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「質屋の風景」 第五冊
 
H28.05.29 記     だいじな人

人との出会いは人生の宝だと言いますが、私にとってそうした人は近隣の人とか、勉強に行った先の先生とか、その教室で同じに習っていた人とかです。同じに習っていた人は、自分にとってそうした人は馬場先生と、もう一人は本願寺の僧侶だと名前を言っていました。また馬場先生はある時、自分にとってそうした人は、学生の時に習った桑原武夫さんと、新聞社の同僚だった深代惇郎だと言っておられました。

人は誰しもそうした尊敬するだいじな人を持っていることは幸せなことで、これまで私は長く質屋をしてきて、若い時には古物市場へ出入りして、市場の人や尊敬する立派な古物屋さんを知りました。有り難いことでした。しかし残念ながら、同業者の質屋の中にそうした「だいじな人」と思うような尊敬する人を多くは知らないできました。

これは質屋同士の付き合いが構造的に難しいからなのか、あるいは私に良くないところがあって他の質屋と合わないからなのか、あるいは同じ業界の内というものは本来そうしたものなのか、もっと他の理由によるものなのか、解らないのですが、しかしそういう点は残念なことでした。
 
 
H28.05.05 記     町に一軒はあった方がいい

これから質屋はどうなるのかを考える時に、私は一番最初に考えることは、これから質屋をどのような人がするかです。戦後に質屋をした人は、戦争から帰って来て、家族を養うため、食べていくために始めた人が多かったのではないでしょうか。

当店の場合もそうでした。むかし母親からこんな話しを聞きました。父親が戦後疎開先で呉服の仲買のかたわら質屋を始めた時に、「質屋をするなんて橋本さんを見損なった」と、以前に大阪で一緒に呉服を扱っていた友達が、京阪電車に乗ってわざわざそう言いに来たらしいです。
つまり質屋なんて誰でもできる、商売人として技量の低い、ただの金貸しやないか。それでは橋本の商売人としての能力が勿体ないやないかというわけです。

父親はそう言う友達に、俺のとこは家族が多くて今は何をしてでも稼がんならん時やからと答えていたらしいです。食うために何からでも儲けないと生きていけない時代だったのです。
だから例えばお客さんが履いている革靴を質に取って、裸足で帰れないから、新品の下駄を仕入れておいて、下駄を売る。そうすると下駄を売って儲けて、後日に革靴が受け出しになると利息で儲かる。両方儲ける。ノコギリと言うのですね。押して引いて両道切れるから。私の子供の頃にまだ倉の隅に新聞紙に包んだ中古の革靴があり、それはその時代の名残だと聞きました。

その次の時代に質屋をした人の特徴は、その質店の主人が不幸にして亡くなって未亡人がする形です。言葉は良くないのですが後家質と言うのですね。
ご主人が亡くなった時点で家に財産があればそこで質店を閉めるのですが、子供は多いしこれから先も生活にお金が要るし、当時は女性が働ける仕事は限られていたし、それで仕方なく奥さんが質屋をそのまま続けます。この家の手伝いをしながら子供が質屋を継いでいきます。当方もそうでした。こうした家の息子が質屋には多かったです。

それから電話金融をした時代がありました。質のお客さんが減ってきて、その穴埋めに電話金融の商売はよかったのです。親しい刑事が、電話金融みたいなもの止めときいなと言うのですが、入質が日に30口も40口もある店ならしないのですが、5口や6口しかないので仕方がないですと答えていました。
しかしいくら入質が少なくても電話金融をしない質店がありました。あんなものは金貸しのするもので質屋のするものでない。俺とこにはプライドがあると、その質屋は言ってしませんでした。

その次の時代の特徴は、親の後を息子が継いで質屋をする形です。苦労が無いのですね。店をそのまま貰うのですから。それが今の40〜50代でしょうか。昔は貧しいから質屋をしたのですが、この人達は貧しくないのです。

質屋はこれまで貧しいから質屋をし、お客さんが少ないから電話金融にも手を出しました。こうした過去の質屋の貧しかった部分について、(いや、これが主だと思うのですが)今に考えることは自虐ではなく大事なことだと思うのです。
例えばその当時私の家では、母親が近くの魚屋さんでブリや鯛をさばいた後のアラを買ってきて、煮付けたものを一家が夕餉に食べました。ではこの魚の身は誰が食べているかと言うと、質でお金を借りに来たお客さんが刺身にして食べているのですね。その時代の中で質屋もまた弱者でした。

そうした後、子供が店を継ぐ質屋は残り、継がない質屋は無くなりました。業界として減っていく一方で、例えば京都の質屋で私の知っている40年ほどの間に、親の時代に1軒の質店が、次の子供の時代に2軒になったのは僅か2例です。そして2例とも片方は蔵も籠もりもお客さんも継いではいません。

こうした場合に、質屋を継いだと言っても、その者はただ親と同じ質屋の仕事に就いたということです。そして同じ質屋をした一番の理由は家業を長くしてきて他に仕事を知らなかったからです。質屋の仕事の仕方なら知っていました。職人と同じで身に付いていますので。そういう意味でやり方が分かっていましたから、したということです。

それで今の、この質屋の状況を回復する方法についてですが、もともと質屋はお客さんに対して絶対的に優位です。子育て中の未亡人にもできるのですから。また質店を親から継いだ質屋は絶対的に有利です。店を丸ごと貰うのですから。しかし絶対的に優位なことを絶対的に有利な立場の者がすると、アドバンテージがあるにも拘わらず衰退するのは歴史の教えるところです。
これからも質屋は町に一軒はあった方がいいと思うのですが、この時代に、それでは質屋をする人が、どこから、どのような人が、どのような考えで登場してくるのか。考えましたが結局分かりませんでした。
 
 
H28.04.11 記     国民に可愛がられる質屋

質屋が数人集まって食事をすると、これから質屋の商売はどうなるのだろうという話しが出ます。そうした場合に年長者の質屋が、昔は一日に100人ものお客さんがあって、預かった品物を整理して倉に入れて、質物台帳を書いて仕事が終わるころには日付が変わっていた。翌る朝は店を開けると同時にお客さんが入ってきた。そのような昔の良い時代の話しをされます。それがこの頃は・・。そうして他の人が質屋は将来どうなるのかなぁ、と。

誰にも将来の確かな予測はできません。現に50年前には質屋の先々の予想は悲観的なものでした。しかしその割にはそれなりに商売が出来てきました。これからも先のことは解りませんが、私はボーッとこんなことを考えます。これはボーッとした考えですから、あまり真剣に考えないでボーッとして読んで下さい。

よくシャッター通り商店街というものがあります。シャッターを下ろして閉めた店が多い商店街ですね。あの下ろしたシャッターの一軒づつに昔はその商店主の人生がありました。しかし店主は商売を続けたくてもお客さんが少ないので店を閉めました。そうして例えば会社へ働きに行きます。また子供は継ぐ店がないから最初からサラリーマンになります。こうして一軒の商店が無くなりました。つまり個人商店が市場から淘汰されたわけです。しかしこの商店主もまた「国家」が言うところの国民です。

国民国家の要件は領土と国民と国民主権です。しかし今はなにもかも「消費者」を基準に考えます。例えばプロジェクトを立ち上げる場合も消費者目線です。これではまるで国民国家の要件は領土と消費者と消費者目線になります。あるいはこの国は国民国家でなくて消費者国家というのでしょうか。憲法の前文は「日本国民は・・」ではなく「日本国消費者は・・」で始まるのでしょうか。

国家における労働者と資本家の階級闘争ではないですが、商売人からすると「商店主も憲法が言うところの国民だ!」という気分になります。消費者ばかりを護らないで、商売人目線でも考えてくれ、と。小さな商売人に思いやりのある社会。そうすればこの国はもっと豊かな国になる!。時代が動いてあるところからこうなるのではないかと思っています。

少し前の新聞にシャッター通り商店街を活性化する案が出ていました。中に地元の中学生が空き店舗を借りて定期的にイベントをする、またクラブ活動をする。あるいはまた介護施設のお年寄りにも来てもらう。そうして主婦と若者、老人と若者が商店街に集まり混在して賑わいを取り戻す。そうした考えがありました。この案の眼目は商店主に活躍してもらうというものでしたが、別の視点から見ますと商店主が町の人に可愛がってもらうことがベースにあります。

それで質屋のことですが、こうした商店街の外れに一軒の質屋があったとします。その場合にこの質屋は他の商店主と同じように、町の人に可愛がってもらわないといけないわけです。この可愛がる人達は消費者とは限りません。もう少し上の人、どちらか言うと「国民」です。
私は思うのですが、きっと社会の構造は市場競争で前へ突っ走って行く先端の分野と、別に社会の一員として可愛がってもらって一緒について行く分野があっていいのではないかと。

それで買取屋さんがこの頃多くなっていますが、買取屋さんが対象にするのはあくまでも買い取り品を持っている消費者です。質屋はもう少し上の「国民」を対象にします。ですから必ずしも商売の仕方は消費者目線でなくていいのではないですか。お客様は神様ではありません。同じ国民です。一部の先端を走れる質屋は消費者を対象に市場を勝ち抜けばいいのですが、多くの質店は消費者でなくて「国民」に可愛がられる質屋としてあれば。難題ですが。
 
 
H28.03.20 記     時くだる舟

子供の頃、学生の頃、社会人の時代と長く生きてきて、その時代によく付き合いをした人、あるいはそれほど付き合いをしなかった人、その付き合いに濃淡多少はあっても、それに拘わらず、今あの人はどうしておられるかと特に気になる人がある。
しかし知りたくても多くの場合手だてがない。ネットで検索をしても先ず当たらない。もちろん普通の人の場合はそういうもので、そうでなければプライバシーが保てないだろう。
逆に私を知ろうと思った人は、質屋 橋本洋介で検索すれば当たる。店でホームページを作って広告をしているから知れて、橋本はまだ商売をやっているのかということになるだろう。しかしこれも店を終わってホームページを閉じれば、私も検索で当たらなくなる。

同じ世代の者が同じ時代の舟に乗って時の河を下ってきて、既に50才前に亡くなって舟から降りた人もいるが、今のところ多くはまだそのまま同じ舟に乗っている。しかしこの舟もぼちぼち沈みかけているのではないか。だからこの頃あの人はこの人は今どうしておられるかと、特に知りたいと思うことがあるのではないだろうか。
 遠い人たびたびに想い来るは時くだる舟の沈む兆しか

 
 
H28.03.10 記     質屋信託組合

質店は終わり方が難しい。質屋は物の販売や飲食と違い品物を預かる商売なので、預かり品があり急に店を閉められないのである。それで飛行機が徐々に高度を下げ空港に降りるように、質屋も終わるのに100の商売を70に、50に、30と落として行くのだが、どうしても0にはならない。

