「質屋の風景」
第四冊 |
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H25.12.22 記 どんなん? こんなん
ここで質屋を始めた一番最初の記録を見ると、昭和63年2月18日の開店初日に2口の入質がある。
明くる19日から23日まではお客様が一人もなく、24日に1口、25日はなく、26日に1口、27日に2口、28日に1口、29日に1口ある。次の3月も初めの頃は毎日0か1で、ただ中頃からは毎日1口以上の入質が続いている。
少ないようだがこれでも質屋の新規開店としては良いスタートを切った方で、普通は質屋の開店はスーパーや飲食店と違い、なかなかお客様がないものなのである。
ちなみに昭和50年頃に開店した知りあいの質屋は、最初の2年間はお客様のない日の方が多かったと言っていた。
当店の場合は幸運にもちょうど質屋業界がバブルの後の追い風を受けた時期と重なり、店の四半世紀の記録を見る限り、口数だけで言うと開店5年目の平成4年が最高で、結局店のトップスピードに早く乗ったことになる。
その後、質の口数はわずかづつ減り続けたが、ただ店としては、ある時代は販売の方が伸び、またある時代は買取が多く、この20年近くあまり変わらずやってこられた。
それが近年営業時間を短くしたこともあり、今年に入って急激にお客様が減り始めた。そしてとうとう日に1口も質預かりがない日が訪れた。
商売を始めた最初はお客様のない日もあったが、その後、営業日に入質が1口もない日はなかった。それが先月に初めて0の日があり、店としてついに来るものが来たという感である。
それで思い出すのは若い時のこんなことである。
40年ほど前に、京都の古物市場へ行くと、売り主の質屋は来ていなくて、前日に市場が集荷した流れ品を競りにかけている。次の出品はどこどこの○○さんと帳場に伝えて荷を競り台に拡げるのだが品物はわずかに5点か10点である。
これがその質店の1ヶ月分の流れ品とすると、その質店は毎日どんな商売をしてるのかと思ったものである。それである日、組合で先輩の質屋に、「そういう店も市場へ出てきて相場覚えて頑張ったらどうなんですかね」と言った。そうすると、
「橋本君、そう言うが店の立地条件のこともあるし、店が古くても建て直せない場合もあるし、他にもいろいろなことがあって頑張ってもあかんねんな!話しをすると日によってボウズ(0)の日があるというねん」。
つまり頑張れないし、また頑張ってもどうにもならんねん、と。
私が当時25歳でその先輩が40歳台であった。
一日に質預かりが1口とか0とか、当時の私は、その質屋の毎日の生活はどのようなものかと思ったが、自分もそれに近づいてみて、今仮に同じように若い質屋に、毎日はどんなん? と聞かれても・・。こんなんです。
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H25.11.23 記 検索で当ててる場合やない
先に書いた、グーグルが勝手にクチコミを募って、見当違いの悪評を載せるのは当店は困るという意見。またこのクチコミの仕組みはおかしいという私の考え。その私の文章がそのまま検索で当たって、今も店の名前がクチコミ(1)を付けたまま検索画面に表示される。
ちなみに現在、前に書いた「荒ぶる神の前で」の文章中、「悪評を載せられるのは困る。」は検索1.700.000件中一位で、最後の行の、「おかしなことでも当方は受け入れるしかないのだろうか。」は検索102.000件中一位である。
こうしたことはなお一層おかしなことだと思う。それで昔にあったこんなことを思い出した。もう30年も前のことだが、当時に京都で一番大きい質店のことを、若い質屋が組合業報誌で笑いを取るのに茶化して書いたことがあった。昔は質屋業報に結構自由にものが書けたので、若い人が書いたものがそのまま組合の業報誌に載ったのである。
その内容は忘れたが、今でも覚えているのは書かれた質屋の主人がその当時に言っていた言葉である。「最初業報の文章を読んだときは、ただ面白いので笑っていたが、後で店の番頭さんが、ご主人!これえらいこと書いたります、と言うので気が付いた」、と。
この昔の話を思い出すのは、当事者である私に困ると言われ、おかしいと言われてる文章を、グーグルが自分で検索で当ててどうするのかと思うのである。
グーグルの社内には、質屋の番頭さんのように、「社長!これえらいこと書いたります。こんなもの検索で当ててる場合やあらしません」、というような社員はいないのだろうか。
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H25.10.31 記 荒ぶる神の前で
以前から何度かグーグル株式会社の執行役員名で、
Google
広告の「無料お試し券」が送られてくる。
7500円分が無料とかで、これで効果を確かめて、
よろしかったら広告を出してくださいということである。
お試し券には「貴社専用プロモーションコード」が書いてあり、
これをサイトにアクセスして打ち込み手順に従うと、
当店の広告が検索画面に表示される仕組みになっているようだ。
世界的な企業の執行役員名で来る手紙に、
「7500円分の無料お試し券」というのは何だか変だが、
私は一度もお試し券を使ったことはない。
当方は1995年にリムネットとプロバイザ契約をして、
インターネットに繋ぎ、
当店のホームページに自分で文章を書いて載せている。
その文章を検索で当ててくださるのは結構なことだけど、
今回のように、それに勝手にクチコミを募って、
見当違いの悪評を載せられるのは困る。
当方としては困るのでそのことをグーグルに伝えようと、
クチコミの画面で星印の右にカーソルを持っていくと、
「違反コンテンツを報告」と出るので、2ヶ月ほど前に、
これに毎朝メールアドレスを書いて10日ほど送信し続けた。
しかしクチコミに何の変化もなく、会社からは何の連絡もない。
その内にGoogle 404. That’s an error. となって送れなくなった。
当方の生ログを見ると毎日のように、
Google Wireless Transcoder が来てページを取り込んでいく。
これはおかしなことだと思う。
私はグーグルのページに書いているのではない。
自分のページに書いているのだ。
この私のおかしいという考えは筋が通っていると思うのだが、
前にグーグルのCEO?だったかが、検索に当たらないのは、
存在しないことと同じことになると言っていたことからすると、
グーグルと契約をしていなくても、
検索に当たるように頼んでいなくても、
Google
の信者でなくても、この荒ぶる神の前では、
おかしなことでも当方は受け入れるしかないのだろうか。
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H25.08.25 記 Google のクチコミ
先日、Googleで当店を検索すると、下にクチコミ(1)とある。
クリックすると、橋本質店枚方駅前 1件のレビュー
Google ユーザー 「差別された気がした
人を見下す!。」 と出る。
書いた人は匿名で誰かわからない。
しかし当店のお客様では絶対にない。
私は店でお客様にそんな悪い印象をあたえたことはないし、
また個人的に恨みを買った覚えもない。
これはきっとこのページの私の文章に、
悪い印象を持った人が書いたのだと思う。
文章を書くときには悪い印象を与えないように注意しています。
しかし読んでもらわないと始まらないので、
物語の運びで人物の位置を適当に動かすことがあります。
だから文章に出るお客様のモデルは最初はいても、
書かれたお客様が実際にいたわけではありません。
文章を書く始めは、何かの種があり、
それを膨らましたり削ったり、また別の種をくっつけたりして、
それで自分の言いたいことを書き表そうとしています。
しかし今回のように読んだ人が悪い印象を持たれたのであれば、
それは自分が創ったお客様を見る、
私の視線が冷たくて現実に悪い印象を与えたのでしょう。
その結果、このようにクチコミに悪く書かれると、
店の商売にマイナスです。このことは今後よく考えてみます。
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H25.08.18 記 それは違う
前に、吉野屋に牛丼を食べに入ったら、すぐ後に塾帰りの小学生4人が入ってきてテーブル席に座った。そしたら店員は「いらっしゃいませ、こんばんは」から、「何になさいます」まで、私と小学生とまったく同じ言葉で対応する。いくら注文が牛丼並で同じでも、これはどうかと思う。
質屋ではお客様によっていろいろ言葉を使い分けている。それは10万円のお客様だからどう、5千円のお客様だからどうではない。お客様の年格好というか風格というか品位というか、それを特に考えてということでなくて自然に受け取って、経験からごく普通に反応して、そのお客様に合った話し方をしている。
医者もそうである。患者によって、いろいろな話の仕方をして診察している。例えば「私、もうじき死ぬんです」と言ってあまえているお婆さんには、医者も扱い慣れたもので、「どこも悪くありませんがね。体重も変わらないし。普通は死ぬ人は痩せるもんなんですけどね」、なんて笑って、それで診療行為になっている。
質屋は、特に当店は、例えばお客様の指輪についての長い長いいわれ話に対して、しかしこの指輪はただ18金の重さの値うちなんですけど、と言ってガクッと落ち込ませるとか、流さないで待って欲しいというお客様の電話に対して、それでいいですよ、何も暑い日に利入れに来なくても。道の途中の熱中症で倒れたら大変ですから。運び込まれた病院で、質屋へ行く途中でした、なんて言うのはね。後で当局から訊かれても、こちらも困るし、と。
まあ、こんな調子で話すのである。大ざっぱに言うと、質屋の対応は現物本位で実直主義で質実剛健?で誠実無罪??・・。
それがお客様によってもっとくだけて、もう流すか売るかしたらどうや。いつまでも利息を払うて何を考えてるの、という会話になる場合もある。それはぞんざいな口の利き方だと言えばそうかも知れないが、当店としては親しみを込めて提案して、親切のつもりである。だからそれを見下していると言うと、それは違う。
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H25.08.04 記 質蔵文庫 その3
外で質蔵文庫の本を整理していますと、通りかかった人から、これは全部ご自分の本ですかと聞かれることがあります。棚の本は現在およそ1/4が寄贈本で3/4が蔵書の割合です。
また私の本といっても買っただけで少しも読んでいない本がたくさんあります。3冊買って1冊しか読まなかったとか、数ページしか読まずに終わったとか、もともと本が好きで今までに本を買うことは買ってきました。
