99.06.28 記
待って・・
店に一番多くかかってくる電話は「待って」です。
「流さんといて、近いうちにいくさかい」という電話です。
来店を延ばされる理由は、忙しくて、忘れてて、出張で、祝いごとがあって、
入金が遅れて、支払いがあって、など様々です。
ほかに、サイフ落として、風呂で滑って、階段から落ちて、というようなのもあります。
中でも特に多いのは風邪ひいてです。
電話をとるといきなり「ゴホン」で、そのあと咳が続き、
最後にかすれた声で「風邪ひいて」と言われます。
しかし受話器の後ろのざわつきから、
とても家で静かに養生しているように思えないことがあります。
それでも質屋としては、お大事に、と言わないと仕方ありませんから、
風邪の守備範囲には医学から社会学まで幅広いものがあると思います。
よく病は気からと言いますが、この気と、風邪の風とはもともと同根ではないでしょうか。
気分、気持、風韻、風趣、すべて何であるとは捉えにくいものです。
薫風と言えば気分の良いことを言いますし、
風邪と言えば昔は体に悪さをする邪悪なものを言いました。
科学が発達し銀河系の遙かかなたの惑星が何百年後に地球に何万キロに接近するのを、
気の遠くなるような膨大な計算から導き出せる現代にあっても、
なお身体には解き明かせない謎があります。
解明できないもの、また時には解明しない方が良いことを、
人は昔から気や風と言って折り合いをつけてきたのではないでしょうか。
だから質屋では、「待って」が何でも通用すると言うのではありませんが、
そこは質屋、気や風をあえて解明しないでお客様のご希望にそうようにします。
折り合いについては「質屋700年の歴史」があります。
「利息を入れたいけど風邪ひいて」と電話があれば、
たとえ後ろでパチンコの音がしていても「お大事に」と言います。
前は「サイフ落として」、今度は「スリにおうて」と言われようと、
きっとそのお客様の周りでは、
そうしたことが他の人より多く起こるのだ、と思うことにしています。
質屋は担保品が倉にあるのであせりません。
ですからサラキンのようにせっつきません。
期限のきたものを質屋はお客様が流されるものとして流質処分します。
結局流すか流さないかはお客様の気持次第ともいえます。
「待って」で質屋は流質を猶予しお客様には余裕が生まれます。
これが普通の金融機関ですと猶予は債務の追加になり結局お客様の余裕にはなりません。
質屋のいいところは最終的に流すことによってお客様の債務は一切なくなるところです。
ですから待った末に流されたら質屋は待ち損です。
「待って、待って、と言うので待ってたのに結局流すとはひどいやないか」とは、
質屋も思いますが、口には出しません。
昔の質屋の店先というと、お客様は高く貸してと言い、
質屋はせいぜいこれがいっぱいですと答える、そういうイメージがあります。
人生の辛酸をなめてきたお客さんと、
経験をつんだ質屋の主人のやり取りは丁々発止、
−売り手は高く売りたい買い手は安く買いたいは人の本性にしてそもそも商売の根本なり−
そんな感じがします。
私の知っている時代でも、
カウンターの向こうから上手に質屋を口説くお客さんがいました。
「もう少し何とかならへん。たのむわ。いるねん」。
「な、必ず出すさかい」。
「じゃ、しょうがないですね」、などとやっていました。
しかし近頃はそうしたやり取りはなくなりました。
あっさりしていると言うか、シビアになったと言うか。
お客さんも生活に困って品物を持って来ているのではありませんから、
付けた値段が気に入らないと「あ、そう。やめときます」だけです。
質屋としては値付けが一発勝負で駆け引きといったのが入り込む余地がありません。
カウンターを挟んでお客さんが暮らし向きを持ち出して無理を言わないのですから、
質屋も、これは難しいんです、これは得意じゃないんですとは言い訳できません。
質屋として、最高の金額を一回言えるのみです。
こうなったことは質屋にとって厳しい面もありますが、
若い主婦が昔のように対面で買い物をするのを嫌う時代ですから、
質屋を知らない若い人にも利用してもらいやすくなり、
かえっていいことだと当店では思っています。
しかし最近、若い人が喋らないので困ることがあります。
黙ってカウンターの上に時計やバッグを、置くだけの人がいます。
幾らお入り用ですかと聴くと「幾ら?」、だけです。
幾ら幾らですと言うと「じゃ!」、だけです。
じゃ、それでいいのか、じゃ、やめておくのか、それも分かりません。
次に、質に預けられますか、それとも売られますかと聴くと、
自分はどうしたい、と考えがまとまらないのか反応がぼやけます。
そういうとき質屋もどう対応していいのか戸惑います。
サラキンの無人契約機の影響でもないでしょうが、
以前と比べて若いお客様に表情がなくなったと思います。
このように店先では事務的になり、無理を言うお客様は減りましたが、
相変わらず「待って」の電話は多くあります。
お客様の気持としては、手放したくない、今は使わないがやはり惜しい、
将来値が上がるかもしれない、近い内にお金が入るかもしれない、
それやこれやでもう少し考えてみたい・・・で、「待って」と。
この「待って」に、質屋が時代を超える強さがあるように私は思います。
お客様は、利入れしなければ3ヶ月後に流質するのを了解の上で預けられます。
その了解事項を3ヶ月後にいとも簡単に破って「待って」と、言う方も言う方なら、
それを簡単に「お待ちします」と、きく方もきく方だと言えます。
今の時代にそんなことが他にあるでしょうか。
でも人の思いを尊重して、できるだけ無理強いをしないで、人と人とが暮らしていける。
私はそれもいいと思うのです。
お客様が詠める 天つ風 蔵の扉を吹き閉じよ 流れますのをしばし止めん
質店主の返歌 時は今 風立ちぬいざ 流しなはれ 流しなはれ
質屋組合長の詠める 待って待ってもほどほどに 質屋も生活が掛かってます