最後は期限をくぎり強制終了にしていいのだが、例えば30や20に絞らずに普段通りの仕事をして、もしもの場合は閉店して即組合へ質物を移管できたらと思う。シャッターに「以後の利入れ受け出しは組合へ」と閉店の告知を貼り、業務を組合に代行してもらう方法はどうだろうか。

普段からもしものことを考えて100のものを30や20に下げるのはもったいないししんどいことである。終わり方が安心なら巡航速度の80や70の力で商売ができる。質屋の習い性で眼の前にロレックス時計を出されると、つい思いっ切り高い値段を付けてしまうが、これではいつまでも止められないと思うことがある。

昔ある人に、業報の特集に何か希望はありませんかと聞かれて、「質屋の止め方」が良いですと言ったら、そんな!!組合業報は質店が前向きに行くことを考えて作るもので止め方の特集をしてどうするのですかと笑われたことがあるが、終わり方が安心であればそこまでは普段の力でいけるものである。
商売を100のものを20や10に無理して落とさずに、80や70で店主病気入院で即閉店、即組合へ移管(委託)してその後の利益は折半はどうか。
 
 
H28.02.22 記     判定しない

前の文章では40年前に業報の記事にしたことを書いたが、そのまだ数年前に私はまたこんなことを業報に書いたことがあった。

昭和45年位だろうか、当時京都の質屋で一番の名家の店主が質業の先行きを見限って、京のアメ横・秋葉原と名うって新品販売の方向に商売を転換された。その商売が当たり繁盛して、マスコミに取り上げられ、「実業の友??」、名前は正確に覚えていないがそうした雑誌に紹介された。その記事の中でご主人は、質屋ではこの先難しいと考え歴史ある質店を新品販売の方向に切り替えましたと述べられていた。
この成功者として紹介された記事の中のご主人の幾つかの文言について、他の質屋の中に、それでは後に残ってまだ質屋をやっている者はバカだとでも言うのかと憤慨していた人がいた。

当時この怒っている組合員がいることを理事長はご存じなかったのかも知れない。それで成功者として雑誌に取り上げられたことは質屋組合として名誉なことだし、誉れ高い名家の店主でもあるし、広報部長にこの雑誌の記事を業報に載せるように言われたのだと思う。
それで記事が組合業報に載ったのだが、今度はその業報の記事に対して載せるのはおかしいと、次の号で私が批判の文章を書いたのである。私の論旨は先の怒っている組合員の感情を受け、質屋組合業報誌は、質屋というものは難しいとこもあるし矛盾もあるけど、一応そうしたことを改善し克服して前向きに行く考えで発刊しているので、どうしても頭から質屋の先行きは駄目と否定するような記事は載せるべきでないと書いたのである。

質屋業報誌はB5版の1ページ4段割で、広報部員は毎回最低でもその一段を書く割り当てだったが、当時書く者が少なくいつも原稿がたりない状態であった。
それで私のこんな文章が次号に載ったのだが、20才過ぎの私が理事長と広報部長のされたことをそれはおかしいと批評したのである。恐れ知らずと言うか、ただのアホウと言うか。しかしこの件についてその後特に叱られることはなかった。

それで今にしてこの件について思うのは、一つは、若いからこそ書けるものがあると言うことと、もう一つは、あの時の私の意見は正論だとしても、理事長と広報部長があの雑誌の記事を業報に載せられたのも、また正しかったのではないかということである。質屋業界から出て行って成功した組合員を質屋業報に載せて祝福する。それは残った質屋の器量だし、また何ごとによらず合否や正誤を付けないのも組合の行き方として正しいと知るからである。
 
 
H28.02.07 記     質屋のロマン

昨年末のNHKのSONGSに井上陽水が出ていた。
番組中、若い女子アナ(ブラタモリで一緒に歩いている女性)とのトークで陽水が「ロマン」と言ったことに、女子アナが「ローマン」ですかと驚いた反応をして、それから陽水が手を打って笑う面白い展開になった。若い女性にしたら年配の陽水の口から「ロマン」という言葉が出てくるのが驚きだったんだろう。そして私も若いときに取材に伺ったある質店のご主人に「それはロマンです」と答えられて驚いたことを思い出した。

昭和50年ごろある大きな質店が隣の土地を買い増して新築をした。その質店を組合の業報誌に紹介するのに広報部員の私がお店を訪問して記事を書くことになった。
それでお店へ伺ってご主人に、「大きな投資額ですが、銀行から借り入れといっても税率が70として(当時は確か住民税を入れた最高税率が70%だったと思う)、その税金を払った後の金でこれから銀行を返していくわけですから先は長いです。そうまでして商売を拡大されるのはどうしてでしょうか」と問うた。そうしたらご主人は「それは男のロマンです」と答えられた。格好良くて私はそのまま、「それはロマンです」と答えられましたと業報に書いて、筆者はただ脱帽ですと感想を述べた。
この記事により「それはロマンです」が一時組合で流行って、質屋が集まると「商売はロマンやね!」「やっぱしロマンが大事や!」など、皆さんがニタッと笑って言ったものである。

このご主人の真意は、既に大きな質店の私でさえこうして前向きにロマンを持って商売をするねんから、若い君もこれから頑張って商売しなさいよという、取材に伺った私個人にエールを送っていただいていたわけだが、それを考えずにそのまま業報に「それはロマンです」を書いたものだから、ご主人に迷惑をお掛けすることになった。40年ほど前に「ロマン」についてそのような思い出がある。

それで今の時代も質屋の広報部の仕事の一つは「質屋のロマン」を語ることにあると思うけど、先の陽水のようなミュージシャンでも若い女の子にロマンを語るのが難しいのだから、いかに「質屋のロマン」を語るのか、これは難題である。
ただ陽水のロマンと若い女子アナのロマンと、年配のおっさんがニタッと笑うロマンと、「ロマン」が引っ張ってくるものは全部違うけれど、その違うことは本当は了解済みのことであるのだし、それが「ロマン」でありさえすれば好意的に社会は受け入れてくれるのではないかと。そのように思うのである。
 
 
H28.01.28 記     質屋の戦後レジュームからの脱却

もうずいぶん前だが質屋組合の理事長さん(故杉本善兵衛氏)から、戦後の昭和23年ごろ国に新しい質屋の法律を作る動きがあるので、それに関係して質屋業界の代表の何人かと警察庁へ行かれた時の話をお聞きした。

警察庁へ行き官僚との話しの最後に、担当官から利息(金利)のことがあるから帰りに大蔵省(今の財務省)にも挨拶に行っとけと言われて、それで大蔵省に行った。
そうしたら大蔵省の役人は武官(まだ占領下だからこの身分?)だったが、「質屋て??・・なにや特殊金融か!」と言われて、まるで特殊浴場(トルコ風呂)のようなもので、まともに相手にされなかった、と。
大蔵省は財政や金融から戦後の国の建て直しを計るところで、質屋なんぞが来るとこやないというわけです。

それから昭和25年に質屋営業法ができて所轄は警察庁であり今まできている。よく時代劇に奉行所の十手持ちが質屋に調べに入る話しがあるように、質屋と警察との関係は古い。しかしこれは絶対のものではない。
時代が進み社会構造が変わり、これだけネットが発達し買取屋さんが増えると、ぞう品の面でも戦後直後と同じではない。しかし質屋は従来からの確認・記帳・申告の三大義務をはたし、防犯協力をすることが質屋の務めであり利益になるとする考えで今まできている。つまりこれが特例金利を核にした戦後質屋のレジュームだと言える。

上記が国と質屋の、言わば官民合作の質屋レジュームなら、質屋自身の創作レジュームもある。
例えばよくあるのは質屋の息子が店を継いだ理由を聞かれて、父親が歳を取ったから、あるいは病気になったから、仕方なくてと言うのが多い。しかし実態はそうでない場合の方が多い。前に質屋業報の記事を書くのに何軒かの質店を取材に訪れたことがある。そうするとだいたい勉強のできない息子が店を継いでいるパターンが多かった。

兄は京大へ行き弟はもう一つの大学で、その場合は弟の方が店を継いでいた。弟は医学部に受かり兄貴はもう一つの大学の場合は、その兄貴が店を継いでいた。一人息子が優秀で阪大へ行っている場合は、ご主人は自分の代で店は閉めますとのことであった。
なのに上手に、「質屋の息子さんだから店を継ぐのは生まれた時から運命ずけられていたのですね」と世間が思うようにして、その質屋が組合の理事だったりすると、いやー、市川海老蔵が歌舞伎の宗家に生まれて来たようなものでございますよ!なんて。・・勿論そんなことは言わないのですよ。言わないのですがそうした物語を作っているのですね。

こういう質屋がカラオケでいつも「五番街のマリー」を歌う。
独身の頃はね、松下奈緒のような恋人がいたのだけれど、恋は恋、生活は生活、質店を継ぐのに親と嫁との折り合いのことを考えてね、ドーンと落として実質的な今の家内に決めたんだ。あの子が今も幸せでいてくれたら、ただそれだけが気がかりですよと、遠い眼をする。
それは嘘や!。質屋悲恋物語。質屋のソナタ。それはあなたの創作です。これからはこうした嘘で塗り固めた質屋レジュームから脱却しなくては。
 
 
H27.12.31 記     惰性で走る

今年一年の帳面を締めた。店はこれだけ休みの日を多く、これだけ営業時間を短くしているのに、概算では思うほど激減していない。自転車は漕ぐのを止めても暫くは走っているようなものか。
これと違い昔に古物を商っていた叔父さんの店じまいはひどかった。戦後に父親の弟さん(叔父)は父と一緒に商売をして後に別れてマーケットで古着を売っていた。その古着が駄目になって、それから衣類(雑貨)を売っていたが、その衣類がだんだん売れなくなって、子供のころ親に連れられて訪ねた時に、叔父さんはパチンコに出ていなかったが、店番をしている奥さん(叔母)が言うのに、この半年は売り食いです、と。
しかし質屋の店じまいはきっとこのようなことにならないだろう。質屋がどれだけ惰性で走るものなのか知らないが。
 
 
H27.11.29 記     質屋と坊さんのコラボ その2

前回の文章の、もう一つの取り留めのない方の考えは、
内容がバラバラで結局文章になりませんでした。
その後そのままにしてありましたが、
先日NHKのテレビを見ていて、
こんな方法も有るのではないかと思いましした。
それは深夜日付が変わる頃の番組で、
今日ツイートでつぶやかれた言葉はこんなものが多かったと、
後ろのモニターに浮かぶ大小の文字の中から、
女性キャスターが一つを選んで解説していくものです。
モニターに浮かんでいる言葉に脈絡はありません。
しかしそれは確かに今日一日の出来事を映しています。
それで質屋と坊さんについて、
私の頭に浮かぶ、うろうろぶらぶらぴらぴらの言葉を、
脈絡もなく書いてみました。

