを、まだ全力で質業をしているのは儲かる、儲からない、利息がもらえる、もらえない、そうしたことによるよりも、ともかく品物に値段を付けたい、質に預かりたい、質札を書きたい、品物をさわっていたい、そういうことである。

お客様が店のカウンターに品物を置いたら、手にとってルーペで見て値を付ける。そこには医者が患者の胸に聴診器をあてるように、これで儲けるという私心はない。競走馬がゲートが上がったら走り出すように、品物を出されたら自然とそのように反応する。ニンジンは要らない。その仕事のレベルに喜びを感じるのは質屋として長年培ってきたものがあるからで、これは質屋が持つ一種のさがではないだろうかと、このごろ思うのである。
 

 
11.01.10 記     失敗作

ホームページに載せる文章を毎月書いていると、
あの時はこんな事があったと思い出すことがある。
その記憶から考えをふくらませて次にまた書ける。
前回はかっぱらいを追っかけて捕まえたことを書いたが、
捕まえたあと刑事さんから調書を取られた、
その調書が当時はまだ手書きだったことを思い出した。
最近は調書がパソコンでプリントした綺麗なものだが、
この昔との違いは面白い、
「調書は手書きが良い」という方向で書けると思った。
しかし書き出したが結局うまく文章にならなかった。
理由の一つは「調書」という言葉からして三人称だと思うが、
実際は、○○について申し述べます、
とあって最後に署名するのだから、これは一人称である。
そのあたりのことがよく分からない。二つには、
内容によりホームページに書くのに差し障りがあるかも知れないので、
その見極めが難しい。
などでいろいろ考えて試みたが結局駄目だった。
それで没にすべきところだが、そもそも今回書こうとしたことが、
手書きの文書は二本線を引いて訂正印を押しても、
消された前の文字の記録が残る、
その電磁文書と違う良い点を言いたかったのだから、
失敗作といえど同じようにまた失敗の記録である。
それで今回は全体を二本線で消して訂正印を押した文章のつもりで、
その失敗作を載せてみることにした。

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     調書は手書きが良い

前回に16年前かっぱらいを追っかけて捕まえたことを書いたが、そのあと刑事さんが調書を取るのに、あの時はまだ手書きだったのを思い出した。

調書を取る刑事は対面で質問しながら返答を整理しつつカーボン紙を挟んだ縦書きの罫紙にボールペンで時間軸と空間軸を動かしていく。この人物が店に入って来た、ネックレスを見せてくれと言った、・・・、逃げた、追っかけた・・・、捕まえた、値札の付いたネックレスを手に持っていた、・・・。

あの時かっぱらいを追っかけたが、捕まえるまでのわずかの間に私は2度犯人を見ていない時がある。カウンターを飛び越えて外へ出た時に既に角をまがって見えなかった。次の三叉路を左にまがってまた見えなかった。見失ったという状況ではないが、しかしこの追尾の間の視界から外れたわずかの時間を刑事は調書で押さえたいようだ。それで店からここまでおよそ100mをどれぐらいで走ったか、といったことを問う。

私は家の商売の関係で20才ごろから調書を取られたことがあるが、昔はこのように対面で聞きながら書かれたものである。聞きながら書き進むのだからよく訂正印が要った。二本線で消して欄外に10字抹消などの書き込みをするのである。

私の知っている昭和45年ぐらいは刑事さんが質屋に来て調書を取っていたが、もっと前は質屋が台帳を持って警察署へ行ったように聞く。それよりもっと前の昭和30年ごろは質屋が警察署へ行くと、前で書いてもらいと言われる。前とは警察署の玄関の出たところ、外の軒下に代書屋が机を置いていて、そこで金を払って書いてもらって書類を警察に出したらしい。ほんまかいなと思うが、そういう時代があったらしい。まるで落語の「代書屋」みたいだが、しかし落語の代書屋が書く履歴書のように、訂正印がいっぱい押してあって欄外に1行抹消とか5字挿入とかいっぱい書き込みがしてある調書なんていいのでは。
 

 
10.12.20 記     今でも追っかけたい

店のショーウインドーはこれまで3回ガラスを割られた。またカウンターの上では2回商品をかっぱらいされた。それで以前は多くの商品をウインドーに並べていたが今はほとんど置いていない。

ショーウインドーのガラスは特別な合わせガラスで、厚いナイロンシートを5mmのガラスで挟んでいる。だから割ろうとしても絶対に抜けないから中の物は盗れない。しかし一度やられると表面のガラスはバリバリに割れる。その度にガラス屋さんに電話して入れ替えてもらう。特注の費用は約10万円、新しくなるまで約1週間かかる。

しかしそれだけでない。ご近所を騒がせし、被害届を出し、割れたウインドーをダンボールで隠し、お客様にどうしたのと聞かれていちいち説明し、等々大変なマイナスである。その度に用心してウインドーに置く商品を減らしていく。ガラスの隅に「防犯ラミセーフ」の特記表示があるから、プロなら盗れないことは分かると思うが、いいかげんなのが犯行に及ぶ。

割られる時は店内ですごい音がする。ガラス面を外から思いっきり叩くから、ウインドーがちょうど太鼓の構造になって、店の内では大きな音になって響く。しかも抜けないから何度も叩く。衝動的に「やめてくれー」と叫んで出ていったことがある。この音は神経にダメージをあたえる。

同じように「かっぱらい」もまた商売人の心にダメージをあたえる。お客さんの振りをして入って来て、ロレックスの時計を見せて、18金のネックレスを見せてとウインドーから商品を出させて、カウンターに置いた商品を掴んで逃げる。品物を手に取って、とっさに走られたら防ぎようがない。

そういうことがあると、このお客さんは走りそうだから気を付けなくてはとか、カウンターの上へネックレスを出しても、もう一方のはしを掴んでいるとかして、つい用心してしまう。しかしこうしたことはまともな商売人のすることでない気がして情け無くなってくる。そうしたことで今はほとんど商品を並べていない。

今は追っかけることはできないが、16年前はまだ「かっぱらい」を追っかけることができた。店の事務室の上に掛けてある感謝状は、その時に通行人と協力して犯人を捕まえて警察署でもらったものだ。

あの時はよく走った。カウンターの上でネックレスを何本か見せていて、他にないかと言われて横のウインドーを向いて手を伸ばした時にウインドーの外を今の人が走った。??。一瞬何か分からなかった。カウンターを見るとネックレスがなくなっていた。そこでやられたと思った。すぐにカウンターを飛び越え追っかけた。しかし最初の少しの遅れは距離の差になる。犯人はすでに角を曲がって見えない。直線があって次の三叉路を右へ曲がるか左へ曲がるかそれを確認しなければと、走りに走った。ぎりぎりで左へ曲がったのが見えた。その直線を最速で走った。しかし曲がったら見あたらない。そしたら歩いている主婦の人が、その車の後ろに隠れたと指をさしてくれた。そちらへ行くとまた逃げた。また車の影にしゃがんだのが見えたからそちらへ走った。しかし横をすり抜けるようにしてまた逃げた。体の向きを変えて追おうとしたら、そこで足がもつれて転んだ。それを見て犯人は本通りを逃げて行く。もう追っかけられない。距離があいていく。その背中に向かってドロボーと叫んだ。そうしたら40mほど先で犯人がバタッと倒れた・・ように見えた。近づくと犯人は小柄な年配の男の人に後ろ手にされ舗道にうつぶせになっていた。そのうちにパトカーが来た。

この犯人を取り押さえた人は武術の師範で、この日も近くのパナソニックの体育館で護身術の朝稽古をつけて、帰りにたまたま歩いておられたのである。この技は叩くとか投げるとかそうした荒っぽいものではないが、掴まれるとピクッとも動けないのである。

後日この人と一緒に警察署で感謝状と大阪府警のテレホンカードをもらった。しかしかっぱらいを追っかけた者の経験で言うと、追っかけるのは割に合わない。靴下はボロボロ。転んで手の平はすりむく。また急に全力疾走するからか心臓の調子が悪くなる。その後エンジンの回転数が不意に上がるような体の震えが二ヶ月ほどあった。

それにこの時は捕まえたが普通は捕まえられない。取って逃げるのを見てから追っかけるのでまず犯人に追いつかない。また仮に追いっついても息も切れ切れで捕まえるのは、相手が何を持っているか分からないから大変危険である。

しかしそれでも私は追っかけたい気持ちがある。しかし実際はもう走れない。8年前かっぱらいにあった時は30m走ってあきらめた。5年前ウインドーを割られた時は逃げていく犯人の背に大声で「こらー」と叫ぶことしかできなかった。
 

 
10.11.09 記     ちょっとまて ひったくりをするその前に

地元の警察署管内に官民で連携してつくる管内防犯協議会がある。
それは市の防犯協議会、企業などが集まって作る事業場防犯協会、
仕事を通じて地域防犯活動をする職域防犯協会などからなる。
質屋はこのなかの職域防犯協会に入るのだが、
今期は管内の質屋の中で私がこの職域防犯の担当なので、
会合に出ていくことになる。
先日、管内防犯協議会の総会があり他の質屋と一緒に出席した。
式典のあと婦警さん2人による防犯を啓発する劇があり大変面白かった。

まず頭だけ大きなゆるキャラ風の被りものをした白衣の医者が出てきて、
私は長年ひったくり防止ワクチンを研究している医学博士である。
この度やっとワクチンの開発に成功した。
ワクチンの名前は「もしかしたら、ひょっとしたら菌」という。
今日はその効き目を皆さんにご覧に入れたいと思う。
もう一人の婦警さんが勤め帰りのOLに扮して登場し、
ショルダーバックを片方の肩に掛けて、
家はもうそこだし引ったくりなんかに遭わない「大丈夫だわ」と言いながら、
舞台を横切って見えなくなったあたりで「キャー、引ったくりー」と叫ぶ声がする。
博士がそれを見て、今の人は「大丈夫菌」に感染している。
この人に今度私が開発したワクチンの「もしかしたら、ひょっとしたら菌」
を接種したらどうなるか。
また先ほどの婦警さんが出て来て、家はもうそこだけど、
しかし今度は、「もしかしたら、ひょっとしたら」とつぶやいて、
ショルダーバックを斜め掛けに掛け直す。
舞台を横切って見えなくなったあたりで「ただいまー」と無事に家に帰った声がする。
博士が、もうお分かりになられましたか。
「もしかしたら、ひょっとしたら、危ないのではないか」、
そう用心することが引ったくりにあわないために大事なのです。
この劇を見ていただいた皆様にはただ今、
「もしかしたら ひょっとしたら菌」のワクチンが接種されました。 終わり

婦警さん2人で毎日大阪の学校や公民館を、引ったくり防止の劇をしながら回っているらしい。この劇はシンプルで分かりやすく何となく婦警さんらしい品がありよくできている。それで私も対抗して引ったくり防止の劇を作ってみたくなった。

創作  「質屋 まぼろしのポスター」  一幕

時       200X年12月X日 夜8時
場所     大阪質屋組合5階 組合長執務室
登場人物  質屋組合長  他 質屋a 1名

質屋a )組合長が前から歳末の街頭犯罪撲滅キャンペーンに質屋組合も協賛ポスターを出したい。何か良いポスター案はないか考えろと言っておられたものがやっと出来ました。これが私が考えに考えたポスターの原案です、組合長どうですか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
街頭犯罪撲滅キャンペーン!
協賛 大阪質屋組合

ちょっとまて ひったくりをするその前に
まず親の物を黙って持って質屋へ行こう
大阪質屋組合からのご提案
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