普通本が好きというと読書のことを言うのでしょうが、読むのも好きですが、私は紙の本そのものが好きで、それも大層な本でなくて文庫本がいいのです。安価な本にこんな素晴らしいことが書いてあるという値打ち感があって。それと本を開くとページの端が段々になって流れていくあの書籍紙のミミの感じも好きです。
それでこれはちょっと意味が違うかも知れませんが、よく質屋のお客様に、腕時計が好きな人とか、カメラが好きな人とか、ブランドバッグが好きな人とか、着物が好きな人とかがいます。こうした人はその物が好きで、品物はあまり使わない人が多いのです。
例えば腕時計の好きな人が時計を取っ替え引っ替え使うかと言うと、そうではありません。普段は国産を使い、別に高価なスイスの腕時計を何個もコレクションしています。
あるいはカメラの好きな人が写真を撮るのが好きだとは限りません。カメラの機器が好きで、ニコンF3とかキャノンF1とかライカM6とかハッセルとか名機と言われるカメラを何台も所蔵しています。
ブランド品が好きな人が使い切れないほどのバッグを部屋一杯に買い込んでいる場合もあります。
着物の好きな人が高価な呉服を何枚も仕立てて専用部屋を作って保存しているようなこともあります。
昔からこういうお客様が質屋にとって良いお客様で、こういう人の品物は好きで集めた物ですから本筋物で、百貨店の外商で買ったというものなどが多く、出しょうが良くて大事にされて、殆ど使われていないから物がキレイで、しかも量が多い。
中古品でも古物の業界を渡り歩いて色んな世界を見てきたというスレッからしとわけが違う。スレてなくてウブで上物です。古物市場へ出したら取り合いになるような品物です。
そういう意味で質蔵文庫の本も、私が金に糸目を付けず(もっとも文庫本ですけど)好きで買った物ですから、中身は本筋物です。お気軽にご活用ください。
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H25.07.05 記 うっとしいもの
この「質屋の風景」のはじめは第一冊の下に95.10.10記とあるから、もう17年も書いていることになる。
しかしこれまで一度も書いた内容に対して抗議を受けたことはない。今まで一度もお叱りのメールや電話や手紙が来たことはなかった。それなのに先日、始めて叱られた。・・・
・・・この後の文章は、叱られた内容がばかばかしいので、H26.05.16 に削除
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H25.06.28 記 散歩で思うことなど
店と住まいが同じだから通勤で歩くことがなく普段から運動不足なので、土日祝の休みには出来るだけ長い距離を歩くようにしている。
散歩で一番気にいっているコースは距離が稼げる河川敷の道で、災害時に淀川左岸に緊急車両を通すために作ってあるからか、幅8mの舗装道路は普段は車の進入ができないようにしてある。この道のいつも決まった所まで歩いて往復で1時間半かかる。早足でこの距離を歩くと、たっぷり歩いた気がする。
長い道路にはいつもほとんど人けがなく、わずかに散歩する人とジョギングする人と、たまにバードウオッチングのグループと、それとサイクリングの一団が高速で駆け抜けて行くぐらいである。
淀川の流れとマキノゴルフ場のコースの間をほぼ直線に北に延びていて、東の雑木林は堀のように少し窪地になってから一段高くなりゴルフコースになっている。上流で豪雨になると淀川の水位が上がりこの道路が冠水して、濁流と一緒に本流を避けて魚が窪地へと逃げ込む。そうして水が引く時に取り残される魚がいて、続けて豪雨にならないと窪地はそのまま干上がるわけで、今はなに思うか草木に沈んだ静かな水の中を魚が泳いでいる。
子供のころはよく淀川の溜まりでこうした魚を捕ったが、しかし昔と変わったことは、最近は豪雨になっても、河川敷のゴルフコースの高さまでも水に浸からなくなったことである。
昔は梅雨から台風の季節にかけてしょっちゅう淀川の水位が上がり川原一面が浸かり、昔に住んでいた上流の三川合流地点では裏の堤防の上辺までよく水がせまっていた。堤防の上から対岸を眺めると水面がほとんど眼と同じ高さで、向の山崎まで広い川幅を真っ平らな濁流が凄い勢いで流れていた。
今は上流にダムが幾つも出来て水位をコントロールして、このように水が増えることはなくなったのだが、・・しかし想定外の大雨ということはあるし・・。
それで散歩していて気になることは、このごろ河川敷に結構大きな木が植わっているが、洪水の時に、この大木が二次災害の原因にならないだろうかと思うことである。
昔は河川敷に大きな木は無かったが、国の方針が変わったのか、このごろ自生して自然に大きくなったと思われる大木がある。バードウオッチングのグループが、キツツキがいるとか、フクロウがいるとか言ってカメラを向けていることがあり、確かに自然の林や大きな樹木は気分がいい。
しかし仮に想定外の大雨が近畿一円に降って、ダムを放水しないとその地域が浸水することになって、それで昔のように淀川の堤防の上部まで水を流さないと仕方なくなって、その結果、河川敷の大木が濁流に根本を洗われて抗しきれず激流に持って行かれ、枚方大橋の橋桁にぶち当たって立ち上がり、絡みあって堰をつくり、水嵩が上がって縁の護岸から水が溢れて、・・なんてことにならなかったら良いのだけど。自然には想定外のことがあるし、その災害を考えたら河川敷に大木がある気分のよさは犠牲にしても・・。
散歩しながらこんなことを考えている。それはきっと前に先生から聞いたこんな話を思い出すからである。
先生はもう亡くなられたが、昔に新聞社で社説を書いておられて、その時書かれた社説は多摩川の護岸が洪水で削られて家が何軒もプカプカと流される、あの災害のことだと思うが、書くにあたって先生は大学のその分野の権威に聞きに行くと、「都市における河川は構造物である」、先ずこれが第一ですとの返答である。次に他の大学の教授に聞きに行くと、また「都市における河川は構造物です」、と同じ返答である。
それでこの方向で社説を書いたら、翌る日に自然保護団体が抗議に押し寄せて・・。
こんな先生の話を思い出したり、いろんなことに気を散らしながら休みの日には河川敷を歩いています。
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H25.05.30 記 質蔵文庫 その2
質蔵文庫に使っている本棚は側面に板がないので小さな文庫本だと外へ落ちる。それで棚の端にしっかりした外箱に入った全集本を立てて、本立てのように押さえて横から落ちないようにしているが、この押さえにしている「日本の古典芸能」全10巻は、昔に古本屋さんで買ったものである。
今から40年ほど前になるが質流れ品が集まる古物市場には、時々平凡社の世界大百科事典が出た。当時はアパートの一室でも本棚に、豪華な百科事典全24冊を並べるような時代で、これが質に入って流質して市場へ出たのである。
それを私が市場で買い、古本屋さんに売りにいっていた。質屋の相場と古本屋さんの相場に差があって商売になり、京都の質屋の市場では本が出ると全部私が買っていた。その内に京都の市場だけでなく範囲を広げて奈良、和歌山、兵庫の質屋を電話帳で調べて、「百科事典買います」の葉書を軒並み出して車で買いに走った。
本巻24冊に地図2冊がA・B・Cの3つの外箱に入って、本棚に並べておくだけのものだから殆どどれも新品で、質屋の相場が2万円位で、それを京都の古本屋さんに2万5千円ほどで買ってもらっていた。
いろんな古本屋さんに行って買ってもらったが、一番多かったのは河原町のA古書店さんで、ここのご主人にはいろいろとよくしてもらった。この「日本の古典芸能」全10巻はそこの陳列に並んでいたものを買わせてもらったと前から思っていたが、先日質蔵文庫の棚に置くのに一冊づつ外箱から出してスタンプを押していると、中から丸太町の一信堂書店さんのたれ札(値段札)が出てきた。
そうだったんだ。今は店はなくなったが一信堂さんのご主人にもよくしてもらってた。私が近県の質屋に「百科事典買います」と葉書を出すものだから、当時神戸の質屋が言っていたが、市場でいっぺんに百科事典の相場が上がった。そうして私の原価も高くなって古本屋さんへ持っていっても売れなくなった。それで一信堂さんに無理を言って、確か古書の市場へ出してもらったことがある。
覚えていないが、そうしたことがあって一信堂さんでこの「日本の古典芸能」全10巻は買わせてもらったのかもしれない。以来40年、一度も読むことなく私の書棚の一番下に並べていたが、この度スタンプを押して、質蔵文庫の棚に置くと借り出す人があった。
(その後に出た新版の世界大百科事典全36冊はA・B・C・Dの4箱に入って相場が5万円ほどだっただろうか。もうあまりに昔のことで確かなことが思い出せないが、新版の方は時代が移って一点豪華主義の百科事典があまり売れなくなったのか、あるいは重たくて嵩張る百科事典を質屋が預からなくなったのか、お客様が質入れしなくなったのか、あるいはどちらかが相場を知って直接古本屋さんへ売りに行くようになったのか、どちらにしてもあまり扱わなかったようにおもう。)
* 「日本の古典芸能」全10巻 平凡社刊 芸能史研究会編 代表監修 林屋辰三郎 (神楽)(雅楽)(能)(狂言)(茶・花・香)(舞踊)(浄瑠璃)(歌舞伎)(寄席)(比較芸能論)
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H25.05.18 記 質蔵文庫 その1
店の軒下のスペースに、前に店内でヴィトンのバッグを展示するのに使っていた木製の棚を置いて本を並べはじめておよそ50日が経ちました。
最初は自分の本を毎日10冊づつ並べ、その内に寄贈本があり、また児童書が欲しいので連休に京都の古本市でまとめ買いして、これまで文庫棚に並べるのに押したスタンプナンバーが300を越えました。
よく借りられる本は藤沢周平、村上春樹、池上彰など、それに児童書です。意外と出ないのは司馬遼太郎、南木佳士、三島由紀夫などです。出たときは分からなくても返却されたときにどの本が借りられていたかが分かります。
雨の日や夜は本棚に透明のナイロンシートを被せています。しかし西向きなので昼は日差しが強く本のヤケるのはどうしょうもありません。寄贈本や返却本のことが気になるので一日に何回も外へ見に出て、結構楽しんでやっています。
次に考えることは本棚の横に「意見箱」をつけて、読みたい本の名前を書いて入れてもらったら、なるべく希望がかなうようにすることなどです。
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H25.04.19 記 過払い 断簡
もう長い、この過払いの問題は昔からある。私の若い時から組合の上の人はこの問題に悩んでいた。それは「過払い」という判決はなんなのか、その理由がしかと解らない。だからそれが質屋にも及ぶのかどうか、また及ばないように対処するにはどうしたらいいのか解らない。組合の上の人の困惑の理由が私にはそのように思えた。
