shichiya.com
 
「質屋の風景」 第二冊
 
07.03.26 記

       不都合な事実

店のウインドウに並べて売っているヴィトンのポシェットが、
先日なくなった私の物と同じなので、誰が売りに来たか教えてほしいと、
そう言って若い女の子が入ってきた。
 
しかし売った人の名前など教えられるはずもなく、
断ると次に、口の達者な年上の友達を連れてきた。
しかし何と言われようと質問の内容は店の業務のことであり、
護らなければならないお客様の個人情報である。
品物はヴィトンのポシェットで同じ型の物は何千個、あるいは何万個と売られている。
しかも新品同様の物で特長がない。
それを自分の物だと特に疑うのはおかしいと思うが、同僚の誰かを疑っているようでもある。
なおも執拗に聞くが、私が拒否するので不信感を募らしてくる。
それで、君が道を歩いていて、たまたまよその家の窓の内に、
自分の無くなったのと同じ形のバッグを見つけたからといって、
その家の玄関を開けて、窓から見えるバッグは先日無くなった私のと同じですが、
どこで買われた物ですかと、そんな失礼なことを聞きに入るかと言うと、
口の達者な方が、私は聞きに入りますと言う。
もう仕方ないので、買い取った物にしろ質で流れた物にしろ帳面に記録はある。
それは誰にも教えられないが、警察の人なら帳面を見ることができる。
警察に相談に行ったらと言った。あくる日、二人の刑事さんが来られた。
そして結局は刑事さんが、無くなった品物でないことを答えられた。
 
私は子供のころから家が質屋だったから、
新聞に「容疑者○○は盗った品物を質入れし・・」と載るのが嫌だった。
大人になって商売をするようになって一層この新聞記事の(ドロボー・・盗品・・質屋)が、
何か犯罪の世界に質屋が繋がるような印象があって嫌で、何とかならないかと思った。
だから例えば、検事が起訴状に「被告は盗品を質入れし・・」と書く必要はあるとしても、
はたして犯罪を報じる一般紙が「・・質入し・・」とまで書く必要があるだろうかと、
新聞社に申し入れてみたらどうだろうかとさえ思った。
 
そうした新聞の記事や、テレビの刑事ドラマの質屋の扱い方などがあって、
先ほどの女の子のように、物が無くなったら質屋に入ってないかと疑う人がある。
しかし質屋にすると、物が無くなったら「お宅に入ってないか」とは失礼な話だ。
もともと質屋に盗品が入る確率は大変低い。
現実に私の店も年間通じて一回も出ない年の方が多い。
だから物が無くなって質屋を捜すのは愚かなことだと、
いつもその種の問い合わせには返答している。
しかし残念なことに、絶無ではない。
だから質屋は預かり品の記帳に励み、刑事さんは台帳に目を凝らす。
そしてごくたまに刑事さんによって盗品が発見される。
その時は質屋は品物を任意提出し、刑事さんは何枚もの書類を作ることになる。
 
それから二週間ほどしたある昼下がり、店の前にワンボックス車が止まる。
助手席から降りた人が前へ走って行って振り向いてカメラを構える。
店とワンボックス車の間に、カメラに向かって人が立っている。
その間ほんの10秒。誰も気づかない。静かな道に現れた一瞬の異界。
確かにドロボーは捕まえて罰せなくてはならない。
そうでなければドロボーが増えて、盗られて難儀する人が多くなる。
だからドロボーを捕まえるというこの世の負の始末を警察に任している。
そして多くの人は任せた以上、負に係わる一切のことは、
不都合であるが故に係わり合わないようにしたいと思う。
しかし質屋はこの事実に、不都合でも何でも係わり合わんならんことがある。
 
私は昔、刑事さんに店でシィーと言ったことがある。
盗品が発見されると刑事さんが店の事務室で調書を取られるが、
調書というものは最後にこれでよいかと刑事さんが読み聞かすのが原則のようだ。
それで、「刑事さんからお尋ねの○○○○さんから質取りした時の事を述べます・・」
と読まれるのだが、小さな店だから内容は聞こえなくてもお客さんには気配で分かる。
途中でついシィーと言ってしまったのは、
この不都合な事実を声にだして読まれる難儀に耐え難かったからである。
もっともその後は、頭を掻きながらお客さんの前へ出て行ったのだが。

 

 
   
07.02.28 記

       クサマシ

「ロレックスの時計を質屋に持って行って、
これはいつも見るものと違うから預かれないと言われたら、お客さん困るやろ。
売った時計店も、質屋で断られたと文句言うて来られたら困るやない。
だから普通そんな時計は売らないやろ」と、
贋物の時計を入質に来て、有名な店で買ったものだと嘘を言う若者を私が店で怒る。
 
このように質屋をだましにくる人、特にそれを仕事にする人を、
関東では「置屋」や「入れ込み」、関西では「クサマシ」と呼ぶ。
以前から大阪の古物市場では買い手が高買いして失敗すること、
目利きをしくじることを、自嘲を込めて「くさむ」とか「くさんだ」と言っていたが、
質屋の場合も見破れなかった自分がプロとして失敗したのだとして、
質屋を失敗させに来る人、くさまさせる人、くさます人、くさまし、と呼ぶようになったのだと思う。
しかし、この「クサマシ」という如何にも大阪的な言葉に引きずられて、
相手の悪意が隠れてしまうが、実態は完全に質屋をだましに来ているのである。
 
取引に於いて騙す騙されるとすると相手を罪人にするから、
へりくだって相手が悪いのでなく、自分が誤ったとするのは商売人の知恵だろう。
しかし先の若者のように贋物組織の末端でアルバイト感覚でやっている子に、
例え相手が質屋であっても、贋物と知ってて騙そうとするのは悪いことだから、
くさむ、くさます、といい加減にしないで、君のやっていることは大変悪いことだと、
きっちり解らせることは必要ではないか。
質屋を騙せたら金儲け、見破られたら、そうですかで無傷で帰れる。
だから、若い子が失うものは何もないと考えるのは大きな間違いだと、
質屋がクサマシに懇々と説教したとしたら。
 
「おやじさん、お陰で私はすっかり目が覚めやした。
明日から、クサマシ稼業の足を洗って、まっとうな世界生きていきやす!・・」
・・・しかし、この話もクサイなー。

 

 
   
07.01.25 記

       今ごろどんな恐いめに遭うたはるやろ

質屋では品物を預かるとお金と一緒に質札を渡す。
質札には契約の日、流質期限、金額、品目、お客様の名前などが書いてあり、
品物を持って帰る(受け出す)時にはこの質札が必要になる。
しかも本人(質札の名義人)の来店が原則で、質札は引換券でないから第三者が持参しても、
品物を持って帰ることは原則できない。
この原則を前にして、質札があるから品物を返せと言う第三者と、
いや本人でないから返せないと断る私とが店でもめたことがある。
 