組合長)何だ、何だこれは。こんなポスターが作れるか。
質屋 a)いや、良いと思うんですよ。これには驚きがあり、真理があります。今までの街頭ポスターはほとんどが注意しろとか用心しろとか、被害にあう人に呼びかけるものでした。このポスターの良いところは、これからやろうとする人に直接「まて」と言うのです。しかもそれだけでなく、それはやらないでこちらの方をしたらどうかとまで言うのです。犯罪を防ぐ意味で、行きとどいた呼びかけではありませんか。
組合長)しかしそれは君の言い分で、このポスターを見た人は普通どう思う。
質屋 a)いやそれがですねぇ、NHKとか朝日新聞とかがこれを取材して報道したら、妙案だとか、ワーストワン返上の苦肉の策だとか、大阪的で面白いとか意見が出て、そしたらけっこう世の中いいんじゃないてなるんですよ。
組合長)そうかなぁ、俺はそうならんと思うけど。
質屋 a)質屋もこのままジリ貧より、いちかばちか打って出るべきです。それで組合長にお願いなんですが、まずこのポスターの格を上げるのに、ポスターの下に大阪府警本部公認とか、公認がだめなら黙認とか書きたいんです。組合長、お願いします。警察へ行って公認か黙認を書かせて下さいと頼んでください。「そこまでやるか、大阪府警!」「ついに成る、質屋と警察の究極の防犯コラボレーション!」と評判になって、案外これは受けますよ、とか何とか言って。
組合長)俺は無理やと思うけど、警察もビックリするやろなぁ。
質屋 a)それでも警察がどうしても公認も黙認も出せんと言ったら、こう言ったらどうです。そしたら何ですかと、警察は若い子が犯罪の一線を越えて引ったくりするのを待ってますのんかと。
組合長)君そんな失礼なこと。俺はその場で逮捕されるのと違うか。
質屋 a)いきなり逮捕はないでしょう。だいいち罪名は何です。
組合長)警察侮辱罪や。
質屋 a)・・・。
質屋 a)私はこのポスター気にいってるんですよ。ここには一昔前の家族愛のようなものがありますから。私の店で昔あったことですがね、私の母親がまだ生きていた時にね、親子連れが質を受け出しにくるんです。息子は20才代で親に無断で質入れしたんですね。2人の様子で分かるんです。息子は怒られて小さくなっているんです。父親が金を払うのですが、品物を返す時に店の奥にいる私の母の姿を見つけて、奥さんご機嫌さんと母に挨拶するんです。昔、私の父親がやっていた昭和30年ごろに質に来ていたんですね。息子が俺が若い時にしたことと同じことをしやがると言って、あの時はこうだったと懐かしいそうに母と話しているのです。その時思ったのですがこの父と息子は案外上手く行っているのじゃないかと。質に入れた親の品物を間にして幸せなんじゃないかと。こういうところに親子の断絶はないと思うのですよ。
組合長)しかしそれは君のノスタルジーか個人的な意見で、だから親の物を無断で質に入れて良いというのは、世間一般で通用する話ではないよ。
質屋 a)普通ポスターは被害に遭わないように気をつけて下さいとか、これからやろうとする者には防犯カメラに写っているから「やるな」とか、駄目だ、禁ず、べからず、でしたよね。「この土手に登るべからず警視庁」 なんかもそうでしたしね。
組合長)柳亭痴楽か、君も古いね。
質屋 a)いや私の言いたいのはですね、駄目だとせき止めるだけでは水はあふれるし、ダムは決壊する。脇から少しずつ流してやらないということなんです。親の物を質に入れて見つかって頭をカーンと一発はられて、そうして親と子は昔から生きてきたのですよ。つまり年々歳々人相似たりですから。
組合長)今度は中国の昔の詩人のつもりらしいが、それは花相似たり、人同じからずと違うか。しかし君と話していると何か昭和30年ごろの質屋と話しているような不思議な気がしてくるな。
質屋 a)いや古い話ではなく、よく「立ち直る勇気を」とか「正しく生きよう」とかそういう標語のポスターがあるでしょう。それは正しくて立派なんですけど、これから引ったくりをしょうとする者に対しては、何か落ちこぼれに東大や京大を目指して勉強を頑張ろうと呼びかけているようで、ハダハダなんですね。その点「ちょっとまて ひったくりをするその前に」は同じ目線まで降りていて親近感があるんです。同類でないとしても自分達のことを分かってもらえるという安心感がある。その人がこんなに僕たちのことを思ってくれているから、今日は半分立ち直るから親に甘えて堪忍してもらうとして、明日からは「完全に立ち直って正しく生きよう」と勇気を出すのではありませんか。
組合長)・・・そういう考えは成り立つかなぁ。
質屋 a)私の考えはですね、小泉内閣の時に国が市場経済へと大きく舵を切りました。それで会社では成果主義、学校では自己責任がより求められるようになりました。また中教審がグローバル経済の社会で通用する人材の育成を中高の教育の方針にする答申をだします。そうした流れで、学校では学級崩壊、家庭にあってはニート、社会では派遣の問題などが起こりました。(少し端折りますが)・・それを社会学者はこの社会が若い子に自己責任と一緒にリスクヘッジの仕方を教えなかったことが一つの理由だと言うのです。だからそれをサイコロ賭博に例えて、勝てない時は丁の目にも半の目にも両方掛けろと言うのですね。そしたら勝てないけど負けないと。それでね、私は思うのですが若い子がせっぱ詰まったら親の物を質に入れる選択肢もあっていいんじゃないかと。引ったくりはするな、犯罪は犯すな、それより親の物を持ち出してでも何とかやり過ごせ。死ぬな生き延びろと。底に流れるものはヒューマニズムですね。質屋とヒューマニズムは相性が良いんです。もっとも、学者の本には若い子のリスクヘッジの中に質屋のことは書いてませんでしたけどね。
組合長)内田樹か。私も何冊か読んだ。・・・。
君が言うように質屋が深いところでヒューマニズムを持っているという考えには俺も賛成や。しかし質屋が今の市場経済とどう向き合ったらいいかはまだ答えの出ない難しい問題である。君が出ている職域防犯でも色んな職種の協会代表が来ているやろ。ゴルフ場の協会の代表、自動車整備業、コンビニ業、クリーニング業、宅建業、ぱちんこ業、飲食業などみんなクレーマーのこともあるし、つまりはこの市場経済とそれぞれがどう付き合って行ったらいいか苦労しているんだ。斯くの如くに社会の事象は複雑なのである。だから君が言うように「ちょっとまて ひったくりをするその前に」が、ともかく引ったくりをやらないのだから、防犯ポスターとして良いと軽々に論ずることはできないのだよ。
しかしその議論はまた次にしよう。今は歳末の防犯ポスターで質屋が防犯の役に立っているのをどう表現するかや。普通ポスターというのは一目見てぱっと分からないかん。君はこのポスターが良いと言うのに今までこれだけ説明しているねん。この劇を上から読み直してみ、ほとんど君がしゃべっているやないか。俺はたまにしゃべって下手な漫才の間の手みたいなものや。私が質屋の組合長として組合員から求められているのは、まず質店の繁栄と皆さんの安全や。それに業界の評判ということもある。君の言うヒューマニズムも大事やが、この場合は公序良俗からすると外れているように思う。何も芸術的な一握りの人に分かるようなポスターを作ろうとするのではない。多くの人に、特にこれからは若い人に訴えるようなものを作りたい。
質屋 a)いやその若い子のことですがね、組合長。
組合長)しかし君もよく食い下がるね。
質屋 a)このごろ質屋に若いお客さんが少なくなりましたでしょう。それは質屋の世代が断絶したからだと言いますね。昔は子供が親に連れられて質屋へ行った。だから自然と子供のときから質屋を知っていた。それが今の若い子はその親も質屋へ行かなかった世代だから、まったく質屋の知識がないと。確かに私の店でも物を売りに来た若い子に、質で預かる方法を説明しても、何のことか分からない反応をする子がいるんです。
組合長)確かにそういうことがある。業界としても何とかせないかんという意見が多い。
質屋 a)それでこないだ婦警さんの「もしかしたら ひょっとしたら菌」の劇を見て思ったのですが、質屋もこの「ちょっとまて ひったくりをするその前に」を劇にして、婦警さんと一緒に学校を回ったらどうでしょう。質屋流の防犯の啓発に、ゆるキャラのぬいぐるみを着て「ひちやん」なんて。子供に幼少のころから質屋に馴染んでもらう。良い方法だと思うのです。そして子供の間で「質屋さんごっこ」なんてはやったら、大きくなって引ったくりする子はなくなるし、質屋の未来は明るいんじゃないですか。
組合長)・・・。
質屋 a)そのためにも先ずこのポスターに大阪府警本部公認か、公認がだめならせめて「黙認の取り付け済み」とか書きたいんです。組合長、頼みますよ。行ってきてください。ここは業界の未来が掛かってますから。
組合長)そしたらしょうがない、こうしょう。君がこのポスターが若い子のためになると言うのなら、君が先に大阪府教育委員会へ行って、このポスターに大阪府教育委員会推薦と書きたい、それで推薦をいただけませんかと頼んでもらってきたらどうだ。そしたらその推薦を持って、教育委員会も出してくれてますので、警察の方でも一つお願いしますと行って頼んでみよう。しかしこのポスターには何か、「ちょっとまて 覚醒剤をやるその前に まずシンナーをやろう」、みたいなとこはないかぁ。
質屋 a)それはでんでん違うと思うのですけど。
組合長)まあどうしてもそう思うのなら教育委員会へ行って君の理論で説得してみぃ。俺は教育委員会がこのポスターに推薦は出さんと思うがなぁ。

某日、質屋a がポスターを持って大阪府教育委員会に頼みに行った。
縷々説明するが、担当官はこんなポスターに推薦が出せるものかとけんもほろろ。
当教育委員会は一切関知しないと断られた。
そしてえらい怒られて帰ってきたらしい。
以来ポスターは質屋会館の地下金庫室の奥深く封印されたのである。

以上、「質屋 まぼろしのポスター」の一幕まで。 完
 

 
10.10.10 記     未成年者からの質預かりについての一考察

もう5年ほど前になるが若者が18金のネックレスを質に持ってきた。
預かり値を付けて確認のため身分証を求めると、
若者は落ち着いているが、以外や19才であった。
それで質屋は20才以上でないと駄目だというと、
どうしても生活するのにお金がいるという。
このネックレスは誰の物かと問うとお母さんの物だと答える。
それではお母さんに来てもらいというと、お母さんは死んで居ないという。
お父さんはと問うと前に家を出て居ないと答える。
妹と二人で売り食いして生活していると。
それでそのまま取引を進めて5万円で質預かりした。
それから10日ほどして、死んで居ないはずのお母さんから電話が掛かってきた。
息子の上着から質札が出てきましたが、これは何ですか、と。
お母さんはもうカンカン。

質屋営業法の中に特に利用者の年齢制限の記載はない。
青少年育成法には18才未満からの質取引は禁ずとある。
民法では20才未満との契約は無効とある。
だから法律的には18才19才との質取引は民法上無効でも違法ではない。
しかし質屋が18才、19才の未成年者から、
例外的にも質預かりすることの是非については以前から議論がある。

一般に社会通念上、未成年者の質入れは好ましくないと言われる。
それで当店では身分確認で19才であることが分かった時点で、
質預かりを一応断る。しかしそれでもお金が特に必要だという場合は、
この品物は自分の物か、お金は何に使うのかと、いろいろ問うて、
その質入れがその未成年者の為になることがあると、
そう思える場合に一回に限って質預かりしている。
このように未成年者からの質預かりは手間も掛かりリスクもあるが、
それでも当店が例外的に質預かりする場合があるのは、
質屋がそうしたリスクを取ることによって、
その未成年者がリスクヘッジできると思うからである。