去年も弁護士さんが講習会で、前の利息制限法には任意に支払われた利息は有効な利息の弁済とみなすとあるのに、最高裁がその条文の任意性に無理な解釈をした。それは最高裁判所が金融業者が嫌いだからですね(質屋のことではないですよ)と言われるが、しかしその嫌いの中身が何であるかは依然として不明のままである。
私はそれを「国家と税」から一部説明できると思う。以下にそれを書いてみる。
昔は貸金業者に脱税が多かった。三大脱税業種にパチンコ業、貸金業、あと時代によって不動産業であったり建築業であったり、病院経営という時代もあった。しかしいつの時代も貸金業は三大脱税業種に入っていて、貸金業界には脱税体質があったと考えられる。
ところで最高裁判所は司法のトップだが、あと立法と行政の三権で国を造っている。その造った国家の権力の第一は税の徴収権にある。国家とは税である。あるいは税とは国家そのものであると言われる。その国家なり三権が脱税体質のある業界を嫌うのは当然で、では嫌ってどうするかというと、一番手っ取り早くて確実な方法として、居ないようにすることである。そして事実、昔の貸金業者はもう居なくなった。「過払い」とはこのこととして説明できる。
昔に観た映画(ドクトルジバゴだと思う)にこんな場面があった。革命軍(ロシア革命?)が行軍して農村で穀物を税として徴収する。しかし農民は不作で穀物は無いと拒むのだが、兵隊が倉庫を開けると山積みした麦俵が出てくる。そうすると即決裁判でその場で農民を立たせて銃殺にする。革命政権では脱税は銃殺で、つまり居ないようにするのである。
国家が出来て法律が作られるが、その法律が作られるまでの国家が持っている剥き出しの権力を、法律が作られたあとも国家というものは持っていて、民主主義を掲げている以上、商売人でも事業者でも評判の良い間は手出しをしないが評判が悪くなると牙をむく。
よく社会構造の変化により旧態依然の産業が市場から退場させられるという話があるが「過払い」により居なくなるのはこの退場とは意味が違うと思う。過去の商取引で利益があり税金を納めた、従業員に給料を払った、広告もして経費を使った、それを後日に、前に遡って返せというのは農民を銃殺隊の前に立たすようなものである。
これから法律が変わるという場合に、これからはこうなりますというのが当然で、前に受け取ったものを返せと言うのは、その時は有効だったのだからおかしな話である。最高裁判所という国権の一つが、法律の条文を無理に解釈して判決をしたと考える場合に、その原因を探る上で一番最初に当たるべきはきっと「国家と税」のことだと思う。
私は迂闊にも去年までこのことに気が付かなかった。しかし何故気が付かなかったのだろうか。この過払いの話は昔からあるのに。
長い間には組合の集まりで誰かがこの話をするとか、誰かが業報に書くとか、弁護士さんが話をするとかすれば、私の意識に引っかかっていたはずだ。そしたら、例えば質屋は台帳に取引を記載しなければならず、その台帳をいろいろな警察が絶えず調べにくるので経理のごまかしができず、構造的に質屋は消費者金融と違い昔から脱税のしにくい業種であることはこの場合に有効な論点になると考えただろう。
なのにどうして誰も言わなかったのだろうか。去年からそのことを考えているが未だに答えがない。
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H25.04.07 記 質流れと49日
質屋の流質期限は3ヶ月だが、実際は期限を過ぎたらすぐに流すわけではない。流すにはまず流れ帳に記載し、台帳に流質印を押し、個人ファイルの処理をし、質物を倉から出してチェックして、経理のこともして完である。
だから流質後にお客様が利息を持って来られたら、これをさかのぼって取り消し訂正しなくてはいけないので、期限を過ぎてもすぐには流さない。経過した日から考えて、もうお客様は品物が要らないのだろうと思われるまでそのままにしておく。それが当店の場合は期限を過ぎておよそ50日ほどである。
この50日の意味は、お逮夜の49日とよく似ている。人の心がお別れをするのに必要な日数というか、お客様の品物に対する未練が薄らいでいく日といくか、自分も流れないように頑張ったねという慰めに変われる日というか、そうして徐々に流質・喪失・別離という事実を受け入れるようになる。それがおよそ50日。
こう考えて質屋としては50日経ってから流したらまず問題ないと思いきや、それがそうでないお客様がいる。流質して何日もしてから電話を掛けてきて「頑張りますから」と言う。こんなものに頑張らなくていいと思うが、質屋としては結局は本人の心がお別れができるまで待つことになる。難儀なことである。
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H25.03.30 記 質蔵文庫
−文庫開設のご案内−
店の軒下のスペースに本棚を設けました。
棚の本はご自由に持ち帰りお読みください。
読み終えた本は一ヶ月をめどに、
「返却箱」にお返しください。
またご不要の本がありましたらご寄贈ください。
「質蔵文庫」のスタンプを押して本棚に並べます。
本の整理や破棄はすべて当方の判断でします。
お気軽にご利用ください。
橋本質店 店主 |
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H25.02.19 記 キツネは化けてもミンクは化けない
そのお客様の質札は小額のものが何枚もあり、毎月利上げを書き込むのが手間だから先日もう売却する物、預かり直しする物に分けて整理をしてもらうことにした。
今は貴金属が高いからネックレスや指輪は売却すると、差額が出てお客様にお渡しできる金額がある。だからそのお金で他の物を受け出す方向で話をしたが、しかしお客様にそういう考えはなく、殆どの物はそのまま預けておいてまた考えますとのことであった。性格的にゆっくりした人なのである。
しかし当店にしたら小額の質札を1枚づつ書くのが面倒だから、利率を下げてまとめて預かり直すことにして、とにかく預かり品の内の1点、ミンクの襟巻をただでお返しした。
ところがこの襟巻について後日電話がかかってきて、前に預けた襟巻は和装用だったがこれは洋装用である。入れ替わったのではないかと言われるのである。
・・もう知りません。和装用か洋装用かなんて・・。お返しする時に箱から出してこれですねと見てもらいました。質屋にしたらミンクの古い襟巻なんてもう・・、箱に入れて保管するのが面倒だから・・です。
しかしお客様にしたら高価だと思っているミンクの襟巻がただで返ってきたから怪しんでいて、その疑いの眼で見ると数年前に預けた襟巻が替わっているように見えるのだろう。
それで当店は預かったミンクの襟巻は今まで専用の箱に入れ、日付と名前を書いた垂れ札を付けて保管して、品物が替わるはずがありませんと答えた。それで一応納得された。
電話の途中で、キツネの襟巻はたまに倉の中で化けますが、お客様のはミンクですから化けないでしょう、という話を思い浮かべたが、この話は面白いと思うが失礼になってはいけないので言わなかった。
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H25.01.24 記 笑う部族は生き延びる
以前からNTTやソフトバンクの関連会社を名のる企業から、通信パッケージのセールスの電話が度々ある。そういう電話はいつも聞くのがじゃまくさいから直ぐに切るのだが、たまたまその時はこの町内に入って販売していると言うので聞いた。そして説明に行きたい言うのでOKした。
暫くして2人が来店して、切り替えをすると当店の場合は毎月の電話料金がこんなにお得になりますという。NTTの電話料金の領収書の内訳を見ながら、この項目もこの項目も要らなくなると説明するが早くてよく分からない。十分に理解できないから得かどうか考えるのはあきらめて、その立て板に水のようなセールストークに聞き惚れていた。あまりの話の巧みさに、このようにして人は騙されていくのだなと思っていた。それが確か去年の4月頃のことである。
それが7月頃に近所の人から同じように電話のセールスが来ているが、橋本さんとこはどうしていると相談を受けた。
しかしセールスが説明する内容に嘘はないのか、最初の年は料金が要らないが、2年目からは要る項目もあるし、結局はどうなのかよく分からない。それでセールスがこの町内に重点的に入っていると聞いたので、町内の皆さんに損がないように、申し込みはよく考えてからする方がいいと書いた「お知らせ」を、30部ほどコピーして町内の各戸に入れた。
損か得か確かでない「お知らせ」を町内にすべきか、すべきでないか。確かでない情報はない方が良いか、それでもある方が良いかを考えた。それで少し前に読んだ本の内容を思い出して、この場合はある方が良いと考えて「お知らせ」を入れた。
その本は人間はどうして笑うことが出来るのか。犬や猫は鳴くことはあっても笑うことはできないが、人間だけが持っているこの笑いの能力を人類はいつ頃どのようにして獲得したのかその経緯について書いたものである。
これは学問上の仮説で、人類が笑う能力を獲得した経緯は、大昔、人類の祖先がまだ言葉を持たない時代に、肉食獣などが近づいた危険を仲間に伝えるのをワーとかキャーとかの叫び信号を発していた。その信号が発せられると部族全員に緊張が走り穴の奥深く身を潜め脅威が通り過ぎるのを待っていた。危険が去ると次に解除の信号が発せられて緊張がほどけ穴から出るようにしていた。
しかしたまに発せられた危険信号の中に勘違いによるのがあって、その場合は正しい信号の後の解除信号でなく、間違ったあとの信号だから何となく照れくさくて、「カン違い、わるいわるい!」「ちょっとしたミスよ!」といった信号で、それが笑いの始まりだと言うのである。
そしてこの笑いの能力を持った部族が、他の部族より脅威レベルの低い時点で危険信号を発せられるので安全性が高まり、それだけ生存確率が上がって生き延びて現在の人類に至るというのである。
私はこの仮説が好きで、正しいかどうかは知らないが太古の山に笑いがこだまして、ワッハッハ! アホや! ワッハッハ! またあいつや! ワッハッハ! こういう部族が生き延びたという話は面白い。そしてきっとこういう類人猿の町内は良い町内だったと思うのである。そう考えると先ほどの場合に町内の各戸に確証のない損か得か分からない「お知らせ」を入れるのはアリではないかと。
以上、ちょっとしんどい説明ですがこれは一面の真理でして、それは町内を質屋の組合に置き換えても言えることで、組合の内をメールやFAXが行き来して、確証情報だけでなく、中にはいい加減な情報もあって、あとで外れてみんなでワッハッハ! なんていうのも良いと思うのだが。
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H24.12.30 記 質屋のリホーム