5年ほど前のある日、60才前の男が女性名義の質札数枚を持って受け出しに来た。
本人でないからと断ると、質札があるから文句ないやろと言う。
しかし、お宅さんはこのお客さんとどういう関係ですかと聞くと、
この女性に借金を一本化したいと頼まれたので質屋に入っている品物を出しに廻っている。
こうして一任するという本人の委任状もあると見せる。
しかしこの手の借金の整理はお客さんにとって危ない流れだと思った。
それで確実をきしたいからあくまで本人に来てもらいたいと断った。
そうすると、質札があって委任状があって、それでも受け出しを拒んだら、
俺が損害賠償おこしたらお前とこは負けるねんでと言う。
しかしこの場合、受け出しに応じるかどうかは質屋の裁量でいいはずだ。
 
なおも受け出しを拒むと、次に男は携帯で本人を呼び出して、私に話してくれと言う。
出ると確かに女性本人と思われる声で、その男の人に品物を返して下さいと言われる。
それでも何とか都合を付けて来て下さい、待ってますからと私は言った。
待っている間に男と雑談すると、社長の運転手というこの男は、
利息制限法の話をちらつかすが、金融屋さんというより、
女性に仕事を世話してくれる、そういうのを何と言うのか、
例えば時代劇に出てくる口入れ屋と女衒の間のような、そんなニオイがある。
40分ほどして女性は一人でタクシーで来店された。別に拘束されているようではない。
心の糸が切れたのか前とは随分様子が変わられたが、
本人が来店して受け出してと言うのだから、質屋としてはもう受け出しを拒む理由はない。
 
これで一巻の終わりだが、あの場面で何か出来なかったかと考えることがある。
昔、近くの質店に気丈夫なお母さんが居られたが、このお母さんなら、
「もう一遍よう考えよし。あんたの地獄がそこに見えたるがな」
ぐらいのことは言われただろう。そうするとこのお母さんの方が質屋としては上等や。
上等な質屋になるための組合勉強会。
しかしこれは知識でなく質屋の人間力だから自分で身につけるしかないか。
それにしてもいまだに家内が言う。「あの人、今ごろどんな恐いめに遭うたはるやろ」
さあー

 

 
   
06.07.28 記

       若い女の子を泣かしてどうするの

 

このルビーの指輪は45.000円、この18金の指輪は7.000円と、

二週間まえに私が値を付けたと、その女の子は言う。

 

確かにこのルビーの指輪は45.000円と付けたが、

そうですか、と言って持って帰ったのを覚えている。

しかし同時に18金の指輪は6.000円と付けたことも覚えていた。

念のためもう一度グラムを計ると6.000円がいいとこだ。

それで、確か6.000円だったがと言うと、

いえ7.000円に間違いありません。メモしましたから。

メモの用紙は家にあります、と言う。

 

どうしたものかと考えていると、

メモを見ても私の控え間違いかも知れませんし、と女の子は変わってきた。

それでこう言ってみた。

このルビーの宝石を幾らに評価するかはプロでも時により違いは起こる。

しかしこの18金のリングは重さによるから、

これを7.000円と言う筈がないねん。

しかしどうしても7.000円と言ったと言うなら7.000円で買おう。

その代わりこのルビーの指輪は、今日は40.000円や。

それでよかったら身分証明書を見せて、

この買受け票に、名前、住所、生年月日を書いてください。

 

きっと私が前に付けた45.000円の値はダントツに高く、

二番手の店はもっと安かったのだろう。

だから仕方なく今日は40.000円でも売ろうとするが、

買受け票に名前と住所を書いている途中で、

高く売ろうとして、返って安くなって情けなくなってきたのだろう。

こないだは45.000円で、今日は何で40.000円なんですか、と涙ながらに聞く。

君が嘘をついた「罰金や」と言うと、ウワァーと一段と大きな声で泣き出した。

いかにもしっかりした、女子アナでも目指そうかという20才の女性が、

たった1.000円サバ読んで質屋のおっさんに怒られて、

5才の女の子のように涙ボロボロになった。

 

もうえい。45.000円で買うとく。18金のリングは6.000円や。

領収書代わりになるから、よかったらここへ51.000円と書いて。

結局、ハンカチで目を押さえながら逃げるように店を出ていった。

後で家内が私を怒る。若い女の子泣かしてどうするの、と。

確かに若い女の子が店から泣きながら出て足早に去るのを、

近所の人が見たら何と思うだろう。

橋本さんとこは、まるで時代劇に出てくるようなあこぎな質屋や。

いえ決して、そんな悪いことはしてないんですよ。

 

 

 
06.06.26 記

       ご近所の人を驚かさないで欲しい

 

こないだ橋本さんとこから出てきた男の子が、

急に「やった!」と言って道でガッツポーズをした。

あれは何ですかと、ご近所のご主人に聞かれた。

目の前で不意に「やった!」と一人でやるものだから、

たまたまガレージに居られたご主人がびっくりされたのは無理もない。

理由は込み入っていて私もすぐには答えられなかったが、

それはこういうことでした。

 

このごろ若いお客さんは品物を高く売ろうとして何軒かの店を廻ります。

私の付けた値段が前の店よりよほど高いと”もうけた”と思い、

「メッチャうれしい」とにぎやかに喜ぶ若い子がいます。

しかしまた、すましたした顔をして、「そうですか。そんなものですか。

他店へ行っても一緒でしょうね」と、さもその値段では不満足だけど、

仕方なしで売るという態度を示す若い子がいます。

前の店より高いので”もうけた”と内心は思っていても、

率直に、この店が一番高かった、という態度を出したくないのです。

しかし若い子ですから店を出たところで嬉しさをこらえきれず、

少し歩いてたまらず「やった!」とするのだと思います。

その感情を押さえていられる限界距離が、

私の店を出て、ちょうどご近所のガレージの前あたりになるようです。

 

何もそうすまして「そんなもんでしょうね」などと言わなくても。

私もプロですから、お客さんが前の店より高いと喜んだからと言って、

一度付けた値段を、少しまけてくれ、などと言いません。

だからお客さんももっと率直に、「高い値段を付けてくれてありがとう」と、

喜べばいいと思うのですが。

 