流れるのを待ってという電話が何度も。
仏の顔も三度まで。
坊主殺せば七代たたる。
40年前に神戸の質屋が言っていた。
三宮の駅前で石を二つ投げたら、
一つは喫茶店にあたり、もう一つは質屋にあたる。
むかし京都で言った。祇園で石を二つ投げたら、
一つは医者にあたり、一つは坊主にあたる。
一つは不動産屋にあたり、一つは坊主にあたる。
一つは大学の先生にあたり、一つは坊主にあたる。
どの時代のバージョンでも必ず一つは坊主にあたる。
なまくら坊主。坊さんの世界も金しだい。
仏に仕える身でありながらあるまじき所行。
2〜3年前のことは今に影響する。
20〜30年前のことは歴史。
現代は過去からつながる。
30年前に古物屋さん曰く。
古物屋は目利きだけではあかん。質屋の守(もり)が出来な。
質屋こそばせるようにならな一人前やない。
守される方より守する方が。
こそばされる方よりこそばす方が。
坊さんに、お供え、お賽銭、お布施。
原価0.丸もうけ。罰当たり。南無阿弥陀仏。
お寺が世襲制だから日本の仏教が葬式仏教になった。
いや世襲だからお寺が地域に密着して良い仏教になった。
戦後食うために質屋を始めた人は偉い。
その人の時代が終わって子が質店を継ぐ。
なまくら質屋。あるまじき商売人。
市場、古物屋、地金屋、こそばす人ばかり。
お客様は神様です。まるで消費者のよう。
君が食堂で皿を洗って時間いくらになる。よく考えてみろ。
・・・なんてことは言わない。取引先やから。
しかし下手な情けは本人のためにならん。
良い人と言われるより。
坊さんみたいになまくらと言われて好かれたい。
坊さんの子が寺を継いで町に良いことがあった。では質屋は?。
なまくら坊主 VS なまくら質屋。
真宗の倫理と質屋の精神。
k14WGアメジスト指輪
Pm0.20ctダイヤ角爪指輪
k18小豆型3.7gネックレス
こんなもんにいつまでも利息払てどうするの。もう流しいな。
2ヶ月に一度の年金は自分が生活するためにあるんやないか。
もう2年も入っているいうことは2年間この品物が、
要らんかったということや。それを利息払うてどうするの。
たとえ千円でも、もったいないやないか。
なに考えてるねんな。
いつまでもあると思うな親と質屋。
行く川の流れは絶えずして。諸行無常。
朝には紅顔あれど夕べには白骨となれる身。
チーン。あの世ではこの音どう聞こえてるやろ。
この世ではお布施の領収書。
50歩100歩。私が質屋であんたが客。
あの世では逆もまた可。明日に礼拝、夕べに感謝。
坊さんの座布団に質屋が横滑りして、なんまんだぁー。
 
 
H27.10.31 記     質屋と坊さんのコラボ その1

本を読んでいて、仏教と質屋は符合すると思うことがよくあります。
先日読んだ本に、キリスト教はイエスキリストなしにあり得ない宗
教だが、仏教は釈迦が出なくても仏教の根本教義はあると書いてあ
りました。
仏教の教えはこの世の摂理を説いたもので、それはちょうどアイン
ショタインが相対性原理を発見しなくても、この宇宙空間に相対性
原理があるのと同じようにである、とです。
質屋もこれと同じように原理的には法律や制度の条件なしに、人間
世界に普通に有りえます。現物を質入れし、流したらチャラ。これ
は一般の道理です。

また仏教は6世紀半ばに中国・朝鮮半島を経由して日本にもたらさ
れますが、実際は今私達が思う仏教や霊性といったものは、鎌倉時
代に親鸞と法然からによるものである(そう鈴木大拙が日本的霊性
の中で書いている)と、内田樹と釈徹宗の対談の本にありました。
奈良時代に空海や最澄が出ますが、まだその時代に仏教は貴族や
武家社会の中のもので依然として農民や庶民のものではなく、実際に
は鎌倉時代に法然と親鸞が出てから世間に広まったのだと書いてあ
りました。
質屋もこの仏教の歴史と同じく、質屋の仕組みは奈良時代に中国か
ら入ってきましたが、その時代はまだ農民や庶民には広まらず鎌倉
時代になって商業が発達し、それから質屋が社会全体に広まったこ
ととよく似ています。

このように質屋と仏教がよく符合するところから、質屋業界の将来
を考える方策に、仏教、お寺、お坊さんがキーワードになるのでは
ないかと思いました。それで一つは落語の話しと、もう一つ取り留
めのないことを考えました。

一つめの落語の話しを書きますと、それは先ず「質屋教」を作ること。
始祖をお釈迦様に、宗祖を親鸞にしてキーワードは「祈り」と「救済」。 
教典を編纂し、質屋の有りがたいお経を作る。また宗門の殉教者に、
これまで任期半ばで亡くなった会長や、理事長、組合長を祀る。
全質連を宗教法人「質屋教」の本山にして、大阪組合は別格本山に。
各質店を末社にして、入質者は信者または檀家、質料はお布施。
来店はお参りで、ポイントカードを渡してTカードと乗り入れをする。・・
・・この落語どんどん発展しそうな気がしませんか??
もう一つの取り留めのない話しは、文章になりませんでした。また。
 
 
H27.09.28 記     新聞記者

これは昔の八幡市の質店でのことです。
今もそうですが、質預かりする時にはお客様に氏名、住所、生年月日、職業を、質取引票に書いてもらいます。昔この職業欄に「記者」と書いた人がいました。しかし後で分かったことですがこの人は「記者」でなく本当は泥棒で入質品は盗品でした。
それで刑事さんが調書を取って入質品を引き上げました。この人は常習犯で、刑事さんが言われるには、職業欄に「記者」と書いたのは、前に捕まった時に新聞に名前を書かれたからではないかとのことでした。

質取引票の職業欄に「泥棒業」と書く筈はないですが、それにしても「新聞記者」は離れ過ぎていて、刑事さんの先の解釈はどうだろうかとその時は思いました。
その後の経験で言いますと、お客様の中に「医師」と書いた人がいましたし、「教授」も「経理士」もいましたが、どれも事件にはなりませんでした。きっと嘘ではなかったのでしょう。しかし「記者」は嘘で事件になりました。そのことは新聞記者と泥棒の間には、報じる者と報じられる者、書く者と書かれる者との関係から、知者?親しみ?、がある??。
 
 
H27.08.31 記     質屋と日本の繁栄と平和

質屋のお客様の中には外国の人が多くいます。日本に研修に来ている人とか、来日して母国語を教えている先生とか、日本に家族のある人とかです。どの範囲を外国の人というのか知りませんが、まず名前が違う、日本語がなまっている、生年月日を西暦で書くなど明らかです。
当店のお客様の中に占める外国の人の割合は、たぶん地元の枚方市の人口の中に占める外国の人の割合より格段に高いと思います。これは当店だけでなくどこの都市の質屋にも言えることだと思います。人は異国でお金に困ったときに簡単に借りられる質屋を利用するものなのです。

今、国会の場で質屋の社会的有用性を言うことは難しい時代です。例えば首相が予算委員会で、野党から生活困窮者の問題をどうするか質問を受けて、首相がそうした人は質屋を利用下さいとは答弁しにくいです。
国会審議の中で質屋の有用性を大きな声で言えるのは、上記のように海外の人が日本でお金に困ったときに質屋を利用している事実です。そしてまた特に韓国、台湾、フイリッピンなど東アジアの人が多いことです。

政治上、国会でどの党からも絶対に反対意見の出ない考えがあります。それは「日本の繁栄と平和は東アジアの国の人達との良好な交流なしにはあり得ない」のテーゼです。
ことは日本の繁栄と平和ですから、国にとってこれを具現する立法は当然優先順位が高いです。優先順位が高くてどの党からも反対が出ない法案は国会を通りやすいです。これからも東アジアの友を大事にしてに気軽に利用して頂きたいと思っています。
  夕空に銀色の腹光らせて西よりの友乗せくる巨鳥
 
 
H27.08.24 記     質屋は金融危機を止められるか

講談では史実に則した話しの中に、その部分は明らかに嘘と思える、そんなアホなというような話しがあります。その後で、「これはよそへ行って言わないようにお願いします」と言います。「語る」にはこうした遊びの部分も必要なのですが、質屋について書いた次の文章も「よそへ行って言わないように」と後に必要でしょうか?

現在のグローバルな経済社会はファンドなどマネーの動きが大きく現物の割合は小さい。しかしそうした経済はリーマンショックの最初のように一つ破綻すると信用不安が広がってドミノ倒しに連鎖的に破綻します。
現在、経済全体の中で質屋の占める貸出総額は微々たるものですが、しかしこれは全て現物担保の時価貸付です。ですから金融危機の時に他が全て倒れてもこの質屋の金融回路だけは生き残っています。その容量がいかに小さくても危機の時には意味を持ちます。

例で言いますと、大災害で電気が止まり、電話は不通で、インターネットが使えず、携帯はアウトで、メールは不能で、外部とはまったく連絡がとれない。そのときに鳩の足に「助けて、○○村」と書いた紙切れを結わえて飛ばして、その原始的な小さな情報で助かることは有り得ます。ですから緊急時にまだ生き残っている質屋の回路をどのように使うか。これは国家的課題です。

それでこれは「ある筋」から内々に聞いた話しであまり大きな声では言えないのですが、政府は内閣府の危機管理室の部局に、警察庁と財務省の幹部を秘密裏に集めて、金融不安が広まってドミノ倒しが始まった緊急時に、この「質屋」が経済にどのように作用するのかのシミュレーションを行っている??
 