店は12月6日から19日まで休んで改装工事をしました。
天井を落とし床をはぎ壁の下地も取って、
リホームといっても結構大がかりな工事でした。
ウィンドーをなくして面格子を入れ窓にして店の風通しをよくしました。
質のカウンターも新しくナラ材で低いのと高いのをL字形に組み、
安全面を考慮してご利用いただきやすいようにしました。
こうした店のリホームはもう何年も前から考えていたのですが、
今までなかなか思い切ってできませんでした。
その理由の一つは質屋のリホームの場合、
工事中のお客様の対応をどうするかということと、
夜間の警備をどう確保するかの問題があるからでした。
当店の場合は工事中は私が店の前に立って来られたお客様に、
事情を説明して帰っていただきました。
しかし中には「せっかく来たのに」と張り替えたばかりのタイルの上で、
ハイヒールの脚で地団駄を踏んだお客様がありましたが、
そういうお客様には倉を開けて何とかご希望どうりにしました。
警備の方はセコムが毎日夕方に来て復旧して万全を期してくれました。
工事は最初5月頃を予定していましたが工務店の方が忙しくて、
暮れの12月になったのですが、その間に変更する箇所もあり、
かえって満足のいく造りができたと思います。
工事の間は大変でしたが店は美しくなりお客様には好評で、
新しい壁に来年のカレンダーを掛けて今年を終わることができました。
ご不便をお掛けしましたお客様にお詫びすると共に、
皆様のご協力に感謝いたします。有り難うございました。
良い年をお迎えください。 店主
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H24.11.23 記 明るい文章を
もうずいぶん長い年月このページに文章を書いています。
ときどきアクセス数が気になってカウントを見にいきます。
これまで長い間には山あり谷ありでしたが、
このところ平均してカウント数は低い水準にあります。
それで今まで月に1本の割で書いていた文章を、
6月は2本、7月は3本、8月も3本、9月も3本、10月は4本と、
頑張って本数を書きました。
しかし依然としてカウント数は上がって来ません。
これが今の現状ですが別に商売に直結していませんので、
良いものが書ければそれでかまいません。
ただ出来るだけ面白くて明るい文章を、
定期的に書ければいいと思っています。ときどきご覧ください。
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H24.11.17 記 お客様の年齢
以前にも、店はお客様と共に老いると書きましたが、
このごろ当店は年配のお客様が多く、
ちょうど店主の私が歳をとった分ほど、
お客様の年齢が高くなっています。
思えば店を始めた25年前に30才だった人は今は55才です。
40才だった人は65才でもう年金受給者です。
時代は進んでいるのに次の新しい世代が入ってきてないので、
お客様の平均年齢が上がっています。
人の一生を春夏秋冬に四分割する考え方がありますが、
店舗についても同じような考えをしますと、
当店の今は立冬あたりになるでしようか。
これから店は今以上に「上品な落ち着き」をコンセプトにして、
私と同じ団塊の世代のお客様に喜んでいただけるように、
質預かりをしていきたいと思います。ご利用ください。
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H24.10.29 記 質屋は豊かでない
若い時によく、質屋の家は金を貸すのだから金持ちでしょうと言われたことがあります。しかし、本当はそうではありません。質屋の家は平均して金持ちでも豊かでもありません。あるいは金持ちでなく豊かでない家だから質屋をやっているとも言えます。ただそれではお客様が品物を預けるのに不安があるので、そこそこ豊かな様子をしていますが。
確かに昔は何代も続いた名門の金持ちの質屋がありました。しかしそうした質屋は前の万博の頃におおよそ無くなりました。残っていた店も昭和の終わり頃には多くが店を閉めました。ですから今は営業している名門の財産家の質屋は少ないです。
質屋には貧乏な人が来る、愚かな人が来る、だます人が来る、泥棒が来る、言葉で言えないような難儀な人が来ます。誰がこんなうっとしい仕事を、大きな財産がある者がしますか。そうじゃないからしているのです。ですから質屋はお客様と同じで多くは豊かでありません。
戦後に質屋を始めた親の時代は食わんがためでした。次の世代が質屋をしたのは一家の主が亡くなって、後の家族がやはり食わんがためでした。次の世代が豊かな時代に質屋をしたのは、大学を出て会社勤めをしたが、大学を出てサラリーマンをしたが先で大したことはないので、帰ってきて質屋を継いだというパターンです。
家の仕事なので上司に気を使わなくていいし、仕事は楽だし、朝はゆっくり寝てられるし。そう言うと身も蓋もありませんが、だいたいそれで当たっていました。私の知っている限り、私のすぐ下の世代までは質屋をする動機としてはだいたいこのようなものでした。ただその次の世代はどうなのか、話す機会がないので知りませんが。
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H24.10.21 記 脱税の話はいつも歴史として語られる
父親は元は古手屋(着物)で戦後になって質屋を兼業したのだが、
質屋にはそうした経歴の人が多く、そうした質屋から昔に聞いた話で、
終戦後は古着屋がものすごく儲かったらしい。
今日買った古着を仕分けして2日後に古物市場で売る。
そうすると3日で1回転して約3割もうかる。
それが八百屋や魚屋では毎日仕入れて全部売っても金額がしれているが、
古着屋は当時に大きなお金が3日で一回転する。
儲かって儲かって、
リンゴ箱に売り上げを放り込んで紙幣でブカブカなので足で押していたら、
そこへ「税務署です!」と、入ってきよって上げた足の下ろし場所に困った。
・・これが昭和20年代のはなし。
私の先輩の質屋には昭和10年ごろの生まれの2代目が多かったが、
「俺ら親父が脱税してたおかげで大学へいけたようなもんや」
と言っていた。昭和10年生まれの人が大学生の頃だから、
・・これが昭和30年代のはなし。
ある税務署から管内の全ての質屋に対して通知があった。
今年の税務申告の期日は既に終わったが、
もう一度、所得を2割増しで申告しなおしなさい。
もしも応じない店には税務調査に行きます、と。
そうすると全ての質店が黙って申告しなおしたと言うのである。
・・これが昭和40年代のはなし。
税務調査が入って台帳に利入れの日付がないのを注意された。
・・これが昭和50年代のはなし。
税務署長と質屋の組合長が毎年暮れに祇園で会食をする。
組合長が思い通りにならない後家さんの質店の名前を書いて署長に渡すと、
次の年にその質屋に税務調査が入る。??
・・それは一体いつの時代のはなしや?。
笑い話も入って脱税のことは時効を迎えてから語られる。
それはちょうどアメリカの公文書館から35年?経て、
沖縄返還交渉の機密文書が出てくるように。
当時、国会で社会党の議員が首相の佐藤栄作に、
アメリカと密約があるでしょうと詰め寄ると、そんなものはないと答える。
そうすると、ないと否定するから密約と言う、と社会党の議員。
なるほどあると答えれば密約ではない。
裏金もそうだ。そんなものはないと否定するから裏金である。
だからないと否定すれば、それだけでないことにはならないし、
語られないからと言って、だからないことにはならない。
それは納税協会の会員であろうが、ロータリーの会員であろうが、
ライオンズの会員であろうが、そうしたことのない確証にはならない。
私はそうしたことを正すアプローチの仕方は「あなたはルール違反です」、
この静かさが効く人をつくることだと思う。
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H24.10.18 記 質屋の帳面
昔から質屋は脱税がしにくい業種だと言われる。理由は警察が頻繁に帳面を見にくるので、営業の記載がごまかせないからである。
一般に官が民を調べに来る場合、例えば消防署が防火検査をするとか、税務署が税務調査をするとか、保健所が飲食店に衛生検査をするとかは、管轄の官がその店を調べにくるのだが、警察が質屋に来る場合は取引の客を調べにくるのである。だからいつどこの警察がどのような事件の関係で調べに店へ入ってくるか分からない。
去年は不意に日本海側の警察署の刑事さんがきた。その町で捕まった泥棒が、盗んだ品物を当店に入質したと取り調べで自供したのだろう。それで刑事さんが裏付けに来て質物を押収した。
前には雪国の刑事さんが来た。東北なまりの刑事さんも来た。九州から見るからに南国風の刑事さんが来た。質屋には全国どこからでも警察が入ってくる。
それにいつ来るかも分からない。前は夜の1時に電話があって、警察が今店の前に来ているというので、2階の窓から見るとガレージにパトカーが止まっていて赤色灯が回っていた。店のシャッターを上げると、何でも名神でスピード違反だったか盗難車両だったかを追っかけて捕まえたら、当店の質札を持っていて、この品物はどうしたのかと問うと、ドロボーに入って盗んだ物だというので、逮捕令状を請求するのに調書を取りたいというのだ。警官が質のカウンターの上で調書を取るのだが階級は警視である。
もしもこの質札の取引が帳面に記載なかったら大変なことになる。そのように絶えず官の立ち入り検査を受けているようなもので、質屋は帳面をごまかせないのである。
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H24.10.07 記 ルール違反
町内のゴミ収集日は一般ゴミが火曜と金曜でナイロンゴミが木曜であるが、たまに曜日を間違えて出す人があり収集の後にゴミ袋が一つ残されていることがある。見ると赤いシールが貼られていて「ルール違反です」と書いてある。市は、このゴミ袋を出したあなたはルール違反ですよ、と言っているのである。
数ヶ月前にこのゴミのルール違反のことを思い出したのは、質屋に対する過払い訴訟の判決文を読んでいて、それにしてもこの裁判官は質屋に冷たいなと思ったときである。
この裁判は質屋の利息に利息制限法の適用があるかが争点で、こうした裁判ではいつも質屋が勝つのだがこの裁判では珍しく負けた。
法律の専門的なことはよく分からないが、しかし一般論として、先年の利息制限法の改正時に一緒に国会を通った質屋営業法で営業して、商売が利息制限法の脅威にさらされるなら、それは言語矛盾でないか。
一つの法律が改正されるには、よく知らないが、たぶん内閣法制局で他の法律との整合性が考えられて政府提案で国会へ上程され、審議会にかけられて有識者の意見書などが付けられて、(知らないで書いているので間違っていたらすいません)委員会で議員が討議して、通ったら本会議にかけて票決して、これで法律が改正される。