しかし私に「しかたないですね」などと格好を付けた手前、

どうしてもすました顔をして店を出たいのなら、

たった30歩あるいた所でガッツポーズしなくても、

もう少し我慢して駅のトイレに入って鍵をかけてからガッツポーズをするとか、

いっそのこともっと我慢して、旧国道を突っ切って淀川の河川敷へ出て、

広い原っぱで思いっきり「やった!」と叫ぶとかしたらいいと思うのですが。

まあ、どちらにしてもご近所の人を驚かさないで欲しいと思っています。

 

 

 
06.05.25 記

 

久しぶりにこのページに何か書きたいと思った。

それで一年ほど前に店であった些細なことだが、その後長く気になっていることを書いてみようとした。しかしこの件はお客様の良い面でないし、また美しい行いでもない。それで人物を架空のご婦人にして少しふくらまして書いてみた。それでも掲載するのに反対の意見が内部に強かった。理由は、話が面白くない。読んで明るくない。お客様を悪く言っている。店の宣伝にとってマイナスである、と。

しかし、質屋で毎日そんなに明るく楽しいことが多くあるわけではないし、実際はお客様の良くない面や、弱い面や、美しくない面が出ることも多い。だからもし質屋の仕事として、そうしたお客様の良くない部分に上手く対応できれば、お客様にプラスになると思うことがある。そしてまた、そうしたことを書くことは質屋の商売の内容にはいろいろなことがあるという記述にもなる。そのことが文章に出ているのなら載せる意味があると考えた。それで掲載することにしました。

 

06.05.31 (削除)   一度掲載しましたが、しかし文章が面白くないという意見が多くありました。それで取りやめました。

 

 
04.08.25 記

       再び「きいたる」、あるいは「におい」について

 

例えば若者が社会へ出て仕事に就くとする。

その時、私は将来あの先輩のようになりたい。

いや、私はあんな上司のようになりたくない。

若者は先輩や上司を見て真似をするにしろ否定するにしろ、

そのようにして仕事をおぼえ成長していくものだろう。

そしてその時もっと深い部分で、

若者によっては否定も肯定もしないままに、

自然にその仕事の「におい」といったものを、

身につけていくのではないだろうか。

質屋の場合、それはこれまで「きいたる」ではなかったかと思う。

それは一つには、お客様が「頼みます」と来られたのに対して、

「きいたる」という度量を示す質屋が、

結局は成功するのを見ていたからだと思う。

 

そしてもう一つの理由として、質屋の若者が出入りする古物市場で、

古物屋さんが買わせてもらいます、

市屋さんが振らせてまらいますと気を使うような、

そうした市場で「売ったる」者になることが、「きいたる」と同じように、

質屋として成功することだと考えることがあるのではないだろうか。

 

昔は古物市場では古物屋の大将は「買うたる」、

大きな質屋の旦那は「売ったる」、

市場の振り手は「振ったる」、であった。

それが格によって、駆け出しの古物屋は「買わせてもらいます」、

中たれを売る質屋は「売らせてもらいます」、

また市場は売手によって「振らせてもらいます」になった。

絶えず市場にはそのように上下の格があったとおもう。

質屋の大将は古物屋さんに「損やけどしょうがない。売ったるわ」と尊大に言い、

買い手は質屋に「何ぼやねん。買うたるがな」と言うことがあった。

いたるがな、買うたるがな、売ったるがな、ができるのは男の甲斐性!

そうした考えが昔は市場全体にあったとおもう。

だから自分も、それが出来るようにと思った人はいただろう。

その後は自然と「売ったる」、「買ったる」、「きいたる」の態度はなくなったが、

今でも市場で大手の売り手が立てられるのは違いない。

 

私の若いときにあった例を書くと、

・・もう市場は夜の10時を過ぎて、来ている質屋の荷は全て競り終わっていた。

しかし未だに一軒の大手の質屋の姿が見えない。

荷は既に届いていて目の前に積んである。

しかし肝心の質屋の大将がいないのだから、

40人ほどの古物屋さんが競り台を囲んで到着を待っている。

誰しも早く買って帰りたい。場が徐々にジリジリしてくるのが解る。

しばらくすると市主がそれを感じて、

もう店を出られてますので少し待ってくださいと頼んだ。

そしてやっと着いた質屋の大将は、

このまま祇園へ飲みに行けるような格好をしていた。

・・・そのご登場の様子があまりに格好良すぎる。

立派な古物屋さんを待たせておく、

大きな質屋が毎月吐き出す質流れ品の力というものを見て、

すごいものだと思ったものである。

 

 
04.08.08 記

       質屋のにおい

 

このごろ自分のやっていたことが間違っていたのではないかと思うこよがよくある。

自分が一番やらないようにしょうと思っていたことを、

いつのまにかやってしまっていたのではないかと。

人は誰でも長く仕事をすると自然とその職業の「におい」といったものを、

身につけていくのではないだろうか。

質屋の場合、その宿痾のようなにおいを言葉にすれば、

私は「きいたる」ではないかとおもう。

それはお客様が「お願いします」と来られ、

それを「聞い」たって「貸し」たったら商売になるから自然にそうなるのではないか。

私は昔からそのにおいが嫌いで自分は持たないようにしょうと思ってきた。

ところが去年その点をある処で偉い先生に指摘された。

「橋本は他所でもそれが出ることがあるから気つけなあかん!」

この先生の話はいつも考えさせるものがある。

よく考えてみると私は商売だけでなく、

ものの考え方にもそのにおいがついていて、ぞっとした。

今年に入り質屋の利息に利息制限法の適用はあるかが話題になるにつけ、

特にこの「質屋のにおい」のことをよく思う。

高い利息が「きいたる」の原資、「におい」の元だったのだから。

そして自分が昔に思ったことは、

質屋ももっと安い利息にし、お客様は借りる、質屋は貸す、ただそれだけ。

そうすれば「におい」も持たず普通にいけるのでは、ということではなかったか、と。 

 

 
04.01.27 記

       これからの質屋

店舗設計の会社から毎月のように宣伝のはがきがくる。
「何々質店様 新築オープン」と、
竣工した店が写真入りで紹介してある。
どの店も豪華な美しい造りで、
はがきを見ていつかは自分もこんな店を建てたいと思う質屋は多いだろう。

しかし私なら、いっそ病院風のこんな店づくりをしたいと考えた。
まず受付で健康保険書を預かって待合室で名前をお呼びし、
奥の部屋へ入っていただく構造にする。
部屋には小さな丸机を一つ置いて、そこへ品物を載せてもらい、
お客様と机のふちを回りながら、
これは良い物ですね、ここはこうですね、と言いながら値を決める。
これまでのカウンターをはさんだ対決の質屋から、
丸机の縁で話し合う協調の質屋へと。