 
H27.08.17 記     検証する

先の敗戦の意味は何だったのか、サンフランシスコ講和条約で日本は本当に主権国家になったのか。戦後こうした問題を十分に検証しないで来たことが、今に及ぶ日本国の問題の原因であると、終戦記念日のこの時期の新聞の論調によくあります。過去を検証し現在を知りそして未来を目指す。

それでこれは質屋である私が前から引っかかっていることですが、平成18年の貸金業法の成立時に、質屋の利息が特に問題にされなかった経緯について、その後質屋業界では十分に検証されていません。そのことが上記の国の問題と同じ理屈で、このところの質業の低迷、あるいは質屋の自信喪失の一因ではないかと考えます。

あれは平成16年ぐらいでしょうか。当時に質屋の顧問弁護士さんが勉強会で話されたことは、立法予定の貸金業法について先日当局の考えを聞きに行った。そしたら担当官はこう言われた。昔の偉い人はもう退官して今はもうこうなんですよ、と。
それで、もうそうなんですよー、と弁護士さんは言われる。
そやろかぁー。私が第一に引っかかるのがここです。当局は今でも質屋に関心があるはずです。いろんな理由で。この話し自体が既に編集されていたのでしょうか。これは想像するだけで分かりません。ともかくその後は質屋に対案があるわけでもなく、用意されたシナリオに乗った、そう云うことでしょうか。

そしてちょうど国会の委員会で質屋の問題が上がっているだろうと思われる時期に、質屋が話題にもならないことについて、「もう其れほどに質屋は社会的に小さくて、問題にもならない」と、質屋内で自虐的に語られることがありました。
そやろかぁー。これが私の第二の引っかかるところです。委員会が、あるいは有識者会議が(よく知りませんが)議題に上げなかったのは、質屋は別やとの、意思を示したのではないでしょうか。質屋は社会的共通資本に準ずると考えたからなのか、それは分かりませんよ。しかし話題に上がらなかったことを「社会的に小さくて問題にもならない」と受け取って悲観的になることはないと思うのです。
 
 
H27.08.10 記     アンサング・ヒーロー

質屋について長年文章を書いていると習い性で、本を読んでいてもこの内容は質屋について書くネタに使えると思うことがあります。
前に内田樹の本に「アンサング・ヒーロー」という言葉が出てきました。意味は歌われないヒーロー、称賛されることのない英雄、そうした人のことを言うようです。

そこに例が書いてありました。こんな内容です。
農夫が一日の畑仕事を終え鍬一本持って川べりを歩いて帰ってきます。そうしますと途中で土手(堤)にモグラの穴があいているのを見ます。大きな堤もアリの一穴からという諺があるように、小さな穴も、少しずつ水が流れ、同時に中の土砂も流して、堤が弱くなり、今度大雨で川の水が増えたときに決壊することがあります。
農夫はいつもしているように、近くに落ちている石を拾ってモグラの穴に入れ、鍬で押し込んで穴を塞いで川下の自分の村へと帰っていきます。
その年に大雨がありましたが堤が決壊することはなく、村が洪水に襲われることもありませんでした。
だからと言って村の人がこの農夫を「洪水から村を救ったヒーロ」と讃えるえることはないし、また農夫も自分が「洪水から村を守った」と思うこともありません。
このような人のことを「アンサング・ヒーロー」と呼んで、そのような人に思いを馳せることが大事だと本にありました。

以上をヒントにここからは私の意見です。
確かに起こったことについては、どうして起こったかを考えますが、起こらなかったことについては、どうして起こらなかったかを普通人は考えません。想像力が働かないこともありますが、考えても原因を特定することは出来ませんし、また起こらなかったから対応を急いで迫られることもありませんので。
しかし「大人」は識っていると思うのです。例えて言えば、この社会で平穏に暮らしていけるのは、上の「アンサング・ヒーロー」のお陰があるということを。

例えば町工場の親方が金繰りができず給料が払えないとします。しかし従業員は、それでも食べなくてはなりませんし、家賃も電気代も払わんなりません。それで金に困って慣れない配送のバイトをして、不慣れな道で信号無視をして、運悪く横断舗道を渡っている橋本をはねた。

これが例えば、町工場の親方がロレックス時計を質屋に入れて30万の金を工面し、従業員に給料の一部として払った。それで従業員は当面の生活が出来て、バイトに行って慣れない配送をすることはなく、だから横断歩道を渡っている橋本をはねることはなかった。

今私がこうして机の前で文章を書いていられるのは、そこの横断歩道で信号無視の車にはねられなかったから。
どうしてはねられなかったかは、そのような車が通らなかったから。
どうして通らなかったかと言うと、私をはねたかも知れない人は、給料が貰えて配送のバイトしなくてもよかったから。
どうして給料が貰えたかは、親方がロレックス時計を質屋に入れて金を工面できたから。

そうしますとつまり、今私がこんな文章を書いていられるのは、どこかの質屋が30万でロレックス時計を質に預かったからです。
・・・そんなこと遡って・・・どうして特定できる?
だけど「大人」は識っていると思うんですよ。
世の中こうのようにして上手くいっていることを。
どこかの質屋さんありがとう。
お陰様で私は車にはねられず今日も元気に暮らしています。
 
 
H27.08.03 記     質屋の本籍地

暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続きます。貴兄にはお元気にお過ごしのことと存じます。
さて8月に入り仕事が一段落した気分ですので、前から引っ掛かっていましたことを手紙にまとめてみました。宜しくご検討下さい。

それは前に先輩ほか数人の同業者と会食した折りに、一番年上の先輩が質屋の社会的必要性や意義について、「もう時代は進んで質屋さんの役目は終わりました。これまではご苦労さんでした」と云うことですと、言われました。このあと私は、先輩のこの「 」の中の言葉は誰の言葉なのか長く気になっていました。

それを考えるのですが、先輩は長年質屋をして来られて、このところお店が閑につけ商売に否定的なご気分です。実はそのご自分の気分を投影した鏡像を自らが見られて、あたかも一般的な社会的な像であるかのように錯覚をして解説されているのではないでしょうか。失礼ですが先ほどの「 」の中の言葉は全て先輩の心だったのではないかと思うのです。

今、質屋の社会的意義について、長年質屋をしてこられた先輩でさえ心にふらつき感があるように思います。それで少し考えを整理してみたいと思いました。

取っ掛かりにここから考えます。
前に組合で防犯対策の総会がありました。式ではご来賓のご祝辞に先ず参事官?(とにかくメチャ偉い人)が立たれて、「質屋さんは文化です・・」、この言葉から始められました。
ここで言われる「文化」とは、歴史とか伝統とか生活習慣とか、今ある社会やそれを作っている仕組、質屋もそのようなものの一つとして肯定的に捉えますと言うことだと思います。普通これを保守主義と言います。
結論から言いますと、この保守主義で捉えられる中に今質屋の社会的意義を言う場合の居場所があると、私は思います。つまりここが質屋の「本籍地」と考えるのです。

しかし実際の質屋の営業は市場経済の中にあります。現に流れた品物を古物市場で売れば、それはグローバルな商品経済のど真ん中に放り込むわけです。現住所での営業の軸足は市場経済の上に立っています。

そして一方質屋組合は、社会的責任などについて問題なく営業できるように、弁護士さんに意見を求めるとします。そうしますと弁護士さんのお仕事は基本的にリベラルです。自由、平等、民主主義、法による支配、市場経済、グローバルスタンダード、そうしたものをベースに理性的に対処し前へ進んで行くのですから。そういう意味でリベラルになります。

そうしますと質屋は市場経済の中で毎日営業し、質屋組合はリベラルでガードを固めようとして、もう一つの保守主義で捉えられる文化である本籍地のことが忘れられています。
私はそれを、先輩は意識しておられないかも知れませんが、実はその質屋文化を先輩は毎日体現しておられると思うのです。

失礼ですが先輩のお店の現状は、新しい質草について行けず、新しい機器について行けず、新しい考えについて行けず、若いお客さんについて行けてません。それなのに居場所を「市場経済の中」に、同じように探そうとされるところに無理があります。

先輩のお店は既に「本籍地」に帰っておられると思うのです。もしも今先輩が質屋の「意義」を問われるとしたら、それは先輩が毎日質店を開けておられる、そのことにこそあるのだと思います。如何でしょうか。これからも「本籍地」で頑張って頂けたら有り難いことです。
貴兄に於かれましては暑さ厳しき折お身体大切にご自愛下さい。 草々
 
 
H27.07.27 記     デザインコンペ

新国立競技場の設計が白紙に戻って一から行われることになった。
それで思うのだが、こうした記念碑的な建造物は民意を汲む意味からも、一般に広くデザインを募り、例えば佳作10案を公表して賞金を出すようなことをしてはどうだろうか。
その後に各デザインの思想性、先進性、環境性、機能性、工事費、維持費、実現可能性などについて、専門家の意見を付け、佳作10案を元に指名コンペにかけ絞り込んで決定すれば良いと思うのである。

そうすると応募のデザインには海外の設計士のものや、日本の設計士のものや、大学で建築を学ぶ学生のものや、また高校のクラブ単位のものもあるかも知れないし、定年退職した人の力作もあるかも知れない。
そうして最終的には指名コンペにより各設計会社が原案の意思を反映する図面を引き、専門家と有識者で構成する委員会が決定する。そうすると今回のデザインのようなハダハダ感はないと思うのである。

私が今、特にこうした考えを持つのは近くの駅前に枚方市による「枚方市駅周辺再整備ビジョン」があるからである。同じ町内の者として関心があり、これから20年先にこの駅前の様子はどのようになっているのか、ときどき陸橋の上から駅前ロータリを見ていて、新国立競技場のようなことにならなければいいがと思うのである。

またそうした折りに、昔に習った先生のこんなお話しを思い出す。
その先生は元新聞社の論説委員で、退職後にある市の審議委員?を頼まれました。そして市の担当者から、「節水」のことなど、市民にもっと「市の水道事業」に関心を持ってもらうにはどうしたらいいか相談を受けました。
先生の返答は、「水」について書いた作文を広く公募してはというものでした。文章は「水」についてならエッセイでも童話でも意見でも可です。先生が読んでよく書けているものに記念品?を出すというものでした。
つまり書く(デザインする)という行為は対象物に関心を持って理解を深めることになるからと言われたのです。
 
 
H27.07.20 記     講談

以前は時々落語を聞きに行きましたが、このところは月に1度講談を、「旭堂南海の何回続く会?」を聞きに行っています。大阪谷六の薬業年金会館で月1度、夜7時から、木戸銭は1500です。次は第216回、演目は難波戦記の続き読みです。

落語は子供のころからテレビで聞き少しは知っていましたが、講談はテレビの田辺一鶴ぐらいしか知りませんでした。それがある寄席の一席に講談があり、その語りの面白さにひかれて興味をもちました。一鶴のようにパンパン叩くのでなく、もっと静かで言葉の転がりが良くて、語りのリズムが楽しめるのです。

その「語り」のことですが、講談では「読む」といいます。これは直に南海先生(注)に聞きました。開演前に自分で木戸銭を受け取っておられますので聞けるのです。
昔の人が作った元本があって、それを時代に合うように、面白いように編集して演目に載せる。釈台に本は載せませんが、読む形が始まりですから講談は「読む」ですとのこと。

落語は話す、文楽や浄瑠璃は語る、浪曲はうなる、能は舞うですか。歌舞伎は演じるでしょうか。講談は「叩く」とは思っていませんでしたが、物語るのですから「語る」だろうと思っていましたが「読む」でした。ただ実際に聞いて私の実感はやはり「語る」の印象があります。あと「講じる」「談じる?」も。
(注、 落語は師匠と呼びますが講談では先生と呼びます。一応失礼のないように。)
 