その時に整合性を保ために影響を受ける他の法律の文言や数字も書き直しがされる。きっとそうだと思う。そうした書類全部を綴じた一冊が国会で可決される。普通それを日本語では一緒に綴じられた法律全部が国会を通ったと言うと思う。違うのかなぁ。
これと同じ理屈を他の例えで言えばこんなことがある。去年友人が小さな木造の家を建てたが、引き渡し時に施主の友人が建築士から受け取った完了検査済書の1冊を見せてもらったことがある。そこには建築確認申請書、構造計算書、道路後退協議書、埋蔵文化財確認書?、生コンの強度証明書、集成材のホルムアルデヒド?の残留値の検査書、中間検査書、もっともっと何かあって一番上に建築確認済の証が綴じられて、書類の厚さは全部で7pほどあった。
この場合に下の書類を全部パスしていなければ上の建築確認済書は役所から下りないのである。家を建てるのにこのようにパスした書類が必要なことと、国会で法律を改正するのに影響する他の法律のパスした書類が必要なことは同じ道理でないかな。違うのかなぁ。
そうして通った質屋営業法の数字を、一緒に通った利息制限法の違う数字の適用を受けると考えるのはおかしい。これが国がまだ高度経済成長の前の時代ならダブルスタンダードのグレーゾーンを作る必要があるかも知れないが、こんな安定した社会にあって国会で審議するときに、別の法律の適用を受けると考えることは普通ないと思う。違うのかなぁ。
しかしそれにしてもこの裁判官の質屋に対するこの冷たさは何だろうと判決文を読んで考えていて、あることに気がついた。
質屋は台帳に利息が0月0日に入ったと書かなければいけないところを、この質屋は日にちを書いていなかった。それで裁判官が裁判の進行上、この日に支払われたものと推認されるとする。
しかし質屋が台帳に利入れの日にちを書かないということは、後日お客様に先月は何日に払いましたかと聞かれても答えられないわけで、店の信用を落とすことになるが、そうまでして書かない理由は一つしかない。それは経理の帳面をごまかす、つまり脱税をする、それも構造的にである。
詳しくは書けないが、この場合たぶん質屋が税務署に言い逃れに用意しているフレーズ(私はやったことがないから想像するだけだが)を、この裁判官は裁判の進行上、同じフレーズの推認されるを使わされてしまった。そのことに腹が立っているのではないか。
そういう意味で被告はルール違反である。だから対抗できない。ルール違反のゴミには市役所が赤紙を貼って回収しないように、・・する。・・そんなことだと思ったが違うかなぁ。以上、とてもひどい文章で解りにくいですが、感覚的に読んでいただいたら。(もちろんゴミの出し方のルール違反と脱税の違反とは罪が、問題が全然違うことは分かっていますが)
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H24.09.29 記 質屋の文体論
このごろ当店のお客様は平均して年齢が高く、以前のように若くて景気のいい人が少ない。持ってくる品物も豪華で新しい物が少なくて、中には質預かりできないような物もある。
それで預かりをお断りした時に他に質屋はないかと聞かれて、先の「枚方質屋マップ」を渡すことがあるのだが、しかしそれはお客様をたらい回しするやり方でもある。ましてや、そのような品物を持ってきたお客様に、当店はロレックス時計やダイヤモンドが得意なんですと言うのは禁じ手であるというより、失礼で言ってはいけないことである。
このように私は時々お客様の対応に失礼があるのだが、なかなか改まらない。昔からよく「質屋は潰しがきかない」と言われるが、これでは確かに質屋をやめたら次の仕事は何をしても難しいように思う。例えばバイトをするにしても、コンビニの店員、ヤマトの宅配員、スーパーのレジ係、・・などとても無理である。
だからこの質屋の仕事を大事にしなくてはいけないのだが、しかしよく考えると反面、この私の客に対する気の使わなさ、何者をも畏れぬ不遜さ、媚びへつらうことのない孤高性、こうした他の職業ではとても実現不可能な質屋特有の対応は、お客様は神様ですと持ち上げる今の消費社会にあって、消費者の暴走を止め得る文体として貴重ではないかと思う。
よく昔は良かった、と言われることの一つに、昔は商売人は商売人らしくて、先生は先生らしくて、というのがあるが、それは仕事にはそれぞれの決まった文体が昔はあったということである。(仕事のパフォーマンスを最高にするために。)今はもう何が何やら分からない状態であるが、質屋(当店)は昔からお客様を「神様です」としない文体できた。
だから質屋は衰退したと言えるかもしれないが、将来この消費者優先社会が行きついた先で引き返す時に、この質屋の文体が参考になるのではないか。
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H24.09.22 記 質屋マップ
町の活性化に、OOラーメン店、OO菓子店、OO青果店、OO喫茶店、OO電気店、OO美容室などの、店の名前を入れた商店街の案内マップを作ることがある。
それと同じようなものを、質屋の組合も地図に質店の名前を入れた質屋の案内マップを作ったらいいと、私はずいぶん前から考えていた。
しかしこの案は別の面から言うと、競合する質店の前の電柱に自分の店の広告を出すのと同じようなところがって、それで長いこと質屋の支部の集まりで言いださずにいた。しかしもう客観的に考えて、今さら私がそういう方法までして自分の店に客を集めようとするとは他の質屋は思わないだろうから提案してみた。それで4年ほど前に実現した。
以来、枚方質屋マップ、
『 枚方の質屋へ行こう!! 相談できる質屋 大阪質屋組合 枚方支部 』、
枚方支部の6質店の名前と住所と電話番号と定休日を書いて地図に示したものを、当店はカウンターの上に置いてお客様に案内している。
前からこの質屋マップを作りたいと考えていた理由は三つある。
一つはお客様が他へ流れていくともったいないから。枚方の質屋6軒でくい止めるため。
二つはお客様と質店との相性というか、合縁奇縁があるので他の店を知ってもらうため。
三つは品物が安価過ぎて質店として断った場合に、では他に質屋はないかと聞かれて、知らないでは不親切であり、現実に教えないと怒り出すお客様がある。しかしだからと言って下手に他の質店の名前を出すと、今度はその店に迷惑が掛かることがある。そのような場合にこの質屋マップを渡して、お客様が他の店に電話を掛けて聞いてから行ったらどうですかと案内すると、自店の責任が逃れられるため。
この三番目の責任から逃れられることが、この場合に重要である。
実はこれが昔から近い質屋同士の仲違いの種になる、「いらん客を回した」という誤解を解決することになると思うのである。
一店目の質屋で断られた客は、もらった質屋マップを見て自己選択で二店目の質屋に行く。どの店に行ったかは一店目の質屋は知らんことである。
この場合に知らんことが大事で、
「別に悪気はないねん。難儀な客から逃げるのにあんたのところへ回したのと違うねん。散髪屋が蒸しタオルが熱すぎて手に持ってられへんので客の顔へのせたというのではないねん。話の展開でそうなったんや。誤解せんといて。」・・だから故意ではない。ましてや知らんかったら過失でもない。
私はこのごろ店で断ったお客様にカウンター上の質屋マップを渡して、当店はだいたいロレックス時計やダイヤモンドが得意なんです。それもダイヤでも大きいダイヤ、1カラット以上が特に得意なんです、なんて言っている。しかしこれは、質屋マップの使い方として問題かも。
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H24.09.15 記 西日が暑い日
あの日も京都の町を歩いていると今日のように西日が暑かった。
昭和55年ごろのことで、京都の質屋組合の広報部の仕事で先輩の質屋と、西陣だったか堀川だったかの質屋へ行った帰り道、西日に照らされて暑い都大路を歩いていたのである。そのあたりは昔から友禅や織物の職人さんが多く住んでいる地域で質屋も多く、道沿いにある知り合いの質店に涼みがてらに立ち寄った。そうして話していると組合の広報部の者が来ているのを聞きつけて、近くの質店主がステテコ姿で入ってきて、日頃の不満を文句にして並べ始めた。
京都の質屋組合の理事長は長く杉本善兵衛氏だったが、このステテコ姿の質屋は杉本氏と戦争で部隊が一緒だったらしく、あの杉本はな、軍隊で上官に殴られて顔がボコボコになっとったんや、その杉本が今は理事長やて、アホかいな、と言うのである。
それで先輩が、あんた助けたのかと問うと、そんなもん助けたらこっちが危ないやないか、助けるかいな、と。そんなやりとりである。
そのボカボカになぐられていた人は戦争から35年して質屋で全国的に名前の通った理事長さんで、ただ見ていただけの人は35年して暇な質屋でステテコ姿で近所で文句たらたらである。
京都の質屋利息の計算は前から丸月だが、まだ昔の昭和55年ごろは暦月だった。
昭和30年代は京都市内どこでも質屋の客が多かったが、昭和50〜55年ごろになると市内はドーナツ化現象で、若い人は郊外へ出て行き、市内中心部は年寄りが多く質に預かるにも新しい商品が少なく、中心部は大きな数店の質屋以外は寂れる一方であった。
ただ外周部の東西南北の東大路通り、西大路通り、九条通り、北大路通りの大通りの近くの質屋は、その外側から市内に入ってくる客を受けられるので落ち込みが少なかった。
そうした店のお客様は若い人が多く暦月計算に対する不満が強いので、外周部の質屋と中心部の特に大きい数店が組合の丸月への移行を希望し、中心部の寂れている質屋はそれでなくてもお客様が減っている状況だから、暦月計算を堅持の意向であったと思う。
私のいた広報部は若い質屋が多く、丸月の方が合理的だと主張していて、それであるとき先輩が理事長のお宅に、お考えを伺いに行った。そうすると帰ってきて報告するには、「理事長である私の仕事は、組合が割れずに仲良くいって、組合員をできるだけ減らさずに次の理事長に渡すことです」。理事長の杉本さんはこんなお考えやから、だから丸月はあかんわ、というものであった。
その後に上記のステテコ姿のような質屋の落ち込みが激しくて、同じような店が連鎖的に閉まってなくなり、結果的に組合は仲違いすることなく暦月から丸月へと移行したのだと思う。
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H24.08.31 記 ゆく川の流れは絶えずして
この枚方へ来て25年の間だにでも、近所で知っている人がもう何人も亡くなられた。前の道を歩いていたあの人がもういない、あの人は何年か前に亡くなられた。あの人も、あの人も、と数えれば結構な人がすでに逝かれた。ここへ来た時すでに年寄りだった人はもう一人もいない。次の25年の間には自分もいなくなる。