それでもお客様と話がつかない場合は有識者に入っていただく。
そのために普段から調停役に、
新聞社の元論説委員
大学の元教授
組合の元組合長
会社の元社長
会計士
僧侶
詩人
・・、
キラ星のごとく知者を顧問にお迎えしておく。
これまで頭を使ってきた人は、体力は衰えても知力は衰えないものだ。
こうした偉い先生に、丸机で話を訊いてもらえば、
お客様はきっと救われた思いがするだろう。
老いた知者には本来そういう力があると私は思う。

そこで、いや、これまでは前置きで、これからが本題です。
先の受付で預かった健康保険書を使って病院のように、
質屋利息の7割をお客様の心身の治療費として保険で請求し、
残りの3割を自己負担としてお客様からもらう。
そうすると質屋金利のグレーゾーンの問題もおよそ解決するし、
そんな偉い先生に、
わずかの利息でいろいろ聞いてもらえるんだったら、
きっと心のケアになる。
私も質屋はんへ行こうという人が出てくるかもしれない。
質屋もこれからは建物に金を使うより、「知」の囲い込みに金を使うべきで、
先生方には毎月顧問料をお払いし、
レセプトに「被保険者に、心神の癒し効果を認む」とか、
「保険の適用を妥当と認む」とか、なんとか書いていただいて、
書類は組合を通じて警察庁を経、厚生省へ回る仕組みにすると。

実は、今から30年も前に、
そうした質屋の利息を、病院式に3割をお客様からもらい、
後の7割は国からもらうという、非常に大胆な発想を、
全国の質屋の集まりで言った人があった。
それは笑い話だったとはいえ、発想の底には、
「質屋の利息はサラ金のそれとは違うんだ」、という思いがあっただろう。
現在も組合の業報誌には、これからの質屋は、
「これまでの常識から一歩踏み出した大胆な発想と改革が必要」、
と書かれてあるが、
当時の常識からも相当踏み外した上記の健康保険書の利用案を、
今の時代にもう一歩踏み外すなら、
上のようなことがあるのではないかと考え書いてみた。

もっとも踏み外しついでに書くと、この方法は実際問題として、
調停役の先生が、お客様の味方をしだしたらどうなるだろう。
「橋本、お客さんがこう言うたはるさかい訊いてあげえな。
こんな気の毒な人が頼んだはるのに、
お前は何か、訊けへんと言うのか。なんと、見下げ果てた奴だ。」
いや先生、それと商売とは別ですねん。質屋も儲けて強ならんと。
人は自分が強ならんと弱い人を助けられしませんさかい、と言うと、
「利いた風な口を利くな。ばかもん!」と、きっとこうなるやろな。

 

 
03.06.25 記

       引き算ができない

先日、町内会の配布物の印刷をたのまれて枚方市の市民センターへコピーに行った。
市民センターでは申し込み書に輪転機の最初のカウント数を書き入れ、
自分で操作して印刷し終わると、終了時のカウント数を上の行へ書き入れて引き算をし、
枚数により僅かだが印刷代を払うことになっている。
ところが会計でこの用紙の上から下の引き算ができなかった。
下の桁から引いていって3桁めが上の数が小さいから、次の桁から借りてきて、
それで4桁めはと考えて、このあたりから紙の上で解らなくなってしまった。
自分も一瞬あせったが、目の前の市民センターの職員も驚いたと思う。

店の仕事では受け出し時の利息の計算も、販売時の消費税の計算も、
値決め時の商品定価に対するパーセント計算も、
経理の帳面も何もかもすべて電卓でしている。
すべて電卓がたよりで、ソロバンはないし、簡単な計算でもメモ用紙ですることはない。
それでとうとう簡単な引き算も紙の上で一瞬解らなくなってしまった。

簡単な計算もたまには電卓を使わずにしないと出来なくなるということから、
このごろ気になっている自分の目利き能力のことをおもった。
私は最近、目違いが重なるようになった。
以前は買い取り、質預かり、販売と、多くの商品の相場を絶えず踏んでいたから、
初めて見るものでも、経験でおおよそ解った。
あるいは解らないようでいても、結果は合っていた。
見たところで、あとの半分は頭の中でサイコロころがして、
そういうことをしても、結果は自分の目が出た。
あるいは1点は失敗でも10点合わすと結果はオーライだった。
それで初めての物でも何も怖くなかった。
だからケチらない、チビらない、すぐに一発で値をつけられた。
ところがこのごろ値踏みに詰まって頭の中でサイコロころがすと外れることがある。

それで前に先輩の質屋が言っていたことを思い出す。
質屋が閑になって、ついにお客さんが一日に3人や4人になると、
物の相場が解らなくなって値段をつけるのが怖くなると。
解らないから怖くて新しい物は扱わない。扱わないから余計に解らない。
その悪循環で、お客さんがどんどん減って、そうなると質屋の店としての死はけっこう速い。
ただ大昔のように扱う物がほとんど着物だった時代は、
正絹と人絹の区別がついて基本が解っていれば応用がきくから、
歳をとっても当分はそれなりに商売できたらしい。
盛業時が10とすれば、4や5は稼げたと。
ところがこの頃は物の移り変わりが激しくて、地値打ちという評価の仕方、
つまり最低でもこれぐらいはあるだろうという考え方が成り立たないから、
業界の集団について走ってないと、すぐに置いてきぼりになる。
そして脱落すると新しい物が解らないから値段をつけるのが怖くなって、
4や5の稼ぎでなく1や2になってしまうというのだった。
確かにこの10数年、質屋の若者が同業の集団から遅れまいと頑張るのも、
10か1かという極端へのおそれが一つにはあったと思う。

質屋は歳とって目が利かなくなると店が閑になるということは別にしても、
しかしこれからどうなるのかな。
生き残るために店の経費をどんどん削っていって、耐久時代に入るのだろうか。
食費も切り詰めていって。
しかしそうなったら当店は絶対に強いぞ。
この日のことを考えて、今まで玉子かけご飯に馴れてきたから。
 

 
03.05.17 記

       質屋に於ける理と情

女袷を5枚も風呂敷に包むとけっこう重い。
その重い包みをさげて、昔よくお婆さんが古着を売りに来られた。
しかし和服は当時から着る人が少なく、ほとんどお金にならないことがあった。
それで、「お婆さんの要らんようなもん、世の中もう誰も要らしませんねん。
だからあかんのですわ」、と言うと、
ガクッときて店でへたばっておられた。
今思うと随分ひどいことを言っていたのだが、
お婆さんの要らないものは次に欲しい人が少ないことは確かだし、
私は古物市場で3000円でしか売れない古着なら2000円で買えば、
自分は結果仕事を果たしたのだからそれで良い思い、若い時はそれで満足だった。