 
H27.07.13 記     バッキャロー

長めの散歩はいつも人の少ない河川敷を歩きます。中でもゴルフ場と淀川の流れの間のコースは2キロほどの直線道に3〜5人、時には一人もいない時があります。
50歳代のその人はこの道で幾度も見たことがあります。いつも何かブツブツ言いながらゆっくり自転車に乗っています。そして止まって休憩している時の様子から心を病んでいるように見えます。

先日、その自転車の人とすれ違った直後に「バッキャロー」と後ろで大きな声がして、びっくりして振り返ったら、前方の空に向かって叫んでいるのでした。人の居ないところで大きな声で叫んだら心が楽になるので、人の少ない河川敷を走っているのでしょうか。

以前に店で2人連れのお客様から買取したことがあります。どちらもどちらで複数の障害があるようでした。責任能力の問題はありますが小額ですし買取しました。
そして説明してお金をお渡したら、よその店よりずいぶん高かったのでしょう。そうしたことを2人が嬉しそうに喋って出ていきました。そのお金で駅前で一杯飲むのかも知れません。とても楽しそうでした。どのような場合でも連れがいるのは幸せなことです。河川敷で1人で天に向かってバッキャローと叫んでいても・・・。
  電線に止まりし鵯が啼けれども何おこりしか連れは返らず
 
 
H27.07.06 記     質屋の年齢制限

質屋のご利用は20才からです。では上は何才までご利用頂けるのでしょうか。
法律による天井はありませんが、実際のご利用に一応の目安があっていいと思っています。
一般に高齢者の方はお金が入ってくることが少なく、入質されると長期に預けたままになることがあるので、当店ではある時期から取引終了へ向け一つの方法として、利入分を元金返にして、徐々に減額し品物を持って帰ってもらうようにしています。

その場合は減額の度に新しい質札を書き、台帳を書き、個人別帳を書き、倉の品物のたれ札を付け替え、入れ直して、質屋としては結構な手間ですが、そうしたことが高齢なお客様へのサービスであることを、お客様はきっと分かって頂いていると思います。

それででしょうか、先日はこんな話しをされたお婆さんがおられました。
2ヶ月ほど前に駅前に買い物に来た時のこと、バスから降りるのに舗道に足を踏ん張った拍子に急に動けなくなり座り込んでしまった。そうしたら京阪の人や店の人が出て来て助けてくれて、救急車で病院へ運ばれて点滴を打って、それで動けるようになった。別にどこも悪いとこはないの、みなさんに助けてもらって有り難いと。

お話しを聞いていて、このお婆さんに体力の衰えはあるが、知力の方はそうした場合でも事態を正確に把握して、後日に分かりやすくしっかりと話されていて完全です。
お年寄りにとって質屋を利用することは、気が向く先があることになり、入質して少額のお金を工面することが現役の生活者の自信にもなり、それはそれで良い面があります。ただ品物を出せない場合は早く流すか売却するかを判断されたらいいと思うのですが、その判断が車の運転と同じで歳とともに遅れる傾向があります。もっとも遅れても車の運転と違い事故にはなりませんけど。  
 
 
H27.06.29 記     おいしいわぁー・・・なんて

前に石垣島で乗ったタクシーの運転手さんが、牛が放牧してある牧草地の中の道を走りながら、オープンまなしのステーキハウスを指して、「こんなとこに店だしよって」と言ったが、私もこの運転手さんに同感です。

それと同じでテレビの食べ歩き番組の、だから新鮮です、だからおいしいのですは、そこまでするかという気がして、それをリポーターの美女が食べて「おいしいわぁー」と言うのは、これで良いのかと思うのです。

いや、それで良いのですよ、トヨタが良い車を作って売るのと同じことではないですか、と。
それはそうですけど、しかしこちらは「命」やからなぁ。いくら市場経済でも。俺はまだ死にたくない、俺は焼かれたくないなんて、それはあるやろなぁー。それを無理やり絞めて叩いて切って焼いて、「おいしいわぁー」と言うのはほどほどにしとかんと。

冥加に尽きるという言葉があるけど、商売でもあんまり儲けすぎるのは冥加に余ると言って避けます。商売ですから儲けるのは当然としても、おいしすぎるのは良くないのです。だから昔から「おいしいわぁー」・・・なんて、当店はしませんです。はしたないから。
 
 
H27.06.22 記     山辺の道

本を読んでいて土地や街道の名前が度々出てくると、一度行ってみたい気になるもので、それで去年は竹ノ内街道、数年前には山辺の道を歩きました。

その山辺の道を歩いた時のことですが、桜井から歩き出して山辺の道に入り、しばらく行った山かげに休憩のあずまやがありました。その長いすに50才位の頭の禿げた男の人が休んでいました。私は眼が合ったので軽く会釈し横で立ったまま持っている水を一口飲んで先へと歩き出しました。
そうしますとその男の人が後を付いてきて、古墳や歴史のことをしきりに話してくれます。男の人の様子は白い上っぱりに、料理人が履いているような白い長靴、手には雨傘を持っていました。

この人はとても歴史に詳しく、この道は池の向こうが本当の山辺の道で、いつの時代からこの道になったとか、古墳についても詳しく話してくれました。と、言って観光案内の名札のようなものは付けていませんし、服装が制服のようなものでもないし、何なのかもう一つよくわかりません。ただとてもピュアーな感じの人でした。

それで御陵を過ぎ道が開けたあたりでこの人の説明を聞いていると、右手に見上げる山は神々しく、左下に広がるなだらかな丘陵地の先は、こういうのを沃野と言うのかとの思う田園の中をJRが走っていて、確かにこの人が言うようにこのあたりが国の起こりの地という気がしてきました。

ここからもう少し行った先で私は礼を言ってこの人と別れたのですが、実は細い道ですぐ後ろを付いてこられた時は、この人はどういう人だろうかと怪しんでいました。
それで前を歩きながらこんな物語を考えていました。
すぐ後ろで「カァー」と一声するので振り返るとカラス天狗に変わっていて、右手の神の山の巣に連れていかれるのでないかと。落語か小説にこんな展開はなかったかなぁ。

三輪山の天狗が話し相手を探しに山から降りてきて、あの山辺の道のあずま屋で待っていたら、上がってきた私と眼が合って会釈したのが気にいって、今日はこいつにしょうと。・・・そんなことはないかぁ。こんなアホな話しを楽しみながら歩いていました。

それがそれから半年ほどして新聞にその人が写真入りで紹介されているのです。びっくりしました。考古学の分野で成果を上げられて紹介されていたのです。知らないとは言え大変失礼致しました。先生のような雰囲気の人が考古学者なんですね。今まで考古学者と付き合いがなく、インディ・ジョーンズしか知らなかったものですから。

素人の観光ボランティアなんかでなく、本当は一級の学者に案内して頂いていたのでした。きっとこういう先生は教えることが好きなんでしょう。教えたくてしょうがないのです。それで休みの日に長靴に傘一本持ってあの休憩所前におられたのではないでしょうか。そこへワイシャツに綿パン、くたびれた革靴を履き、片手にペットボトルを持った私が山辺の道を上がって行ったのです。
   まほろばの山は緑に美しく また里には上等な人
 
 
H27.06.14 記     なんの関係もないことですが

もう1年近くこのページに何も書きませんでした。書く以上、やはり「質屋の風景」ですから質屋や質店に関係したことを書きたいと思うのですが、書くということはなかなか問題の多いことで、書く値打ちがあると思って書いたものでも、それを逆にマイナスと考える人があるかも知れません。そうしたことを考えること自体がおっくうで、書かずにそのままにしてありました。

それが先日、通りがかったドーナツ屋さんの前の黒板にチョークで文章が書いてありまして、何が書いてあるのかつい気になって立ち止まって最後まで読みました。
文章の内容は前の休日に市民マラソンを走って、仲間の声援を受けて、途中いろいろなことがあって、それでも完走したというものでした。
結局はドーナツとも店とも何の関係もありません。
店員の休日の過ごし方を店の前の黒板に書き出して、それがなんやねんと思うのですが、店は繁盛していて、まぁーこれが時代なんだろうと思いました。

普通はドーナツ屋が店の前に文言を書き立てる以上、内容は例えば価格改定のお知らせとか、原材料の小麦粉が高騰していてご了承下さいとか、あるいはドーナツの歴史とか、レシピとか、健康を考えて昔より砂糖を減らしていますとか、子供のころお八つにもらったドーナツの思い出とか、ドーナツの輪と穴の関係性を落語風に講釈するとか、今まで自分が作った数千個のドーナツは食べられて、どんな思い出を育んだろうと想像して詩にするとか、なにかドーナツに関係あることを書くと思いのですが、もうその考え方が古い、時代おくれなんでしょう。

それで私も質屋とも質店とも何の関係もないことを、このページに少し書いてみようと思いました。それでも質屋のによいのようなものは出るかもしれません。
もしよろしかったらお読みください。
 
 
H26.07.23 記     丸い石

店の端にある花壇は70pの高さで角をアールにしています。歩いてきた人がちょうど立ち止まって一息入れるのに良い場所と高さで、よくここで携帯をしている人やペットボトルを飲んでいる人がいます。それで空き瓶が花の間に立っていたりするのですが、少し前から花の根本に白く輝く丸い石が置いてあります。
これはきっとこの道を通る男児が川か海で拾った石を持って帰ってきて、このあたりで親に叱られたのです。いつもそんな石を持って帰って、部屋中石だらけになるやない。家に着くまでに捨てなさい、と。それで帰り道の花壇の花の根本に置いたのです。この石を見て私はそお思います。
前にはもう少し大きくて丸いツルツルの石が置いてありました。きっとこのあたりで叱られる男児が何人もいるのです。

それと3ヶ月ほど前のNHKのニュースで、理論物理学の分野で、ビッグバーンが起きる直前に激しい振動があったとする学説があり、その証拠を示す衝撃波を米国の研究チームが初めて捉えたと報じていました。
その報道に関連してNHKの記者がこの学説を何十年か前に発表した日本の物理学者に取材して説明を受けます。
物理学者はゴム風船を膨らませて、このように一気に息を吹き込むと、風船がブルブルと震えながら膨らんでいくでしょう。そのブルブルの衝撃波がこの宇宙にまだ漂っていて、それを米国の研究チームが捉えたのですと、解説します。
ニュースを見て私は、それはつまりこの宇宙が始まる直前に別のどこからかビッグバンーを起こす元へと、ビューと激しく吹き込まれるものがあったということだと理解しました。

それと先日、短歌に「砂浜に転がる角の取れし石を・・」と詠まれた人がおられて面白い歌だと思いました。

それでそうしたこと、つまり花壇の白い石と、物理学の衝撃波と、短歌の角の取れた石と、それに先日のワールドカップで肌の色の違う選手が激しくボールを蹴っていたこととが、ガチガチと繋がって、もつれて、