この世という100年に満たない枠が時の上を流れていって、その枠に入った時が誕生で、枠から外れた時が死。そしてこの世で会った人は遅れ先立つだけで、そのまま枠の外に全部並んでいるのではないか。ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水、・・ではないのか、と。どうもこの頃そんな気がする。
最近店に新しいお客様がなくて、何年も前のお客様が久しぶりに来られることがある。しかし始めてですと言われるので身分証を見て、質取引票に名前を書いてもらって、質札を書くが、何か見覚えのある名前であるとか、この品物は前に見たことがあるような気がするとか、そうすると案の定、後で調べると前に取引のあるお客様である。
坂本冬美の歌に、「いつまで待っても来ぬ人と死んだ人とは同じこと・・」とあるが、それは商売人が客を待つ気持ちとしてもある。しかしまた当店のように昔のお客様が久しぶりに来られることからすると、「生きてればいつかは逢える・・」という歌詞の理屈もまた同じように言える。 ・・・暑くて暇なものだから、ついこんな取り留めの無いことを考えます。
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H24.08.22 記 盆休み
この盆休みは古家の庭の草刈りをしていた。
炎天下で汗を流していると、50年も前の小学校6年生の夏休みに、その当時住んでいた家の裏の国道を隣の小4のYちゃんと歩いていた時のことを思い出した。
今日のような暑い日天こぼしの中を、裏の川が淀川へ落ちる楠葉の樋門で釣りをするのに、竿と魚籠を持って炎天下の国道を二人で歩いていた。そうすると20メートルほど後ろを小1ほどの裸の男の子がつかず離れずにくる。こちらが止まると止まる。小走りするとまた走ってついてくる。こちらをうかがっているようなので、「お前なんの用や」と詰め寄るともじもじしている。炎天下の国道のアスファルトの上で裸足で水パン。「どこから来たんや」と聞くと、どうも八幡の木津川の水泳場へ親戚の者に連れられて来たが、泳いて顔を上げたら連れてきた大人がいない。それで家は川下の方だから国道を大阪の方へ歩いて来たらしい。水泳場からはもう3キロも歩いている。
家へ連れて帰ったら騒ぎになった。大人が水飲まして、警察へ電話した。一方その頃、八幡の水泳場では子供が流されたと大騒ぎになっていたらしい。
その後お巡りさんが来て、それからどうなったか覚えていないが、そういうお盆の最中でも家は質屋の商売をしていた。昔は盆休みでも家と店が同じだからお客様が入ってきて、15日の手形を落とすのに金策に走り回っている人が、地獄の釜の蓋も開くという日にすまんなと言っていた。
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H24.08.10 記 忙しくても一日 暇でも一日
質屋の仕事が日当計算なら、忙しい日は割る客数が多いから質屋の利息は安くて、暇な日は少ないから高くなる。店内掲示の質料は「時価」で、こう暑くて客数が少ないと、ぼったくり質屋が出たりして。まさか。
こんな悪い冗談を考えるほど、このところ商売が暇である。質値は高く付けて、愛想良くニコッと笑っているのに、何故こんなに暇なんだろうか。当店の休みが多いからだけではないように思える。
ちなみにインターネットで「橋本質店」を検索すると、スポンサーサイトに、関係のない質店の名前が出る。またこの文章をコピーして検索しても上や右に、バラバラ他店の広告が載る。苦労して文章を書いて折角当たったのに、何故に他の店が顔を出すのだろう。それは他の店は広告費を出しているからだけど、何か引っかかるなぁー。そしてとうとう京都質屋組合のホームページに、東京の質店や買取店の広告が載るようになった。
もう何でもありみたい。だからこうなったら暇な店はぼやきたおすしか手はない。ぼやくのも一種の反骨で正義だ。昔、大阪の質屋業報の座談会でいつも暇だあかんとぼやいている人がいたけど、あれはあれで面白いキャラクターだった。ぼやき方は難しいけど、先ず手始めにぼやき漫才の人生幸朗式でいくか。「まぁー聞いてください」と、「責任者 出て来い!」で。
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H24.07.31 記 質屋の利息
ホームページに書くのは考えたけれど、
当店このごろ商売がひまである。
ひまな原因はおそらく店の休みが多すぎるからである。
土曜、日曜、祝日と完全に休んで、
月の内におよそ20日しか店を開けていない。
営業時間も短く、朝9時から夕5時までである。
これでは平日勤めの会社員から、
5時に終わっても間に合わないではないですかと、
お叱りを受けることがある。ごもっともです。すみません。
当店の休みの多さと営業時間の短さは、
ほとんどお客様に来てくれなくてもいいと言っているようなもので、
だから店がひまになるのは当たり前だが、やはりもう休みたい。
休みが日曜の一日だけではすぐに終わってしまうが、
土曜日曜と二日あると気分がゆっくりする。
閉店時間も以前の7時では、それから何かに行く余裕はないが、
5時だとまだ曜日を決めて何かをしに行ける。
このように店は今、自分優先で商売していて、
これではひまになるのは当然だ。すみません。
その替わりといったらなんだけど、
お客様に不便を掛けているお詫びに、
このごろ利息を一段と安くしている。
もう商売は儲からなくても・・、家賃は要らないし、
前からの備品を使えば経費は少なくてすむし・・。
それに仕事をするのは健康にいいし、無理しないで続けて、
それでお客様に喜ばれたら、こんな嬉しいことはないから。
しかし質屋の利息についてもう一度よく考えてみると、
休みの多い質店が利息が安いのは本来当然のことではないか。
月に20日しか営業していない店は、
月に30日営業している店からすると、労働量は3分の2だ。
質屋の利息を質屋労働の対価の面から捉えると、
6分から4分、3分から2分にするのが計算としては正しい。
しかも当店の場合は一日の営業時間が短いから、
もっと下がってもいい。
だいたい法律がいう年利とは、
地球が太陽の回りを一周する期間の元金に対する利率のことだ。
日歩とはその365分の1、地球が自転によって一回転する間のそれだ。
月利はそれを30回転する間のそれだ。
法律のいう利率は万物を支配する時間軸に従うが、
質屋の実感からすると、質屋の利息には品物を質に取って倉で保管する、
そうした行為によって質屋が消費する時間と、
お客様がその金で消費できる時間との、
一律でない仮の時間の市場が入り込む余地があるように思える。
金銭貸借における金利とは、店の休日が多く、営業時間が短かろうが、
またお客様が借りたお金を有効に使おうが無駄に捨てようが、
貸し手と借り手の事情に構わず、日にち経過に従い利息を積算していく。
しかし質屋にすると休みが多く、働きが少なければ、
それに見合った少ない分の利息を受け取ったらそれで文句はない。
だから当店もいっそのこと、毎週月曜のみ営業、月利1分、
なんてその内にやってみようかしら。
お客様は月曜休みの散髪屋さんしか来なかったりして。
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H24.07.17 記 もらいっぱなし
店舗の造りに昔はよくタイルが使われた。
タバコ屋さんの店先とか、和菓子屋さんのガ
ラスケースの立ち上がりとか、清潔感があっ
て、冷たくて、品が良くて、とてもよかった。
しかしこのごろ街でタイルを使っている店を
あまり見なくなった。それにつれ町にあった
タイル屋さんも見かけなくなった。
私が始めて京都のNさんを知った時は、Nさ
んの家の前にはまだ「タイル」の看板が上が
っていた。その当時既にNさんは「タイル屋」
の店を自分の代で閉めるつもりでおられたが、
タイル屋さんの組合の広報誌(組合誌)の編
集を長年一人で続けておられた。
京都のタイル商の組合員はその当時十数名で、
記事を自分で書いて、例えばINAXの社長
の取材記事とか、そうして紙面をうめて広報
誌を発行しておられた。
私はある時に京都の質屋組合の業報誌の編集
をすることになって、それで大阪のB先生の
教室に通って、そこでNさんを知った。
教室のB先生は新聞社で長年社説を書いてお
られた先生で、私が質屋ですがこういう理由で
勉強に来ましたと挨拶すると、可愛がってく
ださって、よく教えてもらった。私には学ぶ
ことが楽しい良い時であった。その後、教室
は先生が病気されて休みになりそのままな
くなってしまった。
Nさんとはその後も手紙のやり取りなどをし
ていろいろ助けてもらったが、そのNさんが
去年の1月に亡くなられた。病気のことは聞
いていたが急なことだった。
そしてB先生が今年の1月に亡くなられた。
朝刊に訃報が載っていた。
B先生には教えてもらいっぱなし、Nさんに
は助けてもらいっぱなしになった。
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H24.07.06 記 品物だけを見ていたい
病院の看板には「内科」や「小児科」があるが、質屋は「質」だけである。
「質」なら全てなのだから質屋にはいろんな物と人が入って来る。
しかし医者に専門分野があるように質屋にもある程度の専門性はある。
私は昔からシャネルが不得意で、
だからシャネルを持って来たお客様があまり値段の無理を言うと、
それは無理ですよ、だいたい私が「シャネル」という顔をしてますか、
お客様は入ってくる店を間違えたんですよ、と言う。
そうすると、「そんなアホなー!」と笑うお客様はこの話しの分かる人で、
「この店あかんわー!」と言うお客様は分からん人である。
私も質屋の商売が長いから医者なら総合診療医のようなもので、
不得意な品物といってもある程度のことは分かる。
だから得意でない品物でも値打ちがあれば仕事だから扱うことはできる。
そのように品物は扱うのだけれど、
品物にはその持ち主の「特有の人格」と引っ付いているとこがあって、
その品物に付いてくる人に、もう勘弁してほしいと思うことがある。
もちろん医者の場合でも、病院が「内科」や「小児科」の専門を言ったところで、
病院に「病気」だけが入ってくるのでなく、「病人」が入ってくるのだから、
結局は「人」を診ることに変わりはないのだけれど、
しかし医者も時々は、「病気」だけを診ていたい気分になるのではないだろうか。
私は今、出来れば品物だけを見ていたい。
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H24.06.28 記 店はお客様と一緒に老いる
店に時どきAKB48のような女の子が、「査定お願いしますー」と入ってくる。
そういう女の子の持って来る品物は私には分からないことがあるから、
これは分かりませんと言うと、
「この店あかんわー!」 と大きな声で言いながら出ていく。
ああいいですよ! いいですよ! 私の店は「あかんわー」でいいですよ!