同じ商売でも京都の質屋が昔よくやったような、
「お婆さん重おしたやろ。着物はこのごろ着る人が少のおて難しいのどす。
そやけど気張って買わしてもらいます。おおきに、気つけてお帰りやすな」
とすると同じものを1000円でしか買わなくても、
「質屋はんてええ人やわぁ」と、確かにお婆さんは気分良く帰られる。
しかしそんな商売の仕方はまやかしだと、単純に若い時は考えていた。

質屋は理ばかりでは駄目だし、情ばかりではもちろん駄目だと言われる。
理で進むか、それとも情を前へ出すか、という問題も以前からある。
上の二つの例は、質屋の金利問題と関連して理と情のことを思い、
若い時のことを思い出して書いてみた。
情理を尽くす、情理を兼ね備える、情と理のバランスを良くする。
それは今も私に難しいが。
 

 
03.05.11 記

       すぐに入れたがる

その若い女の子は、店のガレージに勢いよく車で乗り付け、
敷きつめた小石をブーツの踵で蹴飛ばしながら入ってきた。
その後ろを、いかにもヒモといった様子の貧相な男がついてきた。
女の子はロレックスの時計をはずし、
男が差し出すヴィトンのバッグを受け取り、
「これも入れるのか。買うたとこやないか。お前はすぐに入れたがるな」。

連れの男は上目使いにこちらを見ているし、
私はもう笑ってなしょうがない。
取引が終わると女の子は来たときと同じように勢いよく帰って行った。
静かな店をまるで嵐が通り抜けたようだった。
しかし不思議に悪い気はしなかった。

それでどうしてこの時、悪い気がしなかったのか、
お前はすぐに入れたがる、という言葉を思いだす度に思った。
それはおそらくこの女の子に茶目っ気があって、
少し荒れているがまだ遊び心を失っていなかったからだと思う。
それと関連して洋画のこんな場面を思いだした。
映画の題名は思い出せないが、格式のあるホテルのロビーで、
いかにも上流階級と思われる正装した夫婦がエレベータに乗ると、
後へラフな格好の若いカップルが乗ってきて、女が男にこんな話をする。
「先に金額を決めておきたいの。後でもめるのいやだから」
エレベータの中で奥さんが、まぁー、という顔をして主人を見ると、
ご主人がいかにも居心地の悪そうな顔をするのだが、
この若い女は娼婦というのでなく、
エレベーターの中でちょっと夫婦を困らす会話をしてデートを楽しんでいるのである。
しかしここで、この主人が洒落た切り返しをしたらこの場面どうなっただろう。
映画の主役が代わったかも知れない。それで私もこれから店で、すぐに入れたがる、
というような話をして当方を困らせるお客様に、
ただ笑ってなしょうがないという態度でなく、洒落た切り返しがしたいものだとおもうのである。
 

 
03.03.16 記

       またご縁がありましたら

少し前までインターネットで質流れ品の販売をしていた。
注文があり商品を送ると「届きました、ありがとうございます」と、
受け取りのメールが来る。
そのメールの最後に「またご縁がありましたら」とよく書いてあった。
先方は文面からも購入商品からも若い女の子のように思われるが、
見ず知らずの若い女の子から・・またご縁がありましたら・・とは、
何かおかしな気がした。
これではまるで行きずりにデートした別れの言葉のようだ。
「素敵でしたわ。またご縁がありましたら」。
これは考えすぎかな。だけど何か変だ。
ネットで買い物をしただけなのだから、
「良い品物ありがとう。また欲しい物があればメールします」でいいと思うが。

どうしてこのように・・またご縁がありましたら・・と書くのかと思っていたら、
ヤフーのオークションで落札者が出品者を評価し、
そのコメントに下記のように書く影響のようだ。

評価:  非常に良い 出品者です。
      落札者は「 非常に良い 」と出品者を評価しました。
コメント: 大変素敵なお品物でした。素晴らしい出品者様です。
      又ご縁があります事を願っております。

最近インターネットで質流れ品を販売する質店が多くなった。
どのホームページも良品の掲載で人気が高い。
インターネットの利用者は多く、
しかも質屋として大事にしなくてはならない若者達が特に多い。
だから質屋の組合としてもインターネットと無関係で行くわけにはいかないだろう。
それで組合でも近々に質屋サイトを立ち上げ、質流れ品の販売をする予定だ。
しかし一面、先ほどの・・またご縁がありましたら・・のように、
インターネットの対応はこれまでの質屋の感覚と違う点がある。
そうした違いはネットの世界特有のこととは言え、
「言葉は存在の棲みか」とも言うし。(ちょっと大げさかな)
サイトの人気に合わせていると自然と質屋自身が変わっていく。

もちろん質屋も変わっていく部分が必要なことは確かである。
それが質屋に対するお客様の意識を変える一番の方法だから。
これまでのお客様は、できれば質屋とは・・ご縁・・がない方がいいと思っていた。
何も好きこのんで質屋へ行くわけではない、しかたがないから行くのだと。
だから入ってきたお客様に「まいど」と挨拶すると、
質屋に「まいど」と言われるとかなわんなと言われた。
それがインターネットでは先ほどのように、
お客様の方から・・またのご縁・・を言うのだから、
ここはぜひ質屋としても・・またご縁がありますよう・・に答えるべきだろう。
ただそうしたことがどうしても出来ない質屋がある。
若い子相手に俺はそんな柄やないし、したくもないと。
しかし質屋の中にも、そんなの得意だし、したいという人もいるはずだ。
だからここは得意でしたい人が頑張られたらいいと思う。
・・またご縁がありましたら・・。
これは質屋、開闢以来の慶事だから。
 

 
02.12.25 記
        携帯的多弁

来店の度に同じことを聞かれるお客様がある。
「利息を一ヶ月分払うと来月まで流れないんですね。
それで来月受け出しする時は幾らですか」
次に来られた時も同じことを聞かれる。
このお客様からは数口お預かりしているから毎月数回来られる。
その度に同じことを質問され、また同じように答えている。
取引の仕組みは単純でそう難しいことだと思えないのに、
あまりに度々聞かれるものだからある時、
何回同じことを聞いたら気が済むのですかと言った。
そしたら、「聞いたらいかんのですか」と言われる。
それでは前回聞いて理解したことが無駄じゃないですかというと、
「いや、その都度聞くのが私の性格です」と。
そこで私も負けずに言い返してしまった。
お客さんは駅でキップ買うのに券売機にお金入れてボタン押すでしょう。
一度学習したら、その都度駅員さんに聞きますか。
「・・それは・・私を馬鹿にしている」。
ここからお客さんが怒りだした。
確かに私もまずい例を言ったものだ。