今は砂浜に転がりし角のない丸石は
昔マンモスが蹴っていたころはまだ少し角があった
最後のネアンデルタールの頭蓋を打ち砕いた時には
まだ少し凹凸があった。その後どれほど経っただろう
核ミサイルが飛び交い地球は生命の住まない星になった
それでも青い海の浪は砂浜に打ちよせ丸い石を転がしている
その浜辺に現れし者、丸石を優しく撫でて中空に放てり
この世は激しく震え折りたたまれて終えり
放たれし丸石はビッグバンし次の世が始まるなり
 
 
H26.07.18 記     なんでも主旨説明

当店は角地に建っていて前の市道とは平らで人も車も入りやすいようになっています。また横の道とは50pほど高くて石積の上をフェンスで囲っています。フェンスと建物の間に幅50pほどの細長い土地があり、その部分はコンクリートを打たずに土のままにしています。草が伸びると刈るのですが、この店の横の部分は木を植えたり花を咲かせたりしないで、見苦しくない程度に自然にしています。
店の前はプランタンに花を咲かせて、横だからほったらかしにしているのではありません。この部分は自然に草が生えて緑がいい、そんな感じにしておきたいのです。
そのコンセプトをお客様にどう説明すればいいか。主旨(雑草が生えているのは店主がずぼらをしているのではない)を紙に書いてフェンスに貼ったらどうかとの意見がありました。しかしそれでは言い訳がましくなるので、ともかくホームページに書くことにしました。

『店外掲示』の一例。
・・この部分に草が生えていることについての主旨説明・・
「雑草という名前の草はないと言います。ですから生えてくる草それぞれを尊重してむやみに引き抜かずにできるだけ自然のままにしています。セイタカアワダチソウは引きますが後の草は何という名前か分かりませんが、先で花を咲かすものがあるかも知れません。この場所はことさらキレイにするのでなく、華美に流れない? そうした当店の姿勢の表れだとお考え下さい。ですから決して店主が暑いからずぼらをして草を引かないのではありません、以上。」
 
 
H26.07.11 記     質屋とスイートピー

以前から店の花壇や鉢植えの手入れは自分でしています。今年は花壇のパンジーが終わったあとにスイートピーを植えました。
日に日に茎が伸び、横に棒を数本立てて紐を張ってやると、茎から細い触覚のようなものを伸ばして棒や紐に巻き付き、支えにして上へ横へとひろがって伸びていきました。そして薄ピンクの花を次々にたくさん咲かせて、花の後にそれぞれ豆の入ったサヤをたくさん付けました。
お客さんが入って来て、花壇で何の豆を作っているのですかと問われるので、いや豆でなく花を見て下さいと言いました。スイートピーですと言っても、もう一つピンとこないようで、それで聖子ちゃんの「赤いスイートピー」の一節を歌って、そのスイートピーですと説明したようなことです。
花が少なくなり、あまり豆ばかり目立ちすぎるので引いて、後にペチュニアと千日紅を植えました。また大鉢にはペンタスを色違いで3株、プランタン2鉢にはペチュニアを、これも色違いで4株づつ植えました。
いつも店の前はキレイなように心掛けていますが、そのためには実際そこそこ手が要ります。そうでないと保てません。自分がいつもしているから商店に限らず住居でも、前の植木鉢に上手に花が咲いているとことさらいいと思います。

 
 
H26.05.14 記     過払い うろうろぶつぶつ

あれはサラ金の取り立てで夜逃げや自殺者が出て社会問題になり、
サラ金規制法が出来た年だからもう30年も前になるだろうか。
当時、京都の質屋組合では質屋のする電話金融に関係があるので、
大学の先生を招いてこの施行前の法律についての講義があった。

講義の内容は法律学者の見解として、今回の改正法は法の整合性
に問題がある。だから例えば、特例により数年に限り認められる
受け取り利息の分についも、将来裁判所で電話金融の利息は過払
いの対象になると判断される可能性がある、というものであった。
ただその点について、この法律は先の国会で成立したものではな
いのかという議論はあるでしょうが、とも言われた。

その後も数年に一度、組合で弁護士さんによる講習があったが、
弁護士さんは法律家で社会学者でないからか、先の国会で作られ
た法律に基づいてお客様からもらった電話金融の利息を、後日に
過払いで返還しなくてはいけない矛盾についての説明はなかった。

しかしこうした矛盾のままでは法律を作った国会の権威にかかわ
るのではないか。大学の法律学者が言う法の整合性のことは解ら
ないが私はこのことにずっと引っかかっていて、裁判の行くへを
見ていると、確かに法律学者の予想どおり特例の見なし利息の分
についても、過払いの対象になるとする最高裁の判決があった。

これについて素人の考えだが、この論は普通なり立つだろうか。
改正法は罰則規制について決めたもので民法上の権利を認めたも
のでないとはいえ、その時は利息制限法の、任意に支払われた利
息は有効な利息の弁済と見なすという項目を、国会は削除しなか
ったのである。

そしたらこの法律が作られる状況下で、国としては貸金業者に見
なし利息の範囲で営業をしていいと言っているわけで、業者から
すると、ぞうど行って問題ありませんと言うので行ったら後ろから
バッサリ切られたようなものである。それでは国のだまし討ちでは
ないか。それなら最初から行かないのにという言い分はあるだろう。

最高裁で争われる一票の格差の問題は憲法が定める法の基に
おける平等にあるが、金銭貸借の元はその平等な人権を有する
者の契約行為である。
当店は質だけで電話金融も貸付もしていないから過払いに関係は
ないが、この判決はどう考えてもおかしいと思っていた。

もっとも私がこれを道理に合わないと思うのは高校の社会科で習
った、三権分立や議会制民主主義の仕組みと、その他に道徳観と
いうか、嘘は付かない、約束は守る、借りた物は返す、といった
常識程度のもので、法律学者の言う法の整合性のレベルの話しで
はないのだが、どうも納得いかない。だからこれでは国家が国民
を騙しているような気がするのである。

それでこのように道理の合わないことについて考えると、私の頭
の中にはいつもゼンジー北京が出てきて、
「あんたがた国の言うこと聞いてバカね、
中国の古いことわざに、手品師の言うこと信用する人は心の直な人、
国の言うこと信用する人は頭の悪い人、
あんた国の言うこと信用してバカよ」、の怪しい声が聞こえてくる。
この場合に私はどうしてゼンジー北京なのか。これは決して民族
差別でも隣国に対する侮辱でもなく、それは私の頭の回路が論に
行き詰まるとゼンジー北京の怪しい言葉を掴んで一応幕を引き、
別回路で次のステップを計ろうとするからだと思われる。

ではどうして私の思考回路は特別にそうなるのか。それはきっと
若い時に出入りした古物市場の言葉の基調が、・・ぼちぼち危ない、
危険があぶない、相場があやしい、信じる者は救われる、さすが
目利きや、あんたは偉い!、立派や!・・こうした市場特有の言葉
の調子が手品師のゼンジー北京の言葉の世界に繋がるものがあ
ったからだと思われる。もちろん現在の市場はそのような言葉は
使わないのであるが。

では当時の市場ではどうしてそうであったのか。競り市では売る
人は高く売りたいし買う人は安く買いたい。みんなが品物を間に
はさんで戦いである。現在より市場の雰囲気はもっと下品で猥雑
で必死であった。だからつい剣呑になる。それをゼンジー北京の
怪しい言葉でもの真似しておどけたりすかしたりして、致命的な
衝突にならないように調整していたのではないかと思われる。

私は人格形成期にその世界に出入りしていたので、私の思考回路
には道理に合わない場合自然とゼンジー北京が出てくるのである。
しかし私がもし違う仕事をしていたら、例えば新聞社に出入りして
いたら、論説者の口調をまねて・・矛盾ではなかろうか、なんて頭の
中で自らに問い掛けることになっていたのかも知れないのである。

このごろ思うことであるが、手品師の言葉の世界で掴める思想の
レベルはそう高いものは無理である。やはり偉大な思想家の言葉、
哲学者の言葉、その珠玉の言葉を自らの血肉としなければ高い思
想性は持てない。だから人は若いときの環境が大事だと思うので
あるが、今更そんなことを言っても仕方がないので、ともかくこの場
合は私の頭の中にゼンジー北京が出てくるのである。
それで話しを元へ戻すと、

こうなると裁判官の法衣が手品師のマントに見えてきて、マント
の下から鳩でも飛ばすのではないかと。
裁判官が法廷で叩く木槌は手品師の持っているスティクになり、
こうなるとどんどん想像が膨らんでいって、裁判官が法廷でステ
ィクを振りかざし、
ほんまはなぁ、判決みたいなもんどうにでもなんねんがな。
何々と言わざるを得ないでも、言わざるを得ないことはないでも、
別にそう言うたらそうやなとなるやろ。どっちでも有りやん。
現にこっちで勝ってこっちで負けてるということはそう言うことやろ。
お経の、「朝に紅顔あれど夕べには白骨となれる身なり」・・これは
絶対真理や。だけど判決はその立場にある人が今それをそう
判じたと言うだけのことで、これは絶対真意やない。
法律の条文を何々と解釈すべきであるでも、解釈すべきである
とまでは言えないでも。最後でひっくり返したらいいだけのことや
さかい。
むかし漫才であったやん。赤い旗と白い旗を持って、赤あげて、
それ白あげて、赤さげないで、白さげ・・ない。で、がくっときて
じゅんちゃんでーす、長作でーす、と言うあれ。上げる、下げ・・
ない、なんて、どうにでもなるやろ。漫才としたらたいした芸やあ
らへん。まぁいうたら判決も同じようなもんやない。
ただ俺らも裁判官が仕事で、つまり商売やねん。だからそれらし
い口をきかんと。それで言わざるを得ないとか、解釈すべきであ
るとか、偉そうな口調を使ってるねん。
例えば医者は医者らしい言葉を使うわな。
医者が患者に、ガンやと思うけどいっぺん切ってみようかしら
では、患者も不安やん。それと一緒やねん。俺らも法の権威と
いうものを現さな。・・なんて。

そうすると・・もしかして・・あの最高裁大法廷の壇上の15人
の中に、よく見るとゼンジー北京が座っているのでは ??。
国民が最高裁判所をこのような眼で見るようになったら、
国ももうお終いだ。

ずいぶん脱線したけど、ともかく過払いというものは可笑しいと
思うねん。だいたい法律が変わるのは今日から変わるので前の
ことは有効や。そうでなかったら一々戻ってたらややこしいもん。
今日のことが先で無効になるかも知れへんと思たら今日何も決
められへんし。法律を改正してもなんでも今日からにせんと。
商売して儲かって広告費を払って給料を出して税金を納めて、そ
れで幾らか残って、それですき焼き食べたと。
それを後日になって貰い過ぎやから前に遡って返しなさいなんて。
そんなん有りか。俺はここに国というものの怖さを見るねん。