未成年者とは文字通り未だ成年に成らざる者である。
その者がいろいろな経験をし成年へと大人へと成長して行くのだが、
その過程で失敗はいい、それは経験になるのだから。
しかし犯罪を犯したら、これは取り返しがつかない。
そうして若い子は犯罪の一線を越すということの意味が、
もう一つ分からないところがある。
そうしてやってしまって一生を台無しにしてしまうことがある。
例えば今、遊ぶ金欲しさに家の物を無断で持ち出して質に入れたとする。
これは良いことではないが、犯罪ではない。
しかし金欲しさにバイクに乗って前を歩くお婆さんのバック引ったくって逃げたら、
こいつは一発目で犯罪者である。
人は、特に未成年者は過ちを犯すリスクが多いが、
より軽い方へと、自然と犯罪に成りにくい方へとシフトさせて行く、
そうした社会の安全システムとしての面が昔から質屋はあったと思う。

弁護士さんは未成年者からの質預かりを法律が禁じていないことを、
法律制定時の時代の貧しさを背景に説明されるが、
必ずしもそれだけでなく「質」というものが根本的に持っている、
こうした社会の安全システムへの期待ではないかと、
そこに法の意志があるのではないかと私は思うのである。
そして質屋のコンプライアンス(法令遵守)とは、
この場合、遵守すべき法律は未成年者からの質預かりを禁じていない法律である。
18才19才は誰しも悩ましくて危なっかしいリスクの多い歳である。
そのリスクを社会的に余裕のある者(質屋)が取ることで若者が法を踏み外さない。

では具体的にこの文章の最初のお母さんに、この場合どう応対したらいいか。
まさか、息子さんがネックレスを持って来た時に質屋が預かっていなかったら、
今ごろ息子さんは警察の留置場ですよと言うわけにはいかない。
何を失礼なと、よけいに怒られる。現に引ったくりをやっていないんだから。
といって、これは質屋のノブレス・オブリージュですと自分で言うのも可笑しい。
ここは例えば落語の噺で、長屋のおくまや、八百屋のおしげが、
「あの質屋はんが金儲けのために若い子から質に取ったりしますかいな。
質預かりすることで息子さんを助けやはりましてんがな」、
と言うように、自然に言うて欲しいところである。
だからこれは実際は誰かに言ってもらわんといかんわけです。

社会政策として、人は過ちを犯すおそれのある者である以上、
たとえ過ちを犯してもより軽い方へと自然と傾斜さしていく必要がある。
質屋の金利は、そうした社会の安全システムを維持する上で、
「恒産なくして恒心なし」という言葉があるように、
質屋がリスクを取る余裕を持てるように設定してある、・・かも知れない。
どちらにしても一般に余裕のある者がリスクを引き受けるのは良いことだし、
この場合も、時として質屋がリスクを引き受けるのは可だと思う。
 

 
10.09.11 記     疾走する笑い

前から一度、生で落語を聞きたいと思っていた。
それがちょうど2年ほど前に大阪の組合から「質屋寄席」をするとFAXが入ってきた。それで喜んで聞きにいった。定刻前に組合の5階の特設会場に入ると前に高座が組んであり、私は後ろの方の席が空いていたので座った。開演に先だって落語家の挨拶があり、そのあと笛と太鼓が鳴り拍子木がチョンと入っていよいよ落語が始まった。生で聞く落語の迫力はすさまじく爆笑につぐ爆笑であった。

それ以来すっかり落語にはまってしまった。
それで当日もらった寄席のチラシを見て、休みの日に高津亭へ聞きに行った。高津亭へ行くと入り口で先日の「質屋寄席」で演じた桂福車と桂出丸が「いらっしゃい!」と呼び込みをしていた。私は人見知りする性格で、このように声を掛けられるのが昔から大の苦手である。それで高津神社にお参りに来たような顔をして前をやり過ごし、本殿に行って賽銭を上げて柏手を打って、すこしぶらぶらして、それから木戸銭を払って中へ入った。

会場の高津亭はおよそ12畳と15畳ほどの続き部屋でそれに縁側が付いている。寄席の時は間の襖を取っ払って縁側も取り込んで一つの大きな部屋にしている。しかし構造上どうしても部屋の中に柱が1本残る。会場はおよそ満員でこの柱の後ろが見えにくいからか空いていたのでそこへ座った。しばらくして太鼓と笛が鳴って開演である。

この寄席はまず出演者の落語家4人がジーンズにポロシャツというラフな姿で出てきて、椅子に腰掛けてフリートークをする。この時の話の内容は仲間の内輪話であった。
それがだんだんと、自分たちが毎回ここで自由に話していることを、仲間の悪口を言っているように手紙に書いて、協会に匿名で投書する者がいるという話になる。しかもその犯人はこの中にいる、投書するなら堂々と実名でせえ、と密告者捜しの様相になってきた。
(もっともこの投書犯の話自体が、あなた方の中に犯人がいる・・、と言って観客を引きつける手だったかもかもしれないが)。

しかし前にいる落語家の視線が、何か気のせいか特に私の方を見ているように見える。元もと落語家の視線というのは観客を見ているのか見ていないのか分かり難いが、私をにらんでいるようにも見える。先ほど入り口で、「いらっしゃい」と声を掛けられて知らん振りをしたのが悪かったのか。神社にお参りに来たような顔をして、賽銭を上げていた者が今ここに座っている。不審である。話の内容からして、どうもこいつが怪しいと私を見ているのではないか。
そうこう考えると、身に覚えはないのについ前の柱の影にスーッと上体を隠した。そうすると前にいる落語家から見るとやっぱりこいつや、と。
しかし、そんなアホな。
仲間の悪口も、協会への投書のことも、私は知りません。
寄席を聞くのは最初が質屋会館で、今日が2回目です。

こんな理不尽な目に会いながらも、続けて繁昌亭、鶴橋の雀のおやど、草津のそば屋、と休みの日には都合をつけて聞きに行った。
そしてついに京都の二条駅の前の喫茶店であった時には寄席の後の食事会に残って、私は先日の質屋寄席で初めて生で落語を聞いてすっかりはまった質屋ですと怪しまれないように名のったようなことである。何で落語を聞くのにこんな苦労せんならんねんやろ。
 

 
10.08.24 記     書くということ

質屋組合の業報誌の編集で何度かテープ起こしをしたことがある。
組合長の話とか、同業者の座談会とか、専門家を招いた組合勉強会の内容とか、あるいはお店を訪問してご主人に少し語っていただいたこととかを、業報に書くのに現場のメモだけでは無理だからテープに録音して、後で再生して文章に起こすのである。

そうした中で一番テープ起こしがやさしかったのは大学の助教授の講義だった。(注)
サラ金規制法が成立した時で、演題はこの法律と、その中の「みなし利息」について、法の整合性の観点から論じるものであった。勉強会としてはずいぶん硬派であった。
その時は一番前の席で録音していたのだが、若い助教授は5行ほど書いた紙切れを机に置いただけで立って講義していた。後日その録音テープを再生・停止しながら講義内容を便箋に書いていくと、最初から最後まで、そのままで完全に文章になっていた。
いつも同業者の話は文章に起こすと大概筋が通っていないので苦労する。また自分も書くのに何度も書き直しているから、この若い助教授の能力はすさまじいものだと思った。

この驚きと同じようなことが前に新聞に載っていた。
新聞にエッセイを連載している人が、たまたま飛行機で芥川賞作家と同席になった。自分はノートパソコンを開いて、キーを打って指先からでた言葉を摘まんだり消したりしながら、立ち上がってくる考えを整えエッセイの文章にしていくが、隣の席の作家は2Bの鉛筆で原稿用紙に、叩きつけるように書いていく。すさまじいものだったと。
芥川賞作家にとっては、書くということは2Bの鉛筆で思念を叩きつけること。だけど自分の書き方も、それはそれで良いのではないかと、そうエッセイストは書いていた。

私もこのエッセイストと同じような書き方をしている。
パソコンのキーを打っては考えて、訂正して、文字の位置を変えて、座りを考えて、補正して、消して、また考えて、その内にいよいよもゃっとしてきて、それを何とか言葉化するのに苦労しながら書いている。
私のこの書き方は昔から同じようなもので、若いときは自分の意見を業報に書いていた時があるが、当時は書き出しが気に入っていて、展開がスムースで、言葉の落ち着きが良いと、その文脈に合うように結論を書き直したことがあった。そうすると結論が最初とすっかり変わってしまって、これでは主義も主張もあったものでない、こんなことでいいのかと思いつつ、そうして文章を書いていた。
しかし今頃になって思うのだが、論の展開がスムースで無理がなく、言葉の落ち着きがよく、自分の気持ちに正直で、文章に成っているのであれば、その結論は結果、正しい考えであったのだと。

(注: 当初この文章では法学部の助教授としていましたが、立命館大学の経済学部の助教授でした。)
 

 

10.07.21 記     貴殿益々ご清栄の段

このごろ昼も夜も大変暑い。
この時期になると昔よく質流れ品の扇風機を売ったことを思い出す。
去年の秋口に、涼しくなって要らなくなった扇風機を質預かりして、年が変わって流れて、暑いこの季節に売るのである。利幅が大きくよく売れた。40年ほど前のこの暑い今頃は、古い扇風機の網を外してきれいに掃除して、試験をして店に並べるのが私の仕事だった。

試験をすると中に首の振らないものなど故障している物があった。そんな中に強(1)にしても・・(当時は今と逆で強い順に(1)(2)(3)だった)・・弱い風しかこない扇風機があった。コンデンサーかあるいはモーターがへたっているのだ。仕方ないので安い値段を付けて店に並べた。そうすると買うお客さんがあった。しかし黙って売るわけにはいかないから、これは一番強い(1)にしてもあまり風が来ないのですと説明した。そうしたら、その方が良いのです、印刷の仕事をしているので強い風だと紙が動きますので、といって買って行った人があった。いろんな人がいるものやなと後で母親と笑った。

それが不思議なことに、この人と後日親しくなって店の広告の印刷を頼むことになった。この人は教育大学を出て編集やガリ版印刷を自分でしているインテリだった。絵も描く、ピアノも弾く、タクトも振る、母親はこういう人のことを器用貧乏と言うねんと言っていた。
頼んだ広告は、質屋はこの頃こういう仕事をしています、急な出費の折りなどいろいろお役に立てることがあります、当質店をご利用ください。こういう内容の文章を手紙形式で考えて印刷して欲しいというものだった。私が暇にまかせて手紙にたたんで封書にして団地の郵便受けに入れて歩こうというのである。

出来上がってきた広告文は、
「拝啓 貴殿益々ご清栄の段慶賀に存じ上げます。
さて今般の物価上昇により皆様方のご家庭に於かれましては・・」
と格調高い手紙形式の文面だった。
この一文が組合の理事長の眼に止まり、私が書いたものと勘違いされて、そんなに書けるのなら組合の広報部に入って下さいとなった。
その後、私が書いたのでないことを結局言いそびれてしまったが、
この書き出しの「貴殿益々ご清栄の段」、については話題になった。
益々ご清栄の人が、質屋に来るか、と。

 

 

10.06.27 記     上等な人

アカンベをして文句があるなら裁判所へ言うて行け、と昔そう言われたことがある。しかし裁判所へ行けと言うことは、同時に相手が既に一仕事終えているということである。もしも相手の言うように裁判所へ行けば、その仕事の仕上げを手伝うようなものだ。
それで何年も何年もしんどい気分の時期があった。ある時教室で知ったタイル屋さんに思い切って相談すると、それはこう考えたら良いと教えられた。例えば小説を読んでいて登場人物のすることを、俺やったらこうせいへんなと思うことがあるやろ。同じように俺やったらせいへんなと、そう思たらいい。