質のお客様にはお預かり時に流質期限、利息、延期、減額、受け出し、
などのことを説明している。
しかしこのお客様が来店の度に質問されるのは、
そうした取引内容が解らないからでも念を押すためでもないと思う。
絶えず質問をしていないと落ち着かないというか、
ちょうど一日中携帯でメールをうっている人と同じ心理だと思う。

当店は、質預かり・買い取り・販売をお客様とカウンターひとつを挟んでしている。
この間を質やったら何ぼや、売りやったら何ぼや、流れ買うのは何ぼやと、
質と買いと売りの全ての値段を聞きたおすお客様がある。
また今預かったものについてお金を渡して質札の記載内容を説明している最中に、
後ろの棚のヴィトン見せて、カウウターの下の財布はどんなんや、
ウインドーの時計はあれだけかと、話が次々に飛ぶお客様がある。
確かに知りたいから質問されているのだけれど、
携帯やインターネットのない時代にも人は生活できていたことを考えると、
特に聞かなくてもそれほど困らないことまで最近質問するようになったと思う。
しかし質屋としては質問されると取引に関わることだから、
いいかげんな返事をするわけにはいかない。
その都度正確に答えなくてはならない。
だからこういうお客さんには本当に疲れる。
 

 
02.11.10 記
        ダイヤモンドが柔らかくなったわけではないけれど

ダイヤモンドを切ってしまった。
質流れのダイヤモンドの鑑定書が古い基準のものだから、
新しい鑑定書を作るのにルース(裸石)にしょうと指輪の枠を切っていたら、
気がついたら鉄ノコの刃がプラチナの縁を越えてダイヤモンドに垂直に入っていた。
女性用の立爪指輪のダイヤモンドは簡単な工具で外せるが、
男性用の埋込型(ふせ縁)のものはプラチナが硬くて難しく、
私は枠ごと鉄ノコで切って外している。
もちろん専門の錺職に頼めばいいのだが、
京都や大阪の中心部とちがい枚方では専門の錺職店がない。
それで都心まで持って行くのが面倒だから万力に固定して自分で外している。
それも専用の糸ノコを買えばいいのだが、
あり合わせのハンドグリップ式の鉄パイプでも切れるノコを使っていた。
ダイヤモンドはどんな物よりも硬いから、
鉄ノコの刃をはね返して傷付かないだろうと思っていたが、
今回、ダイヤモンドまで切り込んでしまった。
改めて鉄ノコの側面を見ると、DIAMOND HACK SAW BLADE と書いてある。
切れたダイヤモンドは小さいとは言え、旧の鑑定書では、F VVS-2 GOOD  だった。

また先日はあろうことか、
ルイ・ヴィトンのコピーバッグを古物市場へ出品してしまった。
市場には品物を預けただけで当日は行かない時がある。
そのような日は夜に売上げ伝票がファックスで入ってくるが、
入ってきたファックスと控えの用紙を合わせていると、
出品のうち (ヴィトンモノグラム ヴァヴァンGM 新品同様) 1点だけが消えない。
市場へ電話すると、
「買い手さんがコピーだと言うので競りに掛けませんでした」とのこと。
そんな筈はないと思っていたが、市場から返ってきたバッグは確かにコピー品だった。
このバッグはデザインがシンプルだから立ち姿がよい。
新品同様のもので一見したところ問題なく見える。
しかしよく見ると直ぐに「ダメ」と解った程度のものだ。
どうしてこんな間違いがおこったのか考えてみると、
おそらく店頭での取引時には、
定価や掛け率に気をとられて品物をよく見ていなかった。
市場への出品時には、品物が新しいので荷造り中の汚れた手で触りたくなかった。
それで保管していた紙袋から十分に出さずに出品札を付けてしまった。
そうしたことが重なったのではないかと思う。
結局、一度もこの品物を手に取ってしっかり見ていなかったのだと思う。
そして結果、当店の出品札を付けたコピーのバッグが、
同業者の集まる古物市場の棚に置かれて、
見せしめのためだろうか一日中晒し首になっていた。

物に対する極度な関心。質屋の場合それは欲であるというより畏怖にちかい。
高価な物に対するあの尊敬感。手に取った時のあのドキドキ感。
そうした感情が、俺もこの品物を扱えるところまで来たという満足感になる。
この質店を大きくするために不可欠な、
質屋を作る基礎的な感情がこのところ私の中で急速に衰えていく。
だからダイヤモンドを切ってしまったり、コピー品を通してしまったりするのだろう。
ダイヤモンドが柔らかくなったわけではない。コピー品がより精巧になったからでもない。きっと私が変わっていってるのだ。
 

 
02.08.23 記
        グレーゾーンについての9条的取り組みと将軍政治の危うさ

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しょうと決意した。」
質屋金利のグレーゾーンが話題になる度に、この憲法の前文、そして9条の「国の交戦権は、これを認めない」を思い出す。

質屋にとって利息制限法と出資法の定める上限金利の差の部分、いわゆるグレーゾーンの問題にどう対応するか以前から厄介な問題である。法律では任意に支払われた金利は有効であるとあるが、昭和39年の最高裁大法廷の判断はそれを覆すものであった。これは当時、町金融が相当ひどい取り立てをした、その非常に特殊な事例に対しての司法の判断であると聞いたが、しかしその後、金融に関係する者はこの判例に強い影響を受けてきた。

質屋は平成10年の大阪地裁の質屋側勝訴の判決まで、このことについてお客様の「公正と信義に信頼して」、「交戦」を避け、あくまでも商人とお客様との関係に努めてきた。その姿勢によって質屋が「社会において、名誉ある地位を占め」ると考え、その方向で「われわれの安全と生存を保持しようと決意した」からだろう。

グレーゾーンの問題から、「諸国民の公正と信義に信頼して」、「国の交戦権は、これを認めない」を想うのは、憲法の成立が、昔、軍部が暴走して戦争を起こし他国に随分ひどいことをした、そうした反省の上に戦後アメリカによって制定されたこと。そしてその後日本が平和と繁栄を築いた経緯と、グレーゾーンの扱いについての最高裁の判断、またその後、質屋がとってきたこの問題にたいする9条的な取り組みと、今日の質屋業の安定の軌跡が重なるからである。