法律が変わって、商売がしにくくなって、儲けが少なくなって、
それで人と資本がその市場から退場していく。これは普通の経済
社会の話しやな。しかし前に遡って返しなさいの判決で結局居な
くなるのは、捕虜を壁の前に立たせて銃殺隊が至近距離からバ
ンーと撃って崩れ落ちるのと同じで、棒杭に結わえて口から無理
やり手突っ込んで胃袋ごと引き抜いてしまうような、そしたら崩
れ落ちるわな、ここにはそうした怖さがある。

これは法律論でも学問的な話しでもなんでもないねんけど、
映画で、特に外国の映画でものすごい災難で、ものすごく気の毒
で、余りに理不尽で、それは神がお怒りになられたのだとか、鉄
槌を下されたのだとかあるやん。私はこの過払いの問題にあの
神の残酷さと同じものを見るねん。

それで海外の一神教のことを考えるとな、
キリスト教では同朋に貸金して利息を取ることを禁じてるな。
イスラムでもイスラム金融があるように貸金に制約をつけてる。
一番最初の宗教のユダヤ教でも貸金はもっと厳しく禁じていて、
例えば上着を質に取った者は陽が沈むまでにその上着を返さな
くてはいけない、と教典にあるらしい。
それはユダヤ教の起こりは中東の今のシリアの辺りだけど、
あのへんは夜になると冷えるので上着にくるまって寝るねん。
アルカイダ兵が長い上着を着てるやろ、まぁーああいうのかな。
上着がないと寒くて寝られへんから、返せとそう書いてあるねん。
また石臼を質に取った者は翌る朝に陽が上がるまでに、
その石臼を返さなくてはいけないと書いてあるらしい。
それは朝になったら石臼で麦を挽いてパンを焼かんならんから。
ともかくユダヤ教では金を返してもらわなくても担保の品を返さ
んならんから、そもそも質は成り立たへん。

それで私は一神教が貸金を禁じていることについてこう思うねん。
これは学問的な裏付けのない責任のない話しやとして聞いてな。
もっともこれまでもそうやけど。
人類史上始めて麦が栽培されたのが今のシリアのあの辺りや。
今から5000年ぐらい前、定住が始まり都市ができたんや。
貨幣はいつぐらいに出来たか知らんけど、環境の変化で人類の
意識がこう進して、ある時点で質とか貸金の仕組みを知ったんや
ろな。そしたら質に取って金を貸すと、品物は社会から無くならな
くて、それに見合った金が出ていくから社会資本は倍になる。
またその金で何かを買ったら、売った人は物が売れるから仕入れ
るか作るかするはな。しかも最初に金を借りた人は利息がつくか
ら早く廻して返さな損や。ゆっくりしてられへん。そうすると
そこで経済が爆発的に発展する。つまり貸金は社会の経済にと
ってきっとスパーソフトなんや。

この話しは原子力と同じやと思うねん。
あれも人類が進化してきた過程で手に入れたものや。
核分裂はもの凄い桁違いなエネルギーを生み出す。上手く取り出
せたらすごく便利なものや。けれど一度暴れると福島の原発のよ
うに大変な災害をもたらす。
これと同じで貸金もスーパーパワーで、経済を発展させ人々に
豊かさをもたらすが、もし暴れると人々を大変不幸にするねん。
原発を荒ぶる神と言っている学者がいるけど、貸金も荒ぶる。
それで一神教社会では貸金を神の直轄統治下に置いて、その荒
ぶる力を押さえてきたのではないか。そして一たび人に害を及ば
すようになれば容赦なく神が鉄槌を下す。こういう仕組みで西欧
社会は来たんやないかと思うねん。

しかし日本は違うはな。昔から多神教の社会で八百万の神々がお
わしまする。そこでは神さんを小分けして貸金の神さんなんか作
って?、そこは上手に丸め込んで?、いや知らんけど、しかも仏
教の慈悲も使って、前から大阪質屋組合は四天王寺さんで法要し
てるわな、また京都質屋組合は昔から北野天満宮さんや。なんぼ
か包んでるねん。日本では結構昔から荒ぶらんように神仏を上手
に使ってきたんやと思う。
ところがな、最高裁は論の府と言うのに、あの過払いの最終的な
判断をみると論も理もあるもんかという、何かこう一神教の神が
鉄槌を下すような、言うたら西欧的なことをするねんな。

それでこの神の話しをすると、神学論の難しい話しは横に置いて
な、宗教の一番最初、中東の荒野でもアフリカのサバンナでもい
いねんけど、容赦なく人を襲う過酷な自然を前にして、つい人は
手を合わす。そして人知を越えた想像を絶した「彼の人」を想う
とするやん。それが最初やと思うねん。
その場合に私が想う彼の人は、人知を越え想像を絶したものと
しても、私は想う彼の人のことを・・だから、彼の人の思いと私の
想いは当然リンクするはな。私が想うねんさかい。
その私の想いを祈りと呼んでもいいねんけど、ようけ束ねて、天
上の神というフイルターで濾過して地上へと降ろしてきて、それ
を神官や王が神託(彼の人の思い)として聞いて、人類は長い
間まつりごとをしてきたのではないかと思うねん。

預言者ているやろ。神の言葉を預かった人やな。ユダヤ教でもた
くさん出てくる。しかし多くの予言者は、そんな言葉は神の言葉
やない、お前の良いように勝手に話してるねんと、みんなに言わ
れて殺されたりするわけや。つまり不信任や。
キリストも預言者でユダヤ教の改革運動をしてたんやけど、キリ
ストは殺されてから復活して神になった。
この預言者は正しく神の言葉を話しているか、まやかしの言葉を
語ってはいないかを、人々が審査して、預言者として認めるか認
めないか判断したんや。しかしそれは選挙で政治家を選ぶやり方
とよく似てる。一種の民意を汲み上げる仕組みでもあるわな。

それで人類の歴史のほとんどの期間、この天上の神との回路で
民意を、それを民意と呼んでいいのかどうか分からんけど、反映
させて来たんと違うかと思うねん。
今のように議会制民主主義の「選挙された代表者を通じて」は、
この100年にもならないことやない。

それに主権在民の国民国家であると言っても、国よって歴史とか
文化とか地域性とか全て違う。よく「国家は擬制である」と言われ
るが、擬というのは擬態の擬、つまり似せるという意味やな。また、
本当はそうではないが、そうだと見なすという意味もあるのかな。
それで国家、つまりこの場合の国民国家は擬制であるから完璧
な統治システムはないわけや。だから手ぐらまぐらして行かなしょ
うがないねん。

やっと話がここまできた。
それで最初に戻るけど、特例で定めた利息を最高裁が後日過払
いの対象になると判断することの矛盾のことやけど、それはつまり、
日本のように神なき国における最高裁判所大法廷の仕事には、
その神の仕事の一部も入ると考えて良いのではないかと、
そう最高裁の判事は考えて過払いの最終的な判断をしたのと違う
かと思うねん。「論の府」はこのさい横に置いといて。

その天上と、実際に三権分立で国を動かしていく地上の間の話し、
天と地との間の物語りには、最終章でよく貢ぎ物が出てくるねん。
神様こんなことで一つお許しを!なんて、献げ物をするねん。
そしたら神様はお許しになられたとなって、最後の大団円へ繋がっ
ていくねんな。
それでな私が前に「過払い 断簡」で、最高裁の判断は貸金業者
の脱税に対する罰の面があるのと違うかと書いたやろ。あれはそ
の貢ぎ物や献げ物としての税、それで税金のことを書いたんや。
そんなことで「税金」は長い長い論考の先に出てくることやってん。

まあこんな風にこの問題を天と地の壮大なドラマ仕立てにする
のは面白いと思うねんな。またそれとは別に同じ税の切り口でも、
もっと下世話な話しにする手もあるねん。書いてみると、

裁判の構図を考えると、裁判は原告が訴えて、被告が争って、
それを裁判官が裁く形や。原告の弁護士は原告から、被告の
弁護士は被告から費用をもらうや。その収入で弁護士は生計を
立ててるわけや。しかし裁判官は国から月給をもうて生活してん
ねん。その月給の出所は国が集めた税金や。
今この裁判の争点は過払いの問題として、被告はその税金を払
とらへん疑いがあるとするな。そしたら裁判官にしたら俺の生活は
どうなんねん!となるわなぁ。この被告なめたまねしやがって、
いてもたれ!と。それでバンーといてもたられてサラ金はいなくなった。
どう、この筋書きおもしろくない。

だんだん話しが危なくなってきたからこのあたりで止めるけど。
(本当はこれ落語のネタとしていけると思てるねん。
4行上で、いてもたられてサラ金は居なくなった、とあるやろ。
それで熊さんが、それも言うなら、いてしまわれてやろ、と言うねん。
いや違うがな、いてしまわれるは、いてしもたるの受け身やん。
いてもたるの受け身は、いてもたられるやない。
いてもたる五段活用、知らんか。
いてもたる、いてもたる時、いてもたれば、いても・・)

どっちにしても本当は国家の問題に「神」を引っ張ってきたらあか
んねんな。政教分離が国民国家の条件やから。国民国家の切り
口は全て「国益」でなかったらいかんわけでした。ましてや裁判官
の生計を持ち出したら絶対にあかんのです。もっての他です。
すいません。落語のネタにして笑うのは、いいと思うけど。

それで税金を払わへん者は当然「国益」を損なうわけで、それは
そうなんです。ただ話をそっちへ持って行くと文章がきたなくなる
から行きたくなかったんです。
それでまぁ、想い−−祈り−−願い−−民意−−世論−−正義
の実現、言ってみたらこの天上との回路は地上のまつりごとを考
える参考になる、という話の方が気にいったんです。国民国家の
論はそこへ持って行ったらあかんとしてもです。

−−それでまだ、しぶとく最高裁の判事のことを考えている。
あの15人の人たちは何だろうと、ずーと考えてる。あの中には
法曹資格を持っていない人もいる。前に首相が集団的自衛権の
行使の憲法解釈のことで、前の内閣法制局長官を交代させて最
高裁の判事に任命した。では行政府の長が任命した最高裁の
判事が下す判決の絶対性を担保するものは何だろう。
国政選挙の時に国民は×をしなかったから承認したことになる、
では不十分だと思う。だいたい×をしなかったら、○をしたこと
と同じであるというのは、あまり大きな声で言える話ではない。