この言葉で私は助かったと思った。俺やったらせいへんな。俺やったらこうするな。その後ずっとこう思うことで気分が助かってきた。一つの言葉がこれほど心を通すものかと思う。先日新聞のコラムに、鳩山首相が辞任会見で言葉が国民に届かなくなったと言ったのを取り上げて、(政治家にとって)言葉は弾丸で心を通すための火薬は信である、鳩山由紀夫はすでに火薬が尽きていたのであると、そのようなことが書いてあった。

その昔、上記の件で仲裁の労を取りますという話が何軒かの店主からあった。しかし心を通すような言葉はなかった。皆さん火薬が尽きていたのである。アカンベされる私も上等でないが、アカンベする人も上等でない。そして質屋はこのタイル屋さんのように火薬をたくさん持った上等な人ばかりではないのである。
だからこのところの質屋に対する過払い訴訟で質屋側が連戦連勝していることについて思うのである。またぞろ文句があるなら裁判所へ言うていけ、などと言う質屋が出なければいいのだが、と。

 

 
10.06.06 記     質屋は叩かない

お客様の中に他の質店での不満を云う人がたまにある。
こんな値段を付けよる。こんな対応をしよる。
あんな店には二度と行くものか、と。
お客様は不満を吐きだしたら気持ちがおさまるし、
私の店も他店で悪く云われているかも知れないから、
どんなことで腹が立つのか勉強にもなるので聞いている。
中に「めちゃくちゃ叩きよる」というのがある。
あの店これを5千円と云いよる、アホ違うか、と。

先日私はそう云うお客さんに、それは違うと答えた。
質屋も物によって預かりたい物と、預かりたくない物がある。
預かりたくない理由は、実に実にいろいろある。
しかし預かりたくないと云うとお客様に失礼だから、
値段を相場よりわざと安く云う。
そうすると自然とお客様は止めて帰るから預からないで済む。
そういうことを質屋では値段で逃げるとか、降りるとか云う。
ただその質屋は若いから逃げ方、降り方が下手やった。
それでお客様をそんなに怒らせてしまった。
しかしお客様は常連さんだし相手の質屋は若いねんさかい、
これはあかんと思ったらその品は右のポケットにしまって、
左のポケットから別の品を出すとか・・。
しかしまあ、一般に質屋は叩きませんなぁー。

質預かりから逃げる。
そのために質屋はどの程度安く云うのが正解かは難しい。
逃げるつもりであまりに安く云うとバカにしているように思われる。
しかし少し安いだけだと、
それで結構ですと云われて予期しない展開になることもある。
本意でない値段で預からなければならなくなる。
それで私はこのごろ正直に、
「この品物は当店はあまり得意でありません」
「それでも値段を付けた方がいいですか」
「まず他の品から先に見ていきましょう」、などと言っている。
 

 
10.05.04 記     質屋の金利を考える夕べ

数年前に地元の自治町内会の幹事役をやったことがある。
幹事と言っても町内の役だから大した仕事はないのだが、月に一度、決まった週の土曜の夕6時半から町内の集会所で定例役員会があった。毎回10人ほどが会議用のテーブルをロの字かコの字に囲んで2時間ほど会議をした。

定刻に行くと担当のご婦人がその日の議題を書いた用紙といっしょに出席者の数だけテーブルに半紙を敷いて食事を並べている。ちらし寿司か巻き寿司のパック。それに缶ビール、ウーロン茶、ストロー付牛乳パックなどの飲み物。時によって小袋に入ったピーナッ、柿の種、酢昆布、スルメなどのスナック菓子。ポテトチップス、かっぱエビせん、キャラメル、ラムネ菓子などのおやつ。そして横にスーパーの小さなナイロン袋が置いてある。帰りに菓子をナイロン袋に入れてお土産にするのである。

当店のある枚方市岡東町は駅前で企業が多く住民は少ないのだが、住んでいる人は昔からの人が多く皆さん余裕があり心が豊かで知性が高い。夕方に近所の者が集まってビールを飲みながら町内会の明日を考える。中には隣の席のご婦人から缶ビールをもらって2本目を飲んでいる人もある。お金は掛かっていないが何となく豊かで幸せである。こうしたことは地元の良い文化であると思う。

上は地元の自治町内会でのこと。次は私の知っている質屋組合でのこと。

数年前、ちょうど貸金業法の改正案が国会で審議されている時に、質屋の金利はどうなるのか気になるが、組合の業法には何も書いていないし何の情報も入って来ない。
それで他の質屋は金利についてどの様に考えているのか知りたいので、京都の質屋組合は軒数が少ないので丁度良いと思い、京都の組合に、会議というほど堅苦しいのでなく組合員が集まって夕方にビールでも飲みながら「質屋の金利を考える夕べ」などしませんかとメールを打った。
そうすると、それは結構なことです、との返事があり後日組合から「質屋の金利を考える夕べ・・を開催」と日時と場所を記したFAXが入ってきた。しかしそこには場所としてビアホールの名前が書いてあった。これはちょっと違うがなと思ったがもうおそい。

それで当日、定刻の7時前に京都の繁華街のそのビアホールに行くと、やたら細長いテーブルが置いてある細長い特別室であった。7人ほど集まったところで組合長が早く飲みたいものだから先ず乾杯しょうと言って、それで先着の7人ほどで乾杯した。それから遅れて何人もがパラパラパラパラ到着した。質屋の集まりは店を閉めてから来る人が多いからこうなるのである。遅れた人が到着する度に明るい組合長さんがよう来たまた皆で乾杯しょうと言って、その度に皆で乾杯した。鳥の唐揚げ、ウインナー、牛肉のたたき、生ハム、ホタテのバター焼きなど。料理は何皿も何皿も細いテーブルに並んだ。

しかし議題を書いた紙一枚、資料の一部も用意されてない。これは最初から・・を考える夕べ・・なんて言うものでない。ただの割り勘の飲み食い会であった。
私が組合へメールした、「夕方にビールでも飲みながら質屋の金利を考える夕べなどしませんか」の提案の内の、「夕方にビールでも飲みながら」だけを組合は受け取ったのである。ああ!
 

 
10.03.23 記     思われかねない

当店では質預かりが長くなる場合は預かり直しにすることがある。利入れ時に一旦受け出し処理にして、新しい質札を発行するのである。
しかしこの預かり直しのやり方が、お客様の代理人から「実は過払いの返還請求を逃れるための作為である」と、思われかねないとする考えがる。この考え方について反対する意見を述べたい。

先ず当店が預かり直しをする理由。
1、事務的なこと
帳面が手書きなので利入れを書き込む欄がなくなってくるから。
帳面の利入れとお客様の記憶に違いがないか改めて確認できるから。

2、営業上のこと
お得意様に預かり直しすることで利息の一部をサービスしやすいから。
新しい質札では利息を下げるサービスができるから。

3、心づかいのこと
預かり直しすることで受出し、減額、流質などの動きに繋がることがあるから。
要らないものを買取にして整理し、要るものだけを預かり直しにするとムダがないから。

次に、「思われかねない」・・この言葉が嫌いであること。
一般に預かり直しすると質屋は利息収入を減らすことになる。逆に言えば預かり直ししないことは収入を減らさないということである。減らないことは減ることからいうと金儲けだ。
その金儲けのために預かり直ししない理由を、すれば思われかねない、を引っ張ってくる。誰が思うかというと「する自分」が思う。自分が思うのだからこれは先手でいい手である。しかしここには金貸しが侮蔑的に語られる理由と同じずるさがあるから。

結論
良い手を考えついたら囲碁や将棋なら先手で打てばいい。しかし相手はお客様である。質屋にとって良い手だからといって、その手を打っていいということにはならない。まして長く質入れしているお客様は明らかに弱者である。
また思われかねない、と質屋が考えることは言い方を変えると、先で思いかねない、とお客様を疑うことである。今質屋が職種として絶滅危惧種なら、質のお客様は減っているのだから消費者としてもっと絶滅危惧種である。まして質屋を信用して利息を1年も2年も払い続けているお客様は、もう天然記念物みたいなものである。業界としても手厚く保護しなければならない。そのお得意様に対して思いかねないなどと疑うのは以ての外である。
 

 
09.12.31 記     質屋の可能性を構造主義から探る

先月、新聞がレヴィ = ストロースの死を報じていた。
その追悼記事にある構造主義の短い解説を読んでいて、私が質屋として長い間だ腑に落ちなかったことの答えがここにあると思った。
それは今から30数年前の自分がまだ若いときに思ったこと、−−これから世の中が進み、経済が発展し、社会が豊になっていくと、質屋という古い業態を利用するお客様はいなくなるのではないかという−−。
しかし、実際はその後も質屋のお客様はそれなりにありつづけた。
そのなくなっていくと思った速度と、その後もあり続けた現実の減少速度との間のズレ感が、私には長い間だ説明つかないものとしてあった。

新聞の解説では、構造主義によると社会はAからB、BからCへと発展しない。そのように発展すると考えるのは、今属する社会の歴史観である。社会には深層の構造がある、・・と考えると書いてある。
構造主義という名前は昔から知っていたが、何か取っ付きにくくて内容はよく知らなかった。
それで構造主義の本を探すと、
「寝ながら学べる構造主義」内田樹著(文春新書)が見つかった。
・・私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。・・私たちは、歴史の流れを「今・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向がある・・と本に書いてある。

そうすると私が30数年前に将来質屋のお客様はなくなっていくと考えたのは、構造主義で解説すると当時の「歴史観」ということになるだろうか。
確かに私が質屋の商売に入った昭和46年ごろ、古物市場で会う先輩の質屋は、質屋という商売はこの先すたれていくと考えている人が多かった。当時40才前のその人達は小学生の時に終戦を迎え、戦後の質屋を内から見てきた人達であった。昭和30年前後の質屋の全盛期を見、店を継ぐようになって昭和46年になるともうお客様はだいぶ減っていたと思われる。万博を過ぎ、世の中が進み、経済が発展し、この豊かさの中で古い業態の質屋を利用するお客様が、これから先も居続けると思えなかったのだろう。
また質屋自身ばかりでなく世間も、その後の昭和50年代を通して、今の時代に質屋さんなんて・・まだあるんですか、と考える人もいる、そういう時代であった。世間も含めたそうした周りの状況のなかで、私もまた質屋はこれから先すたれていくと考えていたのだろう。

しかしその後、質屋は予測したようにはなくならなかった。
もちろん少しずつ質屋のお客様が減り質屋の軒数が減っていったのは確かである。私が初めて古物市場へ行った昭和45年ころは、振り手が「冠替わり!どこどこの○○さん!」と売り手が替わったことを帳場へ叫ぶのだが、この「冠替わり」の声が夜遅くまで続いたものである。それが少しずつ売る質屋の軒数が減ってあまり冠が替わらなくなった。しかし反面大きな質屋の荷物は増えて、その後も不思議と市場は出来ていた。頑張っている店は、時代が進んでも、お客様があったということだろう。
そうすると、この無くなっていくという予測と、無くなっていかない現実の間のズレの原因を考えることは、質屋の可能性を探る有効な方法であると言える。
それで「寝ながら学べる構造主義」という本を頑張って座って読んだ。寝ながらでも学べるというだけあって、分かりやすい解説で、最後まで読んだ。読んでいる間だは一応文章は分かったつもりである。