しかし今日、質屋の仕事がこれまでの質預かりから品物の売り買いへと傾斜していく業界内に、ちょうどむかし軍部が台頭してシビリアンコントロールがきかなくなり戦争へ進んだような、グレーゾーンの問題に対してこれまでと違う動きがあるように思えてならない。

これについて考える参考に京都の質屋業界をふり返ってみよう。
質屋専業である前の理事長さんは全国組織において質屋の基礎調査、法令研究、公聴会への出席などの仕事を30数年に亘ってされた。その業績は長く質屋業界に影響すると思われるが、そうした仕事は性格上、必ずしも普通の質屋が日ごろ関心のある事柄ではなかった。だからどうしても一般の質屋からすると、雲の上のこと、やんごとなきお方のまつりごと、そうした面があった。それで今仮に前理事長さんを行為の性格上、天皇さんとしょう。対して質屋が毎日関心のあること、質の預かり値は間違っていないだろうか、古物市場で損をしないだろうか、そうした今日の商売に直接影響する、今関心のあることがらに対応する人、だから今仮にこの相場に強い古物屋さん的な質屋を、武家の棟梁の意味で将軍としょう。そして天皇さんがこの将軍に征夷大将軍の位をあたえる。構図として京都の質屋業界はこのように天皇と将軍という二層構造でこれまで来たと考えられる。そして今度、天皇さんが退位された。そうすると、ここで天皇政治から武家政治へと変わったことになる。

こうした変化は今後、古物屋さん的な質屋が台頭してくる中でどの組合でも起こり得ることだと思われる。この体制移行の問題点の一つは、天皇は生まれながらにして天皇だが、将軍は戦うからこそ将軍であると考えてしまうところにある。ここで言う将軍とは一種の人気稼業である。だから9条を改正しなくて国民に国を守る気概が生まれるかと演説すれば、一部の人に人気が出るように、質屋がグレーゾーンの問題に対して戦わないようでいて、息子が自分の仕事に情熱が持てるかと言えば、この理事長さんは組合員にきっと人気が出るだろう。もちろん将軍はそれでいい、軍人にとって戦いとは自己実現なのだから。しかし昔、国民は赤紙一枚でどうなったのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

グレーゾーンの問題について書くのに、平成10年の「大阪地裁で、質屋の主張が通る」を報ずる質屋業報を読み返してみた。この筆者は最後に、
「時代が移り、社会が変われば条文解釈も動くのである。(この質屋側勝訴判決で質屋が)絶対安心で大丈夫とはだれも言いきれない」、そしてこれからも「社会に必要とされ、喜ばれる質屋であり続けること」、その姿勢を「大切に守って行きたい」と書いておられる。

質屋にとって本当に一番大事なものは何だろうと考えることがある。そうすると結局は質屋とは何者かという、その思想(姿勢)にいきあたる。もう20年も前から業界では新しい時代にふさわしい新しい質屋の思想を、と言われてきた。しかし未だに時代を切り開く本格的な考えは出ていない。これだけ激しく動く時代にどうして出てこないのかと思っていたら、最近読んだ新聞の書評欄に私なりにその答えがあった。その一部を書いてみる。

8月4日 日経新聞書評欄
 「新しい市場社会」の構想   佐伯啓思・松原隆一郎 著
           評者 山田鋭夫 氏  <社会に資本主義の調整役求める>

「構造改革か景気回復か・・・。グローバリゼーションと長期不況のもと、経済論議は随分と積み上げられたが日本経済の将来像はいっこうに見えてこない。そんななか本書は、経済から出発しつつも、しかし経済の奧にあるものへと降り立っていく。
奧にあるものとは「社会」である。だから本書は「市場経済」でなく「市場社会」を問う。(略)従来の論議は、市場や経済があたかも自己均衡的な完結的システムであるかのような前提のもとでなされるか、あるいはせいぜい市場に対して政府の役割を対置するかであった。そうであるかぎり「市場経済」論でしかない。そうではなく「市場」は本来「社会」のうちに埋め込まれ、それと絡み合い、そこから切り離せない。
当たり前とも言うべきこの視点に立つ「市場社会」論こそ、いま必要とされている。日本経済は根源的に市場と社会の分裂を、市場の独走による社会の窒息を、病んでいるのではないか。
(略)市場経済と呼ぼうと、グローバリズムと呼ぼうと、「資本主義」とは限りない変革の力である。しかし、それ自身のうちにはこの変革を調整する原理をもたない。調整の原理は「社会」のうちにしかない。−−経済論議の原点はこの認識にある。」

質屋自身、これまで新しい時代の思想(質屋像)を構想するのに、金利や利便性といった「市場経済」の中に探しすぎるきらいがありはしなかったか。しかし実は既に昭和50年以降の質屋はこの「市場社会」の中にこそあったのではないか。お金を貸すのに品物を預かる。預かった品物には当然保管コストが掛かる。その宿命から逃れられない質屋が、そもそも無担保金融や事業資金を融資する大口金融と同じ利息制限法の「市場経済」の土俵で戦えるわけがない。お金の貸借は物の値打ちの範囲、流せば一切チャラ。この簡潔で原始的な金融システムが、社会にどの程度必要かは本来「市場社会」の場で論議されるべきではないだろうか。

上記の市場社会論が出てきたのは、これまでの市場競争や価格破壊の方向だけでは、結果、社会は豊かにならないし人は幸せになれないという、現実の反省からだろう。これまでは、例えばある産業に高コストの構造があり、高価なサービスしか提供出来なければ、消費者はそのサービスを利用しない、買わない、そういう形で切り捨てていく、それを是とする社会であった。同じ論法で質屋の金利を言えば、品物を預からなくては金が貸せないのは質屋の事情による。預かった品物に保管コストが掛かるなら、それは質屋が営業上解決すべき問題で、それを利用者に質料として転嫁するのはおかしいということになる。しかし基本システムが保管コストの掛かる小口金融の業態を、その形で切り捨てて行って、結果質屋が無くなって、それではたして社会として上質といえるのかという問題である。
 

 
02.03.10 記
        橋本質店の長き苦悩

隣国とのつき合いは難しいものである。
大国と小国の間において、
一方が軍事大国であれば隣の小国が自国に脅威を感じていることは当然察しがつく。
しかし平和な経済大国にして、
隣の小国の中に自国に脅威を感ずる者がいるとは普通考えつかない。
往々にして大国と小国の間にはこうした意識差がある。
善隣外交の一歩とは、先ずその意識の差を埋めることではないだろうか。