AKB48のような女の子にそう思われてもいいですよ!。
年代が違いすぎるから。・・つい腹が立つからそう言いたくなる。
しかしAKB48に騒ぐのはさっぱり分からない。どこがいいのか想像もつかない。
昨年はメンバーの総選挙とかの得票の載った紙面を見て、
もう朝日新聞の購読を止めようかと思ったほどである。
毎日テレビを見て、新聞を読んで、この社会に同じように継続的に暮らしていて、
それでもさっぱり分からないことが起こる。
私の店は、キャンディーズ、山口百恵、高橋真理子、・・、
そういう歌を聞いた人が来てくれたらそれでいい。
そうした人と一緒に私も老いてきたのだから。
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H24.06.08 記 帝国の凋落と埋蔵金物語り
昔の店は京都府八幡市にあったから、組合は京都の質屋組合に入っていた。
当時京都組合の広報の仕事で全国の質屋の集まりに出たことがあるが、大会では東京と大阪の組合が特別大きく、東京オリンピックの開会式の米国とソ連の選手団ように、他の組合を圧倒していた。
そうした時代に広報だけの全国の集まりがあり会議の席上、ある地方の組合長が電話金融の利息の対応について発言した。内容はいったん電話の質権を消滅して設定しなおしたらどうかと、確かそういうことだったと思う。
その話の途中でひな壇の端に座っていた大阪の電話部長が手を振って遮り、「あかんねん!、あかんねん!、そんな小手先のことしても通用せいへんねん!」。
もう無礼というか、傍若無人というか、痛快というか、発言の途中で遮られた地方の組合長は折角考えてきて発表しょうとしたのに、かわいそうにガクッときた。しかし大阪はすごい。これは大きな電話設定額から上がる収益を背景にした帝国の覇権だと思ったものである。
その後、枚方で店を開いたことで、上の広報の集まりから10年ほどして、今度は大阪の組合員として支部の輪番で大阪組合の総会に出ることになった。(だから私は大阪の組合を、先の15年はよその組合員の眼で見、後の25年は自組合員の眼で見たことになる)。
そうすると10年前に「あかんねん! あかんねん!」と手で遮った電話部長が組合長になっておられて、総会の始めから15分ほど、いかに組合の財政が苦しいか、いかに経費を切り詰めているかという話をされた。収益が減る一方なのに、建物の補修には金がいる、エレベータもメンテナンスせんならん、それもまた金や、何やゆうたら金が要る・・と今度はしまつな話ばっかりである。
それにしても外の顔と内の顔がこんなにも違うものか。これはきっと電話金融が落ちて帝国の凋落が始まっているのだと思ったものである。
それからまた16年して支部の輪番(枚方支部は以前は店が8軒だったから2年ずつ変わって16年で一周)で組合の総会に出ることになった。それが4年前のことである。
そうすると今度は16年前と違い役員の人数が少なくなっていて総会の議事は全体に静かに進んでいった。
今、帝国の末裔が静かに暮らしている。NHK特集 ヨーロッパ歴史紀行、帝国の蹟を訪ねてで、地元の人が静かに暮らしているようなそんな感じを受けたのである。
しかし、もしかしたら?? 帝国の凋落はもっと前から、大阪はすごいと思った、あの頃に既に始まっていたのではないか。あの時の傲慢はその裏返しでは??。・・というのも、何かやんちゃ性があって無理していたようにも思われるし・・。
総会で椅子の背にもたれてそんなことを想っていたら、ついうとうととした。
そしてこんな夢をみた。
「白昼夢」
場所 質屋組合5階 組合長執務室
登場人物 質屋組合長 他 質屋a 一名
質屋a ) 若い子が質屋の共同宣伝をしたいと言ってましてね組合長。その資金が組合から出ないかと言うんですよ。そんな金どこにあるねんと言ったら、しかし組合には埋蔵金というものはないんですかねと聞くんです。政府が各省庁にある資金を埋蔵金と言ったあれですね。組合にはそんな部所はないからあるわけないやろと言っておいたんですがね。しかし組合長、確か昔から組合には埋蔵金伝説がありましたね。
組合長) ・・・。
質屋a ) 終戦の時に、戦時中組合員が組合に供出(寄付)した金の指輪をGHQの目を逃れて延べ棒に打ち変えて組合ビルの壁に埋め込んだという。その後関係者が黙したまま鬼籍に入って、その壁がどこか分からなくなってしまったという話。
組合長)
・・私も聞いたことはある。昔から話はあるが確かなことは誰も知らん。
質屋a ) 何代か前の組合長が八卦見を連れてきて、ここや言うので壁を破ったけど外れで、逆に壁の補修費が要ったというんでしょう。
組合長) 「豊臣の埋蔵金」と同じや、あてにならん話や。
質屋a ) それがね、何か手掛かりがないかと終戦の年の組合業報を調べたんです。そうしたら新年号の「新年のご挨拶」に、その当時の組合長が一首詠んでましてね、こんな歌なんです。
「上がり来る二つの光に包まれて この大阪の質屋に幸多かれと祈る」
この歌は埋蔵金の隠し場所のヒントを言っているのではないかと思うのですよ。
組合長)
それは違うやろ。単に新年の初日の出と、仏様の光明と、二つの光を詠んで新年を寿いでるのと違うか。質屋の皆様 国破れても朝日は昇る 未来を信じて商売に励み幸せに暮らして下さいということやろ。
質屋a ) そんな理由でこんな下手な和歌を載せますかね。
組合長) そしたらどんなヒントやいうねん。
質屋a ) 上がり来るというのは、日が上がることですから東の方角ですよね。二つの光に包まれてというのは、この5階の東の面には窓が二つあるでしょう。あの窓と窓に挟まれた壁をこの歌は指しているのではないでしょうか。そして必要な時に掘り出して質屋の為に使いなさいよ、「質屋に幸多かれと祈る」、この歌はそういうことを詠んだものだと思うのです。
組合長) 上手に解釈するね。
質屋a ) それでね組合長、今夜あの壁を破りませんか。用意してきてるんです。ハンマーにドリルに軍手に一反風呂敷。あと頬被りする日本手ぬぐい。一揃え用意してます。
組合長) ・・・。
日付が変わって深夜2時。組合ビルの5階の壁を、質屋a
と組合長が帝国の再興を願う気分でハンマーとドリルで破りかけた。ガシャンー、ガガガー。それはものすごい音で、1階に入っている終夜営業のコンビニの店長が驚いて110番通報した。パトカーが何台も駆けつけて組合ビルを包囲し、無駄な抵抗は止めろーと警官が拡声器で叫び、気が付いた質屋a
が5階の窓から顔を出して、私らここの者です、こちらはここの組合長ですと言ったが、何をバカなことを、ここの者なら昼間にやるわと聞いてもらえず、しかし普通泥棒は壁を外から破るんですけど、私らは今、内から破ってるんですけどと言うが、それは泥棒もいろいろあるわいなとファジィーな警官で、私ら怪しい者ではありませんと言ったが、何せ日本手ぬぐいで頬被りという、落語のへぇっい泥棒のいでたちだから自分で怪しい者ですと言っているわけで、もう疑いが晴らせそうになく、絶対絶命なので質屋a
が、助けてくれーと叫んだところで、・・眼が覚めた。
前では総会が何事もなく進み、議長が予算案は承認されましたといい、組合長が頭をさげた。その組合長の後ろの壁、二つの窓に挟まれた壁にポスターが貼られている。・・もしかしたらあのポスターの裏の壁は穴があいているのでは・・。愛宕さんのお札では隠せないがポスターの大きさはちょうどいい。しかもポスターの標語が「質屋は安全です」、これはおもしろいなぁー。「大きな穴」を隠すのには質屋組合のポスターを!。組合長の直筆の署名に組合の公印を押した霊験あらたかな1枚を1万円でご提供!。オリンパスの社長もこれを貼っていたらバレなかった。転ばぬ先の杖、バレない前に質屋のポスター。それが何と1万円、安い!・・そんなことを想っていたらまた眠りに落ちた。・・そして夢の続きを見た。
組合長) 昨夜は警察でしぼられて、なかなか帰してもらわれへんかった。
質屋a )
すいません。夜中はこのビルに誰も居ないと思ってたんで。1階のコンビニのこと忘れていました。昼にやったらよかったんですね。
組合長) 昼でもいつでも壁に穴あけるようなことはもう考えんといて。壁じゅうポスターだらけになるやないか。
質屋a
) 昨夜警察の取り調べ室で考えたんですけどね、埋蔵金がないなら作ったらどうかと思うのですよ。例えば組合には昔から親睦会があるでしょう。年3000円の積み立てで日帰りバスで温泉へ行っている。あれをね上手に口説き落として月3000円にして金を集めたらどうです。そしたら年36.000円で100人として360万円。その内の60万で温泉へ行って芸者上げてもうて、残りの300万円を埋蔵金の扱いにして組合へ引っ張ってきて、若い子に共同宣伝でもなんでも好きなように使わしたらどうです。
組合長) ・・。俺もそれに近いことは前に考えたことがある。つまりこういうことやろ。今元気な質屋が月3000円を負担して、その内の2割ほどを現役を引いた質屋が温泉で保養に使い、8割ほどを次世代の質屋が業界の推進力に使う。野田首相が言う持続可能な経済成長を見据えた税と社会保障の一体改革を質屋組合でもしたらどうかと、そういうことやろ。
質屋a )
そんなこと考えておられるんですね。組合長、ご立派です。
組合長)
考えることはできるが実現は難しい。現実の問題として、あなたは負担できる組合員ですから月3000円を出して下さいと組合長として言われへん。
質屋a )
そしたら組合員の方から出したいと思わしたらどうでしょうか。それを私なんとか書いてみます。こんなに組合長は苦労してます、真剣なんですと。それを言うのに、埋蔵金を探して深夜に組合の壁破って警察で一晩泊まったことから書き始めましょうか。
組合長) あほ。
いつまで眠っているの、もう総会は終わってるよと隣に座っている人が肩を揺すったので眼が覚めた。皆さん既に席を立って帰るところだ。私も帰ろうとしてエレベーターの前に立ったが、16年前の総会で組合長が予算がないからエレベーターのロープも変えられへん、帰りはお気を付けて下さい、これは冗談やけど、と言ったのを思いだしてエレベーターに乗らずに横の階段を降りた。しかし途中でもしかしたら、埋蔵金を隠したのはこの壁の向こう、エレベーターが上下しているスペースというのはどうだろう。これはおもしろいシーンが描ける。埋蔵金を求めて質屋a
が細いロープにぶら下がりミッションインポシブルのトムクルーズみたいに降りてくる。5階では組合長がロープの端を身体に結わえて引っぱっているのだが・・。
ここまで考えたところで階段を下まで降りた。そして妄想を振り払うように頭を軽く振って一つ伸びをし、夕暮れのミナミの街へ出て行った。 完
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H24.05.17 記 質屋の衣装