それとこの本を読んでよかったと思うことは、構造主義の解説は文化人類学のレヴィ = ストロースだけでなく言語学(ソシュール、他にフーコ、バルト、ラカン)の解説に及ぶが、「質屋」というこの言葉について、私が前から考えていたことが当たっていたように思えることである。
それは近年の質屋が目指してきた方向(昔の質屋の暗く貧しいイメージをなくして、明るく豪華なイメージを質屋に持たせようとすること)が、一方では「質屋」という、この言葉の力を弱めたのではないかという自分の考えがである。
構造主義の本が言葉について述べているのを読むと、「言葉」には分節された固有の幅と奥行きがある、あるいはまた、語には含まれている意味の厚みや奥行きがある、とある。質屋のイメージを良くしょうと、質屋が例えば「清く正しく美しく」と自己規制することが、一方で「質屋」という語の幅や厚みや奥行きを狭めてやせ細らせることになったのではないか。そう前から思っていたことと合うのである。

もうだいぶ前であるが中学生が二人自転車に乗って店の前に差し掛かると、質屋や!と言って走って行くことが時々あった。しかし最近はこの「質屋や!」の声を聞かなくなった。昔は店の「質」の看板を見て、中学生の心に一瞬にして立ち上がる強いものがあったのだろう。「質」の喚起力。それは明るいものでも豪華なものでもない。「清く正しく美しい」ものでもない。ムワーッと強烈に立ち上がるもの。しかしそれを質屋は嫌って今まで必死になって消してきた。

また数年前朝日新聞に万博のころの東京の質屋の様子を伝えた当時の紙面が載っていた。その紙面の隅に質屋を話題にした当時のサザエさんの4コマ漫画があった。内容は、サラリーマンが夏休みに子供を海水浴に連れて行きたい、ついでに子供の喜ぶ写真も撮ってやりたい、と同僚に嘘をついてカメラを借りる。しかし借りたカメラはそのまま質屋に持って行く。後日カメラを同僚に返す時に日焼けしてないので海水浴に行っていないのがバレル、そういう笑いであった。しかし今はこれが笑いになるかな? この漫画は同僚から借りたカメラが偶然あったので質入れしたというのではない。金が要りようだから子供をダシに同僚をだまし、カメラを質入れしたのである。そうして利用される先の質屋は、モラル的に問題のある行為だからある種の暗い影を纏うことになった。時代が進むと笑いが笑いにならないのだから、これまで質屋はこの種の影を振り払ってきた。

しかしそうした質屋の思いもまたその時代の意識ではなかったか。もともと物を質に取って金を貸す。それが暗くない筈はない。(もっとも暗いと思うのも、この時代、この社会の固有の意識かも知れませんが)。しかし質屋の暗さは、例えば寺の本堂で仏像の裏へ回ったときのあの空間の暗さと何となく通じるものがある。大仏殿の正面の世界と大仏の後ろにある世界は違うようにみえる。明と暗。「表みせ 裏をみせつつ散るもみじ」 表と裏で一葉。在るということはそういうことだから。しかも担保行為が何せ原初からの形だから深層に根を張っている。だから質屋は地でいく方が力を取り戻せるのではないかと、最近店が暇につけ思うのである。

まあそんなことを思いつつ、一つ手紙を書いてみる。この種のことを毛嫌いする人、マユをひそめる人、無視する人。これを可とするか不可とするか。しかし中には優でないとしても良であると考える人がいるのではないか。人の考えはいろいろであるのだし。

設定、 父親60才(早期退職のあと家にいる)
     息子25才(家出をして行方知れず)
その息子がある日突然に帰ってきた。真っ先に仏壇の前に座り、亡きお婆さんの命日に仏様にお線香をと殊勝なことを言う。見ているとお婆さんの好物だった果物をお供えし、仏壇の下の引き出しからマッチと線香を取り出して火を点け、チンと鳴らして、神妙に手を合わせている。母親は喜んで風呂を立てるご飯を炊くとバタバタするが、父親は妙なことがあるものだと半信半疑でいる。それが席を外したわずかの間に息子は掻き消すように居なくなった。母親は残念がってへたり込んでしまう。父親は一体何しに来たのか解せないでいる。するとそれから3日ほどして息子から手紙といっしょに質札が送られて来た。

・・手紙はまたいつか書いて載せます。
 

 
09.08.16 記     真夏の朝のできごと

8月に入って朝から蒸し暑い。
しかし店では朝9時に開店して10時まではクーラーを我慢している。
省エネのためもあるし、
また一日中店に居る仕事だからクーラー漬けになるのを避けるためもある。
先日その暑い店に買い物車を引いたお婆さんが、
「きのう売った反物を返して」と言って、朝一番に入ってきた。

確かに昨日、このお婆さんから古い反物3本を5000円で買い取った。
何十年も前に購入して、いつか着物に仕立てようと思って、
そのままタンスにしまい込んでしまった正絹の反物である。
私の付けた5000円の値が安すぎるとため息ばかりつくので、
売っても5000円だから持って帰った方がいいと再び風呂敷に包んで返すが、
土間の椅子に長い時間座って考えた末に、
結局、安いやなんのと不満云をいつつ売って帰った人である。

それを今朝来て、やはり売るのをやめるから売った金額で反物を返してと云う。
しかし一応、取引票に売りますと書いて、
代金の5000円を受け取って帰ったのだから、
返すとしても元値というわけにはいきません。
1000円つけて6000円ならお売りしますと言うが、
昨日の今日でそれはあくどい、売ったことをやめるのだから、
売った金額のままで返して、クーリングオフや、
書いた取引票も返して、破るからと云うが、
取引したことを今からなかったことにはできない。
きのう5000円で買った品物をきょう取りに来て1万円というのなら、
それはあくどいか知れんが、
手間も掛かることだから1000円はもらいたいと云った。

昨日は暑い中を反物下げてきて、5000円はめちゃくちゃ安いと思ったが、
また持って帰るのは重くてしんどいし、買い物車はないし、
それにもう体がしんどうて考えられなかったと。
しかし夜中に思い返すと、反物をボロのように言われて、
それに自分のことをボロカスに言われて腹が立ってと言う。
しかし私はきのう反物をボロのように言ったわけではない。
こうした古い反物は多くの家庭にあるが、
これを着物に仕立てるには、まだ胴裏と八掛と縫い賃が必要で、
今さらこれを着物に仕立てたところでこの古い柄の着物を誰が着るのかとなって、
こうした反物の使い道は難しく結局は引っ越しとか、
家の立て替えの時に整理されてちり紙交換に出たりして、
その場合は金額がただに近いわけで、
相場としてなかなか難しいですと説明したことが、
その意味が伝わる人ではなかったということである。

またお婆さんをボロカスに言ったと思い違いをしているのは、
私が付けた値段が安いの何のとため息ばかりつかないで、
安いと思うのなら、売るのを止めて持って帰ったらいいのだから、
しかし売るのならこれは取引やから、もう少し気持ちよくしましょう。
これから老人ホームへ入るので品物を整理していると云われるが、
何でも自分の思い通りにならないからといって、
そう不満げに、ハー、ハーとため息ばかりついていたら、
これからホームの皆さんと上手くいきませんよと言った。
そうしたら、いらんお世話やと返されたが、
そのあたりのことを言っているのだろう。

お婆さんは5000円で返せ返せと云うし、
私はアカンもんはアカンと突っぱねるし、
警察でも消費者センターでも行って聞いてもらいと言うが、
この店は暑いのにクーラーもつけてないんかと文句たらたらで、
土間の椅子に座って動かないし、
出て行って下さいと土間へ下りて袖を引っぱると扉にしがみついて、
暴力や暴力やと叫ぶし、
クーラーをつけてないから風通しに店の入り口は開けたままだし、
世間体は悪いし、しかたがないから反物と買取引票をもって、
これからポリボックスへ行ってお巡りさんに話を聞いてもらうから、
お婆さんも一緒についといでと云った。
しかし座ったままで動こうとしない。困ったなと思うが、
家人がここで起こったことだからここへ来てもらったらと云うので、
それもそうだと思って110番すると、
住所と電話番号をきいて直ぐやらせますと言われた。

この時点でまだ私の意識には、
なんぼお婆さんでもアカンものは横になってもアカンねん。
昨日あれだけ安いとため息ばかりついて、私にしたら面白くもない、
売らないで持って帰ったらと薦めたものを、あなたが売って帰ったのではないか。
その挙げ句に、やっぱり売るのを止めるから元値で返せと云うが、
そう何でも自分の思い通りになるものか。
それでは商売人はどこで食べていくねん。
腹が立つからこの人に道理を分からしてやろうという気持ちと、
もうじき警察の人が来る、こんなことになって、
お巡りさんの手を煩わすことになる、
少しは懲りてちっとは心を入れ替え、性格を改めたらどうかと、
お婆さんを教育したるという気持ちとがあった。

(・・それと後日よく考えるともう一つあったように思う。
反物を紐で結わえ買取票を持って、お婆さんついといで、と言って土間へ下りたとき。
ティーシャツに綿パン、ツッカケを引っかけ野村證券の前の信号を一緒に渡っている、
その私の姿に、実は質屋の一つの完成を見ていたのではないか。
しかしお婆さんはそんな質屋のロマンに付き合う気はないと言わんばかりに、
でんと座ったまま少しも動こうとしない。
だから自分の勝手なロマンをぶち壊されて面白くなかったということも・・。)

直ぐに若いお巡りさんがバイクで来た。
入ってきたお巡りさんに呼んだ私より先にお婆さんが話しかけた。
それでお巡りさんは先ずお婆さんの話を聞き、次に私から経緯を聞いた。
そしてまたお婆さんの言い分を腰をかがめて聞いた。
その内に座っているお婆さんの横にしゃがんで、
以前、自分がバイクを売った時のことなども話しながら丁寧に聞いた。
相づちを打ちつつ時々話す内容はこの場に即した自分の頭で考えた良い言葉だ。
そうするとお婆さんの言うのは、当方にもう少し優しい対応をして欲しかった、
昨日も売ろうか止めようか考えているあいだ、ほったらかしにして店の奥へ入ったが、
そのままカウンターの前で待っていて欲しかった、・・等々と。
しかしそう言われても、・・・私も他にせんならん用事もあるのだし、
3本で5000の古い反物を買うためにお婆さんが判断するまで、
カウンターの前でじっと待ってられへん・・。

こんな応酬があって、
私は一応お巡りさんに来てもらった目的は果たせたと思ったので、
1000円は結構です、元値で反物をお返ししますと言った。
そしたら今度はお婆さんが1000円は払うから私に謝って欲しいと言い出した。
間に立つお巡りさんがそんなことを言い出したら終わらない・・と。
家人がカウンターの下から私に「あやまって返したら」とメモに書いて渡す。・・そんなアホな。
結局、私が3本の反物を新しい紙に巻いて差しだすと、
お巡りさんに話を聞いてもらったお婆さんは、「すいませんでした」と言って、
持ってきた風呂敷につつんで買い物車に入れおとなしく帰っていった。

お婆さんと一緒に店を出て見送ったお巡りさんが直ぐに戻ってきて、
カウンターの上で私の住所、名前、電話番号を聞いてノートの隅にボールペンを走らせ、
簡単な報告の元になるものだろう、次にお歳はと聞いて、私が60才ですと答えた時、
心なしか一瞬ペン先が紙の上で止まったように思えた。
私がありがとうございましたと頭を下げるのと同時に出て行かれたが、
すぐにこの争いは私の方が悪いと思った。
お婆さんは昭和6年生まれの78才。私は60才。
とても60才の質屋の主人が78才のお婆さんと、もめる内容ではない。
レベルが低すぎる。
若いお巡りさんのボールペンが一瞬止まった時、それに気が付いた。
ああ我、60才にして未完なり。
 

 

09.06.21 記

       目利き相談会 終了のお知らせ
 
06年12月より近くの自治会集会所で毎月第3土曜に開催してきました、
「質屋の目利き相談会」は一応初期の目的が達せられたと思いますので、
6月をもって終了させていただくことになりました。ありがとうございました。