いや国際政治のことではありません。質屋業界のことについて書こうとしています。
京都は地理的にいうと、三方を山に囲まれ、南がひらけ、そこを淀川が大阪へ流れて行く。
この淀川の流れのように、生産品が直接大阪という大きな市場へ流れて行くことは、
京都の問屋にとって昔からの脅威である。
質屋業界について言うと、京都の住人が大阪の質屋を利用することや、
また大阪組合のバザールへ質流れ品を買いに行くことは、
京都の質屋にとってそれほど関心事ではない。
それより昔から京都側にある関心事は、
京都の質流れ品が大阪の古物市場へ流れて行かないだろうかということであった。

京都の質流れ品が集まる古物市場は3軒ある。
どの市場でも一店の古物問屋さんがその多くを買われる。
それは30数年前に私が初めて京都の古物市場へ行ったときもそうだった。
当時は大阪から来ておられた古物問屋さんの撫で買いだった。
いつの時代もこうなのは京都の質屋業界の規模が、
ひとつの古物屋さんがピタッと押さえるには、ちょうどいい大きさなのによる。
そして目利き、販売力、フットワークを兼ねそなえた、
その古物問屋さんの影響を、これまで京都の質屋世界は受けてきた。

昔から質屋の若者は修業をするのに古物市場や古物問屋さんへ行くことが多い。
それは質屋へ勉強に行くより、
古物屋さんへ行く方が扱う物が多く相場を早く憶えられるからである。
また古物屋さんからすると、
質屋の若者を預かることによって自然とその店の流れ品を扱えることになる。
この質屋と古物屋さんの昔からある一種の教育産業の形態を、
組合広報部という組織を受け皿にすることで丸ごと作るのに成功した人がある。

そうすると組合員である親にすると、
京都府民が子供を府立高校へ行かすようなものだから行かせやすい。
また若者にすると店の仕事を手伝いながら組合という外の世界になじむ学習は、
修業のように苦労がなく今風で軽くて優しい。
そうして京都の質屋の若者ほとんどが広報部員になった。
私はその当時そばで見ていて、この若者達を広報部員にすることと、
これまでの広報部の仕事である業報誌の発行と何の関係があるのかと思っていた。
これは後日考えると、
ちょうど毛沢東が文化大革命を起こしたとき、古くからの同志の誰だったかが、
この紅衛兵の騒ぎと革命とが何の関係があるのかと思っていたという話に似ている。

京都の質屋組合、20世紀最後の20年を特徴づけるとすれば、
それは組合の質屋学園化の方向であった。
この組み方が強い理由は、質屋に限ったことではないが、
親にとって子供を手元に置きながらその成長を見まもる日々の仕事の中に、
夫婦でつくる小さな商店の楽しみの一つの形があるからであり、
後継者の若者という雛鳥を囲う者には金の卵が手に入るという、
真理があるからである。

京都の質屋について具体的に考えてみると、
若者がいる家庭でおよそ次のような展開があったのではないかと思われる。
後継者の若者という雛鳥には母鳥がいる。
この母鳥がある日、父鳥、つまり質屋である主人に、
「あんたにこれから先、何がある。何もあらへんやないか。
ただ息子に店継がして、一人前の商売人にすることだけやないか。
そのためなら、あんたは、焼き鳥にでも、かしわにでもなりなはれ!」
「・・お前そんな・・あわぁあわぁ・・・」
まるで大助・花子のような一面が、
質屋の大将、組合の理事、という外の顔とは別に、家の内にはある。
この母鳥を中心にした店づくりに、ほのぼのとした家庭の温もりがあり、
その幸せの中で、例えば父鳥は昔の浮気をゆるしてもらえる ??

当店は親の時代には京都府八幡市の質屋であった。
昭和の終わりに子が府の境を越えて隣の大阪府枚方市へ店を開いた。
以来、大阪質屋組合員であり、また前どおり京都質屋組合員でもある。
以前から京都の組合で業報誌の編集をしていた関係から、
その後も京都の組合員として全国的な集まりに出ることがあった。
そこで私にとって大阪の人達とのつきあいに難しい問題があった。
京都の質屋が大阪の質屋とつき合うと大阪の古物市場や相場の話が出て、
結果、京都の質流れ品が大阪の古物市場へ流れていく可能性がある。
しかし淀川の流れが大阪湾から琵琶湖へ流れないように、
逆に、大阪の質屋が流れ品を持って京都の古物市場へ売りに来ることは起こりえない。
このところに語られることのない京都の質屋世界を形成する根幹を揺るがすことがらがある。
だから京都は大阪さんと疎遠にということではないが、
自然と大阪の組合の人達とのつき合いを選択しないふうが、昔はあった。
しかしそのことを大阪の組合の人達はあまり意識されていなかったかもしれない。
京都と大阪の真ん中の地で、両方の組合員である私は、ここでどういう顔をしてたらいいのかな、と。
 

 
02.01.03 記
        6 番街

「知る → 考える → 伝える」という人の行為は、
次に知った人がそれを「やってみる」につながります。
インターネットの開放性は、
これまで社会を発展させてきたこの基本的な回路を、
「知る → 伝える」ことについて最も効率良く設計します。
しかしこれまでは、知って考えて、それを次に伝えるには、
誰にという限定が、あるいはおよそこの範囲の人にという、
ばく然とした予想も含め対象というものがありました。
新聞や雑誌であれば購読者、組合誌であれば組合員にというようにです。
そしてそのことは自然と、新聞であれば社論を統一するとか、
組合誌であれば組合員の知る権利と和を考慮しながら表現をセーブするとか、
たえず編集者に掲載内容の判断基準をしいる作用をしてきました。
しかしインターネット発信の軽便さと、対象を括れないことからくる無責任さは、
本来、留めおかなければいけないものをも、つい出してしまう危険を常にもちます。
その懸念がこの「質屋の風景」の行きづまった原因の一つです。

質屋業界には組合業報という、いわば正史があります。
これに対して外伝というと大げさになりますが、いわば私家版といったものをつくれないかと、
質屋業を長くした者として何か残せないかと考えたのが、「質屋の風景」を始めた理由です。
しかし外伝は正史からこぼれたものですが、そこにはこぼれた理由があるわけですし、
私家版といっても表現するには種々の問題があります。
ですから例えば7番街の他に番外編を作り、表面に出ないページに残す方法があります。
しかし同時に現役の質屋として ”質屋の今” にアプローチしたい気持ちもあります。
ここが難しいところです。
それで7番街の手前に6番街をつくり、ひとまず下書きをそこに載せ、
業界関係者、有識者のご意見を参考にして、あるものは加筆訂正して7番街に引き上げ、
「質屋の風景」として掲載することにしました。
 

文責  橋本洋介   

 

 
2007(C) 2007 shichiya.com All Right Reserved