私は任命した総理大臣は政治家である、ここが引っ掛かるのだ。
政治家は旗色をうかがい乗り替え転び嘘も方便で何でも有りだ。
そうしたことは皆んな知っている。なのにその政治家に任命され
た判事の下す判決に、斯くも国民が従うのは何故か。
国に統治権を委ねているからか。国民は制度としての最高裁
を信頼するしかないからか。いや、それだけでは危なすぎる。

おそらくその答えは、最高裁の判事が持っているだろう学知の、
その「学」というものに人間は自然と頭を下げ従うように、そう
プログラムされている生物からではないだろうか。

何十万年も前に我々の祖先は他の部族と戦いをして勝った。そし
て相手の部族を皆殺しにした。その戦いの勝敗を分けたものは、
こちらの部族が戦が上手で武器が優れていたからである。その戦
い方や良い武器の作り方を知っていたのは、相手より多く上の世
代から学び、多く知識を持っていたことにある。
だから「学知」を重んじるという性質を持った部族が生き残り、持
たない部族は滅んだ。我々はその勝者の部族の末裔として今こ
こに並んでいる。だから現世人類には全て無条件に「学知」に頭
を垂れ従うよう遺伝子に書き込まれている。その遺伝子を持たな
い人類はここまで届いていない。

私達の祖先がアフリカの大地溝帯で生まれて20万年と言う。
これを半分ぐらいこちらへ来てからの話しにしても10万年である。
その淘汰の末に私達は「学知」を尊敬しそれに従うようにプログ
ラムされていて、あの最高裁の判事はそうした部族の「学」を代表
するトップランナーの15人であることを、私たちは知っているので
ある。

ここまでうろうろぶつぶつと来ました。5000年どころか20万年
も遡り、中東のシリアからアフリカの大地溝帯まで行き、天上に
も駆け上りました。これだけ旅をして帰って来ますと風景がこれま
でと違うように見えることはあると思うのです。

(おおよそ猿から分かれて歩き出して600万年とも、別の本では
360万年ともあります。ネアンデルタールで30万年、ホモ・サピ
エンスで20万年でしょうか。
それでお願いですが、全体にこの話は落語に出てくる長屋のご
隠居のような話としてお付き合い下されば有り難いです。)
 
 
H26.04.13 記     離したくない

質で品物をあまり長くお預かりしている場合は、
利入れ時にもう流されるか受け出しされるか、
どちらかにされるように話しをしている。
しかしなかなかお客様は決められなくて、
また来月に考えますとなるのだが、
先日話したお客様は、これからガンの手術で入院するが、
来月に退院してまたこちらへ利息を払いに来ることが、
病気に打ち勝つ励みになりますからと言われる。
流れないように利息を払いに来ることが、
退院をする目標とはすごい話しであるが、トルストイに
「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、
不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」
の言葉があるように、本当に不幸はいろいろで、
今のこのお客様にとって質に預けている品物は、
幸福な時に繋がる唯一のものだから離したくないのだろう。
しかしこうなると流れないように払う質屋の利息は、
人が仏像に手を合わす祈りと同じで、
質入れの品の昔に繋がる善きものへの願いなのだろうか。
 
 
H26.03.27 記     いろいろな店があって良い

前に売却した指輪を取り戻したいという電話がありました。
質に預かった品物なら3ヶ月間は必ず保管していますが、買い取った品物は売りますから、なくなっているかも知れませんと言って調べると、指輪はまだ売ってなくてありました。
それでお返ししますので早く取りに来て下さいと話ししていると、ご婦人は取り戻したい理由を、質屋に売りに行ったのがみっともないからだと言うのである。

このみっともないという言葉が私にカチンときて、買取屋に売りに行ったらいいが、質屋に売りに行ったらみっともないと言うのですか。あなたはひどいことを言うな、質屋としては随分気分の悪いことだと言った。
そうするとご婦人は謝るのだが、こちらは虫の居どころがわるくて、あなたは失礼です、私は長く質屋をやって今65歳だがお客様は何歳だと聞くと72歳ですという。当店はまともな商売をしてきて、一ヶ月以上前に買った品物を、仮にあっても無いと答えていいものを、探したらあるから正直にあります、お返ししますと答えているのに、それをみっともないのへいのと、いい歳をして相手のことも考えず思慮のないと怒った。そしたらご婦人は電話の向こうでシクシク泣き出して、それで明日取りに行きますということで電話は終わった。

明くる朝ご婦人はシャッターを上げると同時に店に入ってこられた。まだシクシク泣いていて、指輪はもう結構です、本当にすいませんでしたと言って謝って帰られた。
それから2時間ほどして、先ほどとは違い明るい顔をして入って来られて、指輪は質に預かっておいてください、また取りに来ますからと言われる。それで手続きをして今日付で質札を書いた。何でも帰ったあと近くの公園で2時間ほど泣いて気分がよくなったのだと言われる。

続けて話されるのは、最近は怒ってくれる人が誰もいなくて、近所の人も挨拶はするが親身になって叱ってくれる人はいないし、昔に教えていた時はいろいろ人との付き合いがあったが、今は怒ってくれる人がいなくて、久しぶりに叱られて有り難いと。そして私のことを男らしくていいと褒めて下さったのである。

ご婦人に褒められたから書くのではないが、この叱られたのが有り難いという気持ちは分かる気がする。例えばご婦人が日頃、消費者として何かよその店で不満を訴える。そしたら店員は「申し訳ございません」と謝る。その折りに失礼な言葉をなげても定員が怒ることはない。パートであったり派遣社員であったり、お客様ともめたら辞めてもらいますということになっていて、一方的に弱い立場であるから言い返さない。
それをいいことにお客様はつい言葉が激しくなり、店員はまた「申し訳ございません」を繰り返す。そういうことになる自分を日頃からしんどく思っていて、その負の連鎖を私の怒りは断ち切ったのかも知れない。それでご婦人は久しぶりに叱られて有り難いと。
・・これは深読みかも知れないが、しかしいろいろな店があって良いのだと私は思う。
 
 
H26.03.20 記     質屋文庫 その4

先日、下の本を質蔵文庫に並べました。
「日本の名随筆75 『商』 藤本義一編 作品社」
この本は以前から私の本棚にありますが、いつ購入したのか覚えがありません。しかし前からあるので自分の本に違いなく質屋文庫のスタンプを押して外の棚に並べました。そしたら借り出す人があって、しばらくして返却箱に返っていました。中に紙が挟んであり、「このような少ない本を有り難うございました」と書いてありました。

改めて本の内容をみますと山本周五郎や織田作之助など30名ほどの作家が、「商売」について書いた随筆を載せたもので、中に野坂昭如の「質屋からの年賀状」と、邱永漢の「質屋通い」が入っています。
それで読みましたがあまり面白い作品ではありませんでした。昭和30年代の質屋について書いてありますが、若い貧しい時に質屋へ行ったことを、今は有名な文士になった筆者が振り返る形で書いていたりで、質屋の捉え方がパターン化しています。
それとこの本の他の作品もそうですが、商売人を下に見ているというか、昔の士農工商の上の士が、下の商売人を上から下に見て書いているようなところがあります。それは時代劇なら違和感がないでしょうが、昭和30年代の地続きの昔ですからちょっと引っ掛かりました。

もともとこの本が何故私の手元にあるのか分かりません。もしかしたら質屋について書いた文章が載っていますので昔に知りあいの人が、一度読んでみたらどうかと、私に貸してくださったのかも知れません。私はその間に読もうと棚に置いてそのまま忘れてしまった可能性があります。今となってはそれが誰なのか、また当時に借りたものか頂いたものか、それもまったく分かりません。
ですがこうして質蔵文庫の棚に置いて誰かに読んでもらいましたら、仮にその当時に「あの本は上げたのではなく貸したのですから返して下さい」と、つい私に言いそびれてしまった人があったとしましても、堪忍してもらえるのではないかと、こんなふうに自分に都合よく思っています。
それと最近図書館でアンネの本が破られる報道以来、その影響か、このところアンネの本の寄贈があります。
 
 
H26.02.15 記     質屋の物語り

これはまだ着物を質に預かっていた昔のことである。
30代の女性から高価な着物を3回に分けて質預かりして、利息を1年ほどもらっていた。それが徐々に遅れ加減になり流質日が過ぎて、もうどうされるのかと思っていたら、ある日ご両親と一緒に受け出しに来られて、お父さんが全額支払われた。その時に一緒にきたお母さんが、「嫁入りに良い着物を持ってやらしたのがアザになって」と言われて、質屋としてはいたく傷ついたのである。

お母さんの気持ちとしては娘に良い着物を作ってやったばっかりに、嫁いだ娘がその着物を質に入れて、とどのつまりこのように実家に泣きついてくる。着物を持ってやらさなかったらこんなことにはならなかったのにと、お母さんは嘆くのである。しかしはたしてお母さんが嘆くように、これをマイナスとばかり考えるのは正しいだろうか。私はここには逆のプラスの理路があるように思う。

ただそのプラスの面を質屋の私がこのページに書くと、文章が野暮ったくなるので書かないが、誰でも静かにゆっくり考えてもらったら、そのプラスのことは解ると思うのである。
それで上のような逸話をホームページに書くことは、質屋の表層を追うばかりでなく、質屋の物語りの世界に豊かさと奥行きを与えていいと私は思うのだが・・。
 
 
H26.01.26 記     泣きたおす質屋

先日質入れされたお客様が帰り際に、
ブログ面白いですね、ご主人が書いてるのですかと聞かれる。
それで、え・・まあ・・と答えたのだが、しかしブログで、
お客様が少ない暇だアカンと書いている店に、
あのお客様はどのような気持ちで来られたのだろうか、
それを一度考えてみた。
客の少ない質屋だから・・
1、特別に客を大事にしてくれるのではないかと考えた。
2、他の客と会うことがないのでいいと考えた。
3、利用して暇な質屋を助けようと考えた。

案外3、が正解ということは・・??。
暇なあの質屋が気の毒だから、助けてやりたい、と。
特に金に困っているわけではないがボランティアの気持ちで、
使っていない時計でも質に入れて3万円でも借りてやろうか。
昔から言う「人情質屋」は、
生活に困ったお客様の無理を利く質屋という意味だが、
これはその逆で、客の方が人情を掛ける質屋なのだ、と。
考えとしては、質屋は暇で閑かなのが正道であるとしても、
それにしてもこの質屋はあまりに暇すぎて寂しすぎる。
この先無くなったら社会の多様性から言っても損失であるし、
幸い自分に今は生活に余裕があるから、
ブログで暇やアカンとぼやきたおす、泣きたおす質屋には、
何か品物を質入れして助けたい気持ちが自然と起きた。
・・??。
質屋のお客様には心の優しい人が多いんです。
それで案外、泣きたおす質屋、で質のお客様が増えたりして。
 

文責  橋本洋介

 
 
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