なお今後は、品物の相場や値踏みの仕方など、
お知りになりたいことがありましたら、
橋本質店に営業時間中にお問い合わせくださいませ。
TEL 072−845−0200
分かる限りお答えさせていただきます。

 

09.05.13 記     預かり直し

当店ではこの頃よく入質品の預かり直しをしている。
利入れによる継続で取引が長くなった場合、
一旦受け出し処理にして、
新たに少し元金を減らした質札を発行するのである。
そうすると僅かでも元金が減り利息も安くなって、
お客様は受け出しやすくなるからである。
しかしその時、実際は何ヶ月分かの利息をまけることになる。

質屋では3ヶ月経つと流れるが、
一般にお客様は流れる間際になって流れないように利入れに来られるから、
この時点で元金を減らすには、
一旦受け出し処理にして預かり直すため3〜4ヶ月分の利息がいる。
しかし普通お客様にそこまでの余裕がないから、
またその内にとなって、
いつまでも元金が最初のまま貼りついて利入れだけが続くことがある。
しかしその状態が質屋としていいとは私には思えないから、
当店では仕方がないから利息分を棚上げして(実際はまけて)、
一旦受け出しにして、今日利息として用意された一ヶ月分の金額を元金返に回して、
わずかでも元金の減った、新しい質札を発行することがあるのである。
そのように打ち切り線を引いて、預かりを少し動かしてやると、
じゅんじ元金が減って受け出しになることが多いからである。
またそのことは同時に、これまでの実質利率を下げることになる。
具体例で言えば、2年前に預かって20ヶ月分の利息をもらっていた場合、
4ヶ月分まけたら2割まけたことになる。
例えば5分で預かったとしたら2割まけるということは1分まけることになるから、
今までの利率はおよそ4分換算になる。

質屋の利息もお客様が1年も2年も利息を払い続ける人が多いのなら、
3分でも2分でもいいのだが、1ヶ月、2ヶ月で返されるお客様が多いし、
中には流してしまうお客様も多い。
だから普通のところの質預かりは最初5分欲しいとなるのだが、
長い場合は預かり直しにして今までの利率を実質下げるというのも、
質屋としていいのではないかと思っている。

本来質屋の利用は短期のお金を借りるのが通常で、
長く継続した借り入れは本筋ではないが、
何といってもお金に困った人が利用されるのだから、
元金まで返すのはしんどい場合があるのは現実だろう。
もちろんそういう場合は品物を流したら終わりだから流せばいいのだが、
しかし長い間だ利入れされているということは、
お客様は完済して品物を取り戻したいと強く思っているということが、
形としてそこに出ているわけだから、
やはり質屋としても実現するように手助けする必要があるのではないかと思う。
 

 
08.11.21 記     思考停止にしないで

これまで質屋は貸金というものが帯びる原罪性の前で黙してきました。貸金による利息とは要約すると今の貨幣の価値と将来のある時点における貨幣の価値との差です。経済活動による利潤とは物を作るにしろ動かすにしろ、あるいは労働力を買ってそれをするにしろ、つまりはその前と後との価値の差のことですが、ただ利息は時間という神の専権事項を人が利用する(神の手の中のものを盗む)ところにキリスト教の一神教社会がこれを原罪視する始めなのでしょうか。しかし実際は金融というものは経済発展にどうしても必要なものですから「ベニスの商人」にあるようにヨーロッパ・キリスト教社会では一時期、共同体内部の部外者(ユダヤ人)にさせて資本主義を発展させてきたのだと思います。
(イスラム教も貸金を禁じています。それは同じ理由によるのか、あるいは貸金は財貨である貨幣が利子を生む行為なので一般に貧富の差を拡大させますが、そのことがイスラムの教理に反するからなのかは知りません。)

日本は仏教国です。仏教は一神教と違い人の縁やお陰を大事にしますから、貸借のことである貸金を悪く言う考えは本来ないと思います。
(この文章を書くのに仏教を勉強している知人に、仏教では貸金や利息のことはどう説いているのかお尋ねしました。お答えは、物欲についてはと前置きされて、なにごとも、それを自戒しながらを自覚していればいいのです。仏教ではこの自覚ということを大事にします・・でした。ですから・・つまり、貸金や利息のことを特にどうこういう教えはないようです。)
もともと仏教と質屋は歴史的に縁が深く、質屋のこうした仕組みは遣唐使が仏典と一緒に中国から持ち帰ったと言われています。またその中国へは仏教と一緒にインドから入ったとも言われています。

質に取るということは裏返せば人は信用できないということです。この世に確かなものはない。だから人は確かに信用できる神や仏を想い、もう片方で質という担保を取る保証の仕組みをつくりました。
人類の長い歴史の中で「質」とはほとんどの期間、おそらく人質のことではなかったでしょうか。近くの部族の間で子供を人質に出してお互いに戦いを避ける。しかし不幸にして戦いになった時は、人質の子供を森へ連れて行ってきっと殺したのです。そして将来、部族の子供が大きくなった時に一緒に遊んでいた5才の時の友達が突然いなくなった訳を知ります。同時に自分の兄弟も向こうの部族で殺されたのを知るのです。そしてまた自分も同じことをしていきます。このようにして人類は何千年もの間、きっと安全を担保してきたのです。

しかしそのことは「質」という行為には本来的に業があるということになります。そしてこの頃、どうしても質屋にある暗さのことを思います。それで昔に考えたこんなことを思い出します。

今から35年ほど前の昭和50年頃のことです。当時は店が京都府にありましたので私は京都の古物市場や質屋組合へ行ってました。京都の業界で一番若い私が顔を会わす年上の質屋の主人が、この頃お客さんが減って店が暇や暇やとこぼすのです。そんなある日、京都新聞を読むと京都の高島屋の来店率(年に一回以上来店する人数を対象人口で割ったもの)が、確かな数字は忘れましたが20%ほどで、それを5%ほど増やす計画の記事がありました。それで思ったのは京都の質屋(当時120軒ほど)を年に一回以上利用する人(京都市の人口は140万人)は、質屋の来店率は何パーセントだろうかと。概算で私は1パーセントないと考えました。しかしそれを仮に1パーセントだと考えたとして、例えば高島屋が20%を25%にするのは難しい。しかし質屋が1%を2%にするのは数字の上ではわずかだからそれほど難しいことでない。消費者金融は伸び盛りでお金を借りたいという人は多い。ただ何も質屋にまで行かなくてもと思う人が多くて利用をためらわせているのだろう。だからもう少し質屋の暗さや貧しさの悪いイメージを変えられれば、1%を2%にすることは簡単にできる。それでも残りの98%の人は来ないが、1%が2%になるということは質屋にすればお客様が今の倍になるのだからそれでいい。それにはこれからの質屋はこの方向・・と当時考えて、明るくハッピーな店作りを心がけることにして、暗い面は否定して、そこで思考停止しました。

そのようにして来ましたが、しかしそこには無理がありました。質屋は人の貧しさや業といった暗いものとやはり無縁ではありません。それでこのごろ思うのは、これからは思考停止にしないようにしよう、と。
 

 
08.11.05 記     再び美について

例の消費者金融に対する過払い訴訟において、裁判所が返還請求を認める判決をすることが、どうも私には長いあいだよく分かりませんでした。
なぜ裁判所が、お金を借りる人が了解して法律の範囲内の金利で借りて約束どおりの利息を払ったものを、払い過ぎだから受け取った方は返しなさいと言うのか。それでは嘘はつかない、約束は守る、借りたものは返すといったモラルはどうなるんだろう。第一貸した方からすれば、それなら最初から貸さなかったのにと思うのは当然ではないか。だからどうもこの話はよく分からない、そういう疑問でした。

特に数年前、法律が改正されて上限金利が29%に下がりましたが、その後でも裁判所は過払い利息の返還請求を認める判断をしていきます。しかしその時点で29%の法律はすぐ前の国会で決まった、つまり直近の民意でした。利息制限法は貸金業法より上といっても、「日本国民は正当に選挙された代表者を通じて・・」というのは憲法ですからこれは一番上です。国会という国権の最高機関で、それも戦後の混乱期にできた法律ではなく、少し前の選挙で国民が選んだ議員が国会で決めた法律内の利息を、裁判所がもらい過ぎだから返しなさいというのはどう考えてもおかしいのではないか。それでは国会はその法律に基づく契約は守らなくてもいいという法律を作ったのかということにもなります。それは法による支配という司法がもっとも大事にするものを自ら壊してしまうことにもなってしまう。それなのにどうしてだろう、と。

こうしたことが仮に政治の世界なら、自己破産者の急増などを新聞が書き立て、マスコミが煽り、政治家が人気取りに、いわば魔女狩りのようにして法案を通すということはあるかも知れません。しかし司法の世界が道理に合わない魔女裁判のようなことをするとはとても思えません。また一般に司法というものは性格上、保守的というか現状を後追いするもので、先駆けや前倒しはしないものだと昔習いましたが、立法府で貸金の金利が109%から利息制限法へと向かう方向が出ている状況で、司法が過払いの返還請求を次々と認める判断をしていくことがどうも分かりませんでした。
そして長いあいだおかしいなと思っていたのですが、ある日ふと自分なりに理解できました。

それはこう考えたのが突破口でした。世界には様々な国があります。中にイスラム国家、例えばサウジアラビアなどの中東の国々があります。そうした国では、国家としての憲法の上にイスラム法があります。別にイスラム法廷もあり、そのイスラム法が社会をデザインし、例えば貸金を禁じています。日本では憲法が一番上でその上に法はありません。しかし最高裁の判事が判決を通して日本の社会をデザインしょうとするときに、そのないはずの憲法の上をみることがあるのではないでしょうか。普通そういうものを、真善美といいます。文学でも哲学でも真善美に照らして、というような言い方をします。その中でも特にデザインは美というものに重きをおきます。それは美しいことであるか。それは美しい行いであるか、を重視します。そうすると消費者金融というものは美しくない。美しい行いであるとは言えない。そうした意思が裁判所が過払いの返還請求を認める背景にあると考えると合点がいきました。

そうすると質屋のことですが、もし最高裁の判事が質屋の利息に利息制限法の適用があるかどうかを考えるとしたら、それは「質屋は美しいか」が要点になります。
質屋は貸金でないかと問われると貸金です。質屋の金利は高くないかと問われると高いです。では質屋は美しいかと問われると、確かに質屋には美しいところがあります。だからその質屋の美しいところを、質屋の言葉で語ってみようとするのが前作の「質屋に於ける美とは」の主旨です。

元より美は一様ではありません。質屋が語る美と、裁判官が考える美と、世間が見る美は少し違うかも知れません。しかしそれは例えば立派な寺の庭を見て、いいお庭ですね、という美と、路地のプランタンに咲くパンジーを見て、いいご町内ですね、という美と、どちらがより美しいと見るかの違いとおなじです。そして社会をデザインするのにどちらがより好ましいかは、また議論があるはずです。
 

 
08.08.19 記     質屋に於ける美とは

手紙にはいつも無印の小型の便箋を使っている。書きすぎないからこの大きさがちょうどよく、先日も切らしたので夜に店を閉めてから買いにいった。遅い時間だから広い店内に客はまばらで、すぐに買い物をしてレジに行くと、ちょうど前の人が終わるところだった。私も続けてカゴを出してレジを終えた。すると急に後ろから「私は前からここに立っているんです」と若い女性の大声がした。レジが空くのを停止線で待っていたというのだ。
店員は謝り、私はカウウンターへカゴを出したのが悪かったと言ったのだが、女性の怒りが収まらない。店員が何度も謝り、その言葉の中で「眼に入らなかった」と言ったのがまた火をつけたことになって、「ここに立っていて何故眼に入らないのですか」と、今度は体をよじって抗議する。