白衣の医師に患者が信頼を寄せるように、法衣の裁判官の前で被告が頭を垂れるように、制服には自然と相手にそうさせるものがある。
質屋の場合は制服というものはない。私は店では冬はセーター、この頃はボタンダウンのカラーシャツを着ている。いつもこんな調子でネクタイを締めることも上着を着ることも普通ない。年中いたってラフな服装で商売している。
しかし医者の白衣、裁判官の法衣と同じように、質屋にも相手に自然とそうさせる「衣装」というものがあると、私は思う。それは現実の布地の上着でないから手に取ることも誂えることも出来ない。しかしその衣裳を羽織ると、お客様がダイヤモンドの指輪、ロレックスの時計、ヴィトンのバッグなど、自然と高価なものを持ってくるようになる。
それを質屋のオーラと呼ぶのかもしれない。確かにそういう質屋がいる。そういう雰囲気を持った質屋を私は昔古物市場で見たことがある。
おそらく当時その質店に特に高価な品物が集まった理屈は、高価の品物を持っていったらあの質屋の主人が喜ぶとお客様が思う。そのように喜ばすことがお客様自身にとっても嬉しいことだと思わせるような何かが、その質屋の主人は持っていたということだろう。
思い返せば私も若い時に古物市場へ流れ品を売りに行って、市場の振り手が喜んでくれる品物を売ることが自分も嬉しかった。だから市場が喜んでくれるような、良い品物を持って行こう・・。
このことと同じ理屈である。
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H24.05.04 記 12.05.15 削除
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H24.04.22 記 買取屋さんが売りにくる質屋
今年に入ってから商売が暇である。去年の今ごろより質を預けにくるお客様も、売りにくるお客様も少なくなった。普通こうなると質屋には品物に対して強い飢餓感が起こる。それでついお客様の品物に対して奮発して高い値を付けてしまう傾向がある。
そうした私の値付けの傾向が業者筋に受けるのか、このごろ京都や大阪の買取屋さんが売りに来ることが多い。詳しくは聞かないから売りに来た人が何という屋号でしているのか知らない。しかし品物の量といい筋といい回数といい、相場についての話の通じやすさといい、明らかに買取屋さんである。
一般に買取屋さんの付ける買取値は質屋より安いから、店で買った品物を質屋へ持ち込んで十分に採算が合う。それに買取屋の販売ルートより、質屋が昔から持っている流通経路の方が安定して一般に相場が高い。そうしたことがあって当店を利用いただいているのだろう。しかしこれは一面、質屋として買取屋さんを利することにもなっている。
先日はこんなことがあった。その買取屋さんは私のことを前から師匠とか、先生とか呼んでいて、「師匠このダイヤの指輪はどんなものでしょうか」と聞くものだから、ダイヤの計算の仕方わな、こういうダイヤはこのように見て、こういうように考えて、ガイ計算するとこうなるやろ。これに枠値をたして、これが相場や、と調子に乗って値段を付けた。
さすがですねぇーと褒められて、その値段で買ってしまって、これがえらい失敗だった。こういうダイヤはまともな計算をするものでない。役者は向こうの方が上であった。
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H24.03.25 記 値打ち
地元の町内会が2ヶ月に1度場所を決めて古新聞やアルミ缶を集め、業者に売って市のゴミ減量と資源のリサイクルに取り組んでいる。当店のガレージもその集積場所の一つで、ある日そこでの会話。
私が町内会の担当者に、今日は晴れてるのでいいですけど、これは雨でもするんですかと問うと、廃品回収は雨でもします、との答え。再度同じことを聞くが、雪の場合は滑って危ないから中止しますが、雨は問題ありませんのでしますとの答えである。
いや私が聞きたいのは、そのことと違う。廃品といえど業者にすれば商品で、雨で新聞紙が濡れたら値打ちが下がるのではないですか。そのことを聞きたいのですと言おうとしたら、ちょうど携帯が鳴ったので質問が噛み合わないまま終わった。
町内にはいろんな仕事の人がいて、小学校の先生もいれば、質屋もいる。先生は毎日、児童が安全なように、ケガがないように考えているが、質屋は毎日、これはいくらの値打ちがあるか、市場で何ぼで売れるかを考えている。毎日考えていることのベースが違うから、町内会の仕事をしても小学校の先生と質屋では噛み合わないことがおこる。
昔、質屋は正月や成人式の日が雨だと困ったものである。正月前に受け出しになった晴着が雨に濡れたりハネがあがったりして、数日後に持って来られたら値打ちが下がっている。しかし先日受出した着物をそう安くも言えないから難儀したのである。
学校の先生は「安全」を基準に考えるが、質屋は「値打ち」を基準に考える。思えば子供のころから私の家では何でもが値打ちに置き換えて言われた。
さすがグランドセイコーや、古くても値打ちがある。
さすが大島や、値打ちがある。市場でもしっかり売れる。
ここまでは扱う物だから質屋として当然としても、
食事時に、旬の魚は美味い、値打ちがある。
季節でもさすが祇園祭だけのことはある、この暑さは、値打ちがある。
春に満開の桜を見て、なんと綺麗な、値打ちがある。
長嶋が良いところでホームランを打った、巨人の4番の値打ちがある。
・・・・、と何でもが値打ちだった。
子供の時から周囲がこうだったから私の心を作る意識構造は、きっと「値打ち」という柱で組み立てられているに違いない。
人は知識や経験をそれぞれ心の井戸に沈めることで今の自分があるとすると、会話をすること、新聞を読むこと、テレビでニュースを見ることなど、およそ考えること、思うこと、意見を持つこととは、その心の井戸から汲み上げた桶の中を覗くことではないか。
質屋である私の病理は知識や経験を井戸に沈めるときに「値打ち」の高低を刻しているか、あるいは井戸水が既に「値打ち」に汚染されているかである。どちらにしても思考回路に絶えず「値打ち」が滲み出ている。
よく科学番組で、ミツバチが花を見たとき蜜のありかが強く出て、実際に私達が見ている花とは違うように見えているというのがあるが、同じように質屋が物を見たとき、普通の人と違うように見えているのではないだろうか。しかもそれは物だけに限らず感情全般に及ぶのではないか。しかしこれって考えるとちょっと怖いことである。
附記
先ほどの古新聞のこと、気になるので後日回収業者に聞くと、雨に濡れるぐらいは大丈夫とのこと。ただウエスは濡れていると納められないので、天気の良い日に天日干しにして乾かすとのことでした。
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H24.02.19 記 満たされなさ
昔の八幡市橋本の店には、夕方に淀の競馬場から歩いて来るお客様があった。
競馬場で有り金全部を馬に賭けて、すってんてんになって、大阪へ帰る電車賃もなくなって、川を二つ渡り国道を歩いて、橋本の町までたどり着いたのである。そうした人には特有の雰囲気があった。どうしょうもない満たされなさというか、だからこの人は賭事が直らんやろなと思うようなものが。
この枚方の店にはそういうお客様はない。健全と言えば健全である。しかし私の方に、何故か質屋として日々もの足りないものがある。
そうした私の日頃の商売のもの足りなさ感が良くないのか、このごろ目利きに迷うと博打をするような感覚で値付けして、相場を外して大損することがある。よく質屋の宣伝文句に、「とことん質を見極めます」というがあるが、これでは当店は、「とことん質に賭けます」や、「勝負する質屋」がいいようなことになる。
しかし質屋には博徒のような満たされない渇いた心は良くない。だから質屋として、今は「質草に満たされる」のが難しい時代でもあるし、これからは物心ともに、「満たされなさ」にどう付き合うのが良いか考えたい。
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H24.01.22 記 ふるさとへ廻る六部
この枚方の店は25年前に京都から引っ越してきて開店した。ここと同じ淀川左岸を10キロほどさかのぼって一歩京都へ入った八幡市橋本からである。
よく地名の橋本と名前が同じのは何か関係あるのですかと問われるが、これはまったくの偶然である。一家は前は大阪の北区に住んでいて終戦の前の年に空襲から逃げるのに、母親の里が八幡の百姓で、その母親(祖母)の里が楠葉の百姓だから、その間に行けばどちらからも助けてもらえる、食料はなんとかなると考えて、京阪電車の間だの駅の橋本へ疎開したのである。
それに叔父さん一家、叔母さん一家も一緒に疎開するので、大所帯が入れる大きな家が必要だった。それで大きな空き家を借りて移り住んだ。
家は大変大きく、終戦後は復員してきた父親の友達や、空襲で焼け出された元同僚が、橋本のところは家が大きいので泊まるのに困らないと聞いて、身の振り方が決まるまで何所帯も泊まっていた。梁山泊である。夕方になるとそれぞれの所帯が路地に七輪を持ち出して食事の支度をして、それは賑やかなことだったらしい。
父親はそこで古手(呉服・着物)の仲買をしていたが、家が人と荷物で一杯でもうどうにもならないので、店はそのままにして、自分たち一家は線路をはさんだ山側に家を買って移り住んだ。その「山の家」と呼んでいる八幡町橋本堂ヶ原の家で昭和24年に私は生まれた。上の兄弟は大阪で生まれているが私はここで生まれた。
父親はいつまでもこの地に居る気はなく、戦後の世の中が落ち着くまでと思っていた。だから質倉にしても仮の倉の意識だから実にいいかげんなもので、表面は漆喰だが張り子のような壁で、私の知っている限り扉はきっちりと閉まったことがない。何でも国警の時代に検査官に一杯飲まして質倉の許可を取ったらしい。
当時質屋には絶えず刑事が出入りしていて、質物が倉に入りきらない状態で質屋をしているものだから、刑事が父親に倉を建てかえと言っていたらしい。しかし父親は長くここで質屋をしている気はないものだから、来年には考えますと先延ばししていた。その内に病気になって死んでしまい、街もさびれてしまった。
こうなると後に残された者はなかなかその地から動けない。私は38才までいた。この枚方へ来て20数年、以来長く橋本の町に入らなかった。しかし2年ほど前からふるさとへ廻る六部なのか、京阪の橋本で降りることがある。町は昔より一層さびれている。
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