もうえいやないか。俺が悪かったんや。カゴを出したから自然と受けてしもたんやろと言うが、「あなたに言っているのではありません」と、とりつくしまもない。レジカウンターの前に引いてある停止線が、レジが三つあるうちの二つまで休止中の時にしては離れすぎていて、確かにそのあたりに女性がいたようにおもうがレジを待っているようには思わなかった。
しかしそれにしてもこの執拗な抗議はなんだろう。第一、レジを待っていたのなら私がカゴを出したときに、後ろから自分が先ですと言えばいいではないか。このように些細なことに激しく怒り、消費者の立場で弱い店員を執拗に困らせる。また店員はマニュアルどおりの謝罪を繰り返す。不毛と言うか、実がないと言うか、とにかく美しくない。

しかし質屋では普通こんなことは起こらない。私の店ではお客様が多少失礼に思われることがあっても抗議するということはまずない。それは一つには、質屋で抗議していても、あまり格好よくないと思うことと、二つには相手が弱い立場の店員ではなく店主だから、あまりのことを言うと、何を言ってるんですかと逆に怒られるからである。先の例で言えば、自分が先ですと何故言わないのですか、というように。

この数年に限れば私の店で対応が悪いと抗議したお客様は、10万円金貨を入質に来て10万円以上にならないかと言うので、10万円のお金が10万円以上になったら世の中みんな金持ちになるやないですか。朝に銀行に並んでそんなに簡単に金儲けできたらだれが働きますねんと言ったら、あなたの言い方は大変失礼だと怒った人があるくらいだ。確かにこれはお客様に対して口のきき方に失礼がありました。
それとこれはもうだいぶ昔の話になるが、酔っぱらい(継続的に酔っている人)が安価な時計を入質にきて、断るとしばらくしてビデオを持ってきた。しかしビデオは預かってないと断ると「お前とこは何を持ってきたら預かってくれるねん」と言うので、「そんなことよりも風呂へでも入って酔いさましたら」と言ったら、この「風呂へ入ったら・・」という言葉が、自分が汚れている、汚いと言われていると受け取って激怒した人があった。怒鳴り散らす、げんこつでカウンターを叩きたおす、もう収まらなくなった。警察に聞いてもらうと言いだして、電話かせとなって、自分で110番した。「この質屋、俺に風呂へ入りと言いよんねん。俺は今朝、有馬温泉から帰ってきたのに・・」。途中で警察が電話を替わってと言っているというので、替わって状況を説明した。

以上ような例を書いたのは、だから質屋には「実」があり、これはちょっと難しいのですが、だから美しいと、何とかそのようなことを書きたいと思うからです。書くということは日ごろ漠然と思っていることに道筋をつけて普遍化することですが、文章にしていったん普遍の風にさらして耐えられるかどうかを試してみたい。もしその文章に耐える強さがないのなら、それは考えが間違っているかあるいは書く私の力不足かです。そうした試験です。
そしてどちらにしても質屋をしているということは一応、その実の中に美がある、と信じているということですので、続けて次に店頭で取引時に押してもらう指印のことについて書いてみます。

当店では質で預かる場合も買い取る場合も身分証明書を確認し、取引票に住所、名前、生年月日を書いてもらい、指印を押してもらう。お客様の中には「これは印鑑でなく、指紋ですか」と驚かれる人もあるが、原則、これは指印なんですと了解してもらっています。
(この指印については、お客様の指もよごれるし、第一おしゃれでないのですが、取引票に指紋をもらうことが、一つには犯罪の防止になる。二つには泥棒が他で手に入れた証明書の人物になりすまして盗品を持って来た場合、来店した人物が後日この証明書の人物でない証明になります。)
ただし指印をもらう原則には幾つかの例外があります。当店ではまずお婆さんの場合と、母親についてきた小学校の女の子がいる場合のお母さんとは印鑑でもいいことにしています。
 

 
08.06.24 記     古風に怒る

今年のまだ寒い時期だった。
休日の夕方に散髪をして高架の横の道を歩いて帰ってくると、
複合ビルと高架に囲まれた公園の隅で若い男の子がリンチにあっていた。
顔面が朱を散らしたように赤い。すでに抵抗する様子がない。
手を引っぱって起こそうとされるが、立ち上がるとまた殴られるので、
自分から寝ころぼうとしている、ちょうどそういう場面に見えた。
全員が15歳から、18歳ぐらい。
ビルの壁際に倒れている者を5人の若者が囲んでいた。

そんなことしたらあかんと言って私が近づいていくと、
こいつは仲間や、俺らは承知でやってんねんから、
おっさんはほっとき、と囲んでいる者が言う。
しかし承知というても、5人に囲まれて倒れている者をほっとくわけにはいかん。
承知でも何でもあかんねんと言った。
おっさんあっちへ行けというが行かないので二人が間近に寄ってくる。
二人ともまだ若く細い。150p 35sぐらいか。
しかし不意に手を出されたら私はよろけて後ろに倒れるだろう。
しかたないから携帯で110番した。

もうじき警察が来るから全員ここにおれ、と大きな声で言った。
しかし先ほど近づいてきた二人は残ったが、
倒れていた者も囲んでいた者も一緒に仲良く逃げていく。
逃げるなー、ここにおれー、こらー、お前らー、おらんかーと叫ぶが、
声はビルの壁にむなしく響くだけで、行きかう人は誰も足を止めない。
ポリが来るから急に威張りやがってと、残った方が皮肉なことを言う。

少しするとお巡りさんが一人自転車で来た。
私が110番した橋本です。状況を説明して住所を言った。
しかし、殴られてた者も逃げるというのはおかしいですねと言われる。
それは仲間だから事件になると、後でまた仕返しされるので、
それで一緒に逃げたんでしょう。
そうしたら、そういうこともあるでしょうね、と。
次に残った若い子に聞かれるが、
俺は見ていただけで、殴った者は知っているが名前は言えないという。
しかし恰幅のいいお巡りさんは、特に若者を怒るという様子はない。

そのうちにパトカーが来た。
こういう場合、現場では当事者と通報者を離して事情を聞くようだ。
若い子の方を調べていた若いお巡りさんが、
110番してから警察が来るまでに私が言ったことを、
若い子が私に謝って欲しいと言ってますと言いに来る。
これではまるで私とこの若者とのトラブルを処理に来ているようだ。
腹が立つから若い子にひと言いってやろうと、
行きかけると「ご主人!」と、お巡りさんに止められた。
それで、私は58歳だが、あなたは失礼だがお幾つですかと聞くと35歳だと言われる。
この場所では通報者の58歳の私も、35歳のお巡りさんも、
16や17歳と同格なのかと思ったが、そういうことではなくて、
いま私が行って怒ると収拾が付かなくなるおそれがあるから止められたようだ。

しばらくして、一応この2人を署に連れていきます。
また何かあれば電話します。それではどうぞと、先ほどのお巡りさんが言う。
つまり、私に何か若い子に言いたいことがあればどうぞ、と言うことだ。
それで若い子に向かって、年いった者にそんな口のきき方をしたらあかん。
学校でも先生にもそんな口のきき方をしているのかと言うと、
学校へは行ってないと言う。しかしその後、私に言葉が続かない。
それで、ではもういいですかという雰囲気になってパトカーに乗せられて行った。
この話はこれで終わり。

上のことは店の外でのはなし。次は私の店でのはなし。

先月、25歳の男の子がグッチのバッグを売りに来た。
中を見るとグッチの直営店の白いカードが入っていて、余白の部分に、
「このバッグを売りにいったらすぐケイサツにTELください・定子」
とボールペンで書いてある。
それで、このバッグは誰のもんや、と聞くと、お母さんのものだと答える。
お母さんの了解を得たのかと聞くと、黙っている。
定子さんて誰やと聞くと、お母さんやと答える。
お母さんが警察に電話くださいと書いたはるやないか。
こんなことを何回もやってんねんやろ。
バッグは預かっておくから親に来てもらい、と言ってバッグを取り上げた。
そしたら、そんなことはありですかと言う。
所有権とか何とか、法律的に問題じゃないかと言いたいらしい。

ばかもん!  法律的に問題があると思うのなら警察へ言うて行け。
お母さんのバッグだまって持ち出したら、質屋のおっさんに見破られて取り上げられたと。
法律が何のと、一人前な口きくな! と怒ったら、だまって出ていった。
1時間ほどしてお父さんから電話が掛かってきて、後で取りに来られた。

これは私の店でのはなし。
つまり何が言いたいかというと、
この頃お巡りさんは怒らなくなったが、
質屋は今でも古風に怒る店があるということです。
 

 
08.04.15 記     流しなはれ、流しなはれ、

お金が必要なことができて、取りあえず品物を質に入れる。すぐに受け出すつもりが、なかなか金が用意できない。質屋では3ヶ月を経ると品物が流れる。それで3ヶ月目にともかく1ヶ月分の利入れをして流期を延長する。お客様にとってそういう場合がある。

しかしそうして延長した場合でも来月になるとまた次の流期がくる。そこで、今度は頑張って受け出すお客様と、もうあきらめて流すお客様と、それでも流したくないのでまた利入れをする客様がある。しかし続けて利入れをするお客様にしても毎月の利入れが次第にとびとびになり、だんだん利息がたまっていく。そうして結局まとまったお金ができて受け出される場合もあるが、途中でそのままになって流れてしまう場合もある。その場合、質屋からすると品物は十数ヶ月分の未収利息を抱えて流れていくことがある。

このごろ全般に流れることが多い。流れると質屋では最低でも3ヶ月分、多いものではちょっと言えないほどの未収で終わる。結果、質屋にすると貸出残高あたりの実効利率は大変低いものになる。

質屋の現場の実感からすると、質屋の利息が利息制限法の適用を単純に受けない一番の理由は、質屋の取引は金銭貸借だけでなく、品物の売り渡し、それも最低でも3ヶ月先までの、判断猶予付き売買契約を含んでいるからだと思える。
利入れ(延期)は売り渡しの判断の延期でもあり、またお客様が受け出しの元利金を払うということは、結局はそこまで来て売り渡ししなかったということでもある。そのように形態的にも実体的にも質屋では複線というか、平行して走る二本線の、お客様は任意の地点で金銭貸借から売買契約へと、いつでもポイントを切り換えられるのである。

ただその質屋の利点を上手く使えないお客様があることも残念ながら事実である。毎月ほど流すのを待ってと電話を掛けてくるお客様がある。たまに来店して1ヶ月分の利入れをされる。5口も質入れして、どれもこれも流したくないと言われる。しかしそれでは利息がたまっていく一方です。この際どうしても要る物と、それほど要らない物とを整理して、売る物は売る、あきらめる物は思い切ってあきらめて流すのも方法です。流せば未納利息も何も要らないですから。人には良い時もあれば悪い時もある。良い時に買った品物はもう質に入れて既にお金に変わっているのだし、しんどい時はいつまでも追っかけないで。流しなはれ、流しなはれ、と私は言うのだが。
 

 

08.03.21 記    法理と情理


 質置主  ○○○○ 様
 代理人弁護士 □□□□ 先生    
                                       橋本質店

先般、先生よりご通知がありました質置主○○○○様と当質店との質契約に関し,取引履歴と利息制限法による計算書を送付下さいとのことですが、以下のとおり回答申し上げます。

当店は質屋営業法第2条1項にもとづき、公安委員会の許可を得て質屋を営業し、同法にもとづく契約上の規制を遵守して質置主と取引を行って参りました。質屋営業法は貸金業法と異なり、以下の特徴を有することは周知の事実です。
(省略)
1、) 法律上の根拠(省略)
2、) 上記の諸根拠にもとづき,質屋営業法は,同法36条以内の約定金利内の利息である限り,利息制限法の適用を予定しておりません。
このことは,質屋営業法の解釈上も明らかのみならず,関連確定判例も存在します。
(大阪地裁・平成10年9月18日判決・平成8年(ワ)第10099号)
「質屋営業法にもとづく質屋の貸金の場合,利息制限法超過金利の清算は予定されていないと解すべきである。仮に被告主張のように解すると,質屋は約定利息及び元金の返済を受けて取引が終了後も常に利息制限法による不当利得返還請求を受ける危険性を負担することになるが,このような結論は明らかに不当である。」
3、)
(以下省略)
                                    以上

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【 別記 】
 
 代理人弁護士 □□□□ 先生
 この手紙をお客様の○○○○様へお願いします。

 ○○○○ 様

前略、毎度ありがとうございます。
弁護士さんより自己破産の通知書を頂きびっくりしております。
先日、電話でお問い合わせの時はそれほど難儀な状況だとは思いませんでした。受け出しする場合の金額をお尋ねでしたので、帳面を見て利息は昨年の0月0日に頂いたのが最後ですし、流質期限はずいぶん過ぎていますが品物は流さずに置いてあります、今お出しの場合は幾らですと計算通りお答えしました。
もちろん実際に受けだしに来られた場合は利息を幾らかおまけするつもりでしたが、それほど難儀な状態でしたら利息のことは仕方ありません。元金の5万円だけで結構です。
また現在は入質時より貴金属が高くなっていますので、もし受けだしされた品物を売却されるのでしたら、今は(3/21)下記の金額で買取できます。

  プラチナネックレス        ¥47.000 (グラム 4.700)
  エメラルド・ファッションリング  ¥30.000
  真珠ネックレス           ¥5.000 (これは安くなっています)
  18金ネックレス           ¥21.000 (グラム 2.100)

○○様が体調が良くないようでしたら、先日、最初に電話を掛けてこられた姪ごさんが質札とご自分の身分証明書をお持ちになられたら、対応させていただきます。お金は差し引きしたらいいのですから、売られるものによっては別に元金分ほどをお渡しできます。この機会に整理されるのも賢明かと思いますが、お考えください。
三寒四温の時期、体調をこわされる方が多いです。○○様は何よりお身体大切にご自愛くださいませ。   草々
                                2008.03.21
                                  橋本質店 橋本洋介

 

 
08.01.28 記

眼を閉じてまぶたの裏を見つめる
暗闇の向こうに星雲が見える
視力が闇の先を見ようと
意識が虚空に分け入る
手足から力が抜け
五体が無重力の中を漂う
細胞が微かにジィーンと鳴って
意識が肉体の呪縛から解き放たれる
瞑想 思考 詩想 詞藻

お客様がない、電話も鳴らない。
そんな時は店のイスに座って瞑想する。
悲しみについて。この世の意味について。
眼を閉じて静かに息をして思索を深めていく。
ダイバーが海に潜るように意識の底へ下りていく。
深みで言葉を掴もうとする瞬間。
脳細胞が全解放へ向かう。
そして今日もまた何も掴まずに浮き上がってきた。
瞑想 思考 休憩 居眠り
 

 
07.08.12 記

この歳で会社勤めなら、今ごろ店頭に出ていることはまずない。
普通は部下の若い者が店に出てお客様に応対してくれている。
しかし質屋は何歳になっても自分が店に出んならん。
だから少しも外出できない。
 
毎日、品物に値を付けて預かったり買ったり。
質札を書いて、お金を渡して、流期を説明して、
特徴を控えて、蔵になおして、台帳を書いて。
ぜんぶ自分でする。毎日そんなことの繰り返し。
 
お盆が近づくと毎年炎天下の路上で自分の影を見る。
すると無音の中にジィーという蝉の声のようなものが聞こえる。
ある時は焦っているような、
ある時は何かに急かされているような。
 
親も長姉もこの音を聞いて生き急いだろう。
しかし私はこれでいい。
今まで何枚質札を書いただろう。
これから何枚書くだろうか。
 

 

07.05.28 記

       店の前の道

雨降りの日は、店はたいがい暇である。そんな日はよく事務室の窓から外の景色を見ている。この季節、店のガレージやその先の近所の家の木々の緑が美しい。店は静かで美しい環境の中にある。これで普段からもう少しお客様が多いと言うことないのだが、しかしそれにはもっと賑やかな所がいいのかも知れない。では、騒がしくてもお客様が多い方がよいか、静かで美しい環境の方がよいかと言ったら、今の気分としては静かで美しい方がいい。

以前はよく、若い女の子がブランドバッグを見に来た。「キャー、ルーピング!」「キャー、・・・」。騒がしいばっかりで買わないのだが、いつも数人で決まって朝10時前に来た。最初は何かの仕事をしている仲間かと思っていたが、皆さん主婦で子供を保育所へ預けた帰りに車に分乗して来るようだった。ブランド雑誌を持ってブランド品を売っている質屋を見て回る。またある女性はいつも子供をガレージで遊ばしておいて店内のバッグを見ていた。ある時、小さな子供一人で放っておくと危ないからと注意すると切れてしまって、ガレージの砕石(砂利)を靴の踵で蹴飛ばしたおして帰っていった。

ガレージには砕石を敷きつめているが、雨の日などこの砕石が静かに濡れてしとっと美しく、もうこのままガレージに車が入って来なければいいとさえ思うことがある。ガレージに砕石を入れたのはこれで3度目で、前の道との間に溝がありグレーチングを並べているのだが、そのグレーチングの目の間からいつしか砕石が溝に落ちて減ってしまうのである。最初は店を建てる時に工務店の人が石ばかりのA級砕石より土の混ざったB級砕石の方がよく締まって車の出入りに良いからと入れた。しかしこれは雨の日に土がお客様の靴に付いて土間に上がって困った。二度目は近くの家の建て替え工事の時に、ガレージを使わせてもらったお礼にと工事の人が入れた。しかしこれは粒が大き過ぎたのか落ちつきが悪く車が出入りすると上面がよく波打った。三度目は知り合いの植木屋さんに頼んで入れてもらったが、さすが庭師だけにこの砕石はよかった。大きさがよく自然と落ちついて、特に雨の後など少し黒ずんで見ている者の心まで落ちつく。

その砕石を時々、塾通いの小学生がザーザーと靴の先で蹴飛ばして歩いて行く。何かを蹴飛ばしたいのだろう。その度にまた何個か溝に落ちる。また昼間、小さな子供を連れた奥さんが道で会って立ち話をする。車を避け溝のグレーチングの上で話がはずむ。その足もとで子供が小さな両手で砕石をいっぱいすくって競って溝へ落としている。石を溝へ落とすのが面白いのだろう。その作業を通じて子供同士が仲良しになる。見ている私も面白いような、堪忍してくれと出て行きたいような。しかし、たかが砂利で出て行くのは、「ロレックスの時計、キャラ石のダイヤ。思いっ切り高い値段付けさせてもらいます」と、太っ腹を売り物にしている質屋の主人にしては、あまりにみっともない。だから止めた。そうしたことや車の出入りやいろいろなことがあって、何年かすると砕石が少しずつ溝に落ちて減る。そしてまたガレージの砕石が溝の縁からうすくなってきた。
     08.04.撮影

店の前1
店の前2
 

 

07.05.05 記

       花水木

店のガレージの端に一本の花水木がある。20年前、この地で商売を始める時にブロック塀ばかりではガレージが殺風景だと知人が苗木を植えてくれた。毎年4月の中旬、他の家の桜が終わった頃にピンクの花を咲かせる。

植えた当初、若木の花水木は立ち姿がよく四方に枝を広げ、道路の近く目線の高さに愛らしい花を付けた。店の窓から見ていると、歩いて来た人が花を見て一様に何か楽しそうな嬉しそうな様子をした。ちょうど難しい顔をして歩いている老人が乳母車の幼児を見て、とたんに嬉しそうに近づくように、当時この木には何か見る者の心を喜ばせる強い力があった。

そうした花水木のすぐ横に、木斛(もっこく)が頭を払われて蹲っていた。それはある時、植木屋さんに頼んでガレージにジャリ(砕石)を入れてもらう折り、ジャリを積んだトラックに姿のいい木斛が一本積んであった。折角のものだから貰っておきたいが、ガレージは広く空けておきたいので、どこにも降ろし場所がない。それで結局は花水木のふちに植えてもらった。ところが後日、知人から異議が出た。近すぎて先で木が大きくなって喧嘩すると言うのだ。花水木は親切で植えて下さったものだが、木斛は植木屋さんに金を払ったのだから私の自由にできる。ここは切らねばならない。それで、地上50センチのところで切った。枯れる様子はないが花水木の横で哀れであった。

  4月道 華と哀れが 右左

その後、花水木は幹が太くなりアイドル性がなくなった。もう昔のように花の咲く頃に見る者の心を華やかせる強いものがない。3年前には大量に毛虫が付いた。また園芸の心得のない私がむやみに枝を切るので樹形が崩れた。その代わり落ち着きがよくなった。また夏には葉っぱをいっぱいに付けて道を通る少しの風にも枝をゆらしている。冬には鉄サビ色の葉っぱを数枚付けて、何となく大人の雰囲気も出てきた。

一方、50センチのところで幹を切られた木斛はその後、元気なく蹲っていたが、ここ数年樹勢がもり返し盛んに枝を伸ばす。数年前から下の方の枝は丸く刈り込むが上に伸びる2本の枝は切らずにそのままにしている。その2本が勢いよく真っ直ぐ伸び、今、花水木の横で一風変わったモダン刈りの姿で立っている。
     08.04.撮影
ハナミズキ

 

 

07.04.23 記

       信号が黄色に変わったら

質屋はお客様が持ってこられた品物は、そのお客様のものであると考える。
あるいは仮にお客様のものでない場合にしても、そのお客様に処分権限があるものだと、
面前で特に不審がなければ、質屋はそう考えて問題ない。
そして運転免許証などで住所・お名前を確認し、
手続きを経て、取引としては青信号を確認してからスタートする。
しかしごくたまに、そのお客様に品物について完全に処分権があるかどうか、
取引を重ねる内に、青であった信号が黄色に変わることがある。
では取引において信号が黄色に変わったら質屋としてはどうするか。
 
一般に質屋の考え方としては車の運転と同じで、
黄色の信号は注意の信号だから進むには特に注意して、
そのお客様に品物について処分権限があるかどうかを調べて、
OKであればその記録を残し取引を続ければ良いとする。
しかし他方、これまで質屋の組合は黄色の信号についてもう一つの方法、
「交差点に入って信号が黄色に変わったら」、の場合。
むかし自動車の教習所で習ったその答え、「すみやかに交差点から出る」、
を組合員に薦めてきたように思う。
この違いは個々の質屋は一般に取引を続けたいと行動するものだが、
一方組合は業界団体としてあくまで襟を正す必要があると考えたからだと思う。
こうした組合の立場と、個々の質屋の商売との間の、
いわば内なる矛盾は昔から本質的にあったと思う。
 
昨年、質預かりにおける即時取得の成否をめぐって質屋を相手に民事訴訟が起こされた。
判決は、「質屋に過失があるとまでは言えない」として、
原告の請求が棄却され質屋の全面勝訴であった。
過日この裁判例を参考にして弁護士さんの講習会があった。
それに基づいて組合が勝訴に繋がった質取引の調査と記録の仕方を薦めるが、
どこにも降りる、つまり取引を止める話は出てこない。
確かに市場経済下の質屋組合の立つ位置はもう昔とは違うとする考えはある。
しかし組合が、片方で特例をお願いして、
もう片方で、優秀な弁護士さんを雇って、こうしておくと訴えられても負けないと、
欧米流の市場経済の方法を薦めると、今度は外との間に矛盾が生まれる。

 

文責  橋本洋介

 
   
 